飛鳥時代の女帝、斉明天皇と娘の間人(はしひと)皇女の合葬墓との見方が強い奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀)を調査した同村教育委員会は13日、墳丘の土台を築くため丘陵の尾根周辺を大がかりに造成した痕跡を見つけた、と発表した。
尾根上に築かれた墳丘の北東側を発掘。墳丘周囲に1.2メートル幅でこぶし大の石を敷き詰めた遺構などを確認した。その下方で、厚さ約70センチの整地土や、約5センチ単位で土を層状に突き固めた「版築」工法の跡など、高さ4メートル近くに及ぶ造成工事の痕跡を見つけた。
同古墳は天皇陵特有とされる八角墳で、巨石をくりぬいた石槨(せっかく)を持ち、墳丘表面を大きな切り石で飾っていた。同村教委は「相当な荷重だったはずで、計画的に土台づくりを進めたのだろう。八角墳の築造過程を知る重要な手掛かり」とみている。
牽牛子塚古墳