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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただのオンナで幸せになれるわけがない。愛されるはずがない」と良い子に徹した結果。ついに何かがプツンと切れ、オンナ人生再出発。

ダライ・ラマの言葉。〜自分を生きる28〜29日目。

自分のしたいことが知らず知らずの内に人の役にたっている形になるまで、
修行を積む必要があります。
ダライ・ラマ14世


今日は久しぶりに
セブン・イヤーズ・イン・チベット
という映画を見た影響で、
ダライ・ラマの言葉をいろいろと見ていました。

その中で今、心に響いたのがこの言葉。


今日、旦那さんと話をしていてふと思ったのですが、
先日の記事に書いた
「野生に戻らなければならないのです」
の言葉、
(※昨日の記事↓) 

santasantasan.hatenablog.com

野生ってまさに、
「自分のしたいこと(自分を生きること)」が、
「知らず知らずの内に人の役に立っている形」
ということじゃん、と。

牛も、馬も、ゾウも、鳥も、
命そのままの姿でただ生き抜くことで
自分たちを食べる天敵や、自分たちの死骸や糞尿が草木の栄養になることを
意図してなんかいない。
(というか、知らない!)

「我」じゃなくって、「命」に従って日々を生きぬくことだけで、
命のまま生きていることだけで、
それがそのまま、誰かの何かの命の役に立っている。

「野生に戻る」も
「ただのオンナに戻る」も、
そういう意味では、想いをかけているところは似てるかも。
言葉が彷彿とさせるイメージは全然違いますが。(笑)

で、その単純で完璧なシステムに沿って生きるだけで命も回るんだっていう
野生動物ができるシンプルなことが
見えなかったり、素直に感じ取れなかったりする要因って意外と、
わたしたちが頭で他人と比較したり、社会の情報を拾って描く
「こうなりたい」
とか、
「こうあるべき」
とかいうこと(=「我」)なのかもしれない。
(「我」が一概に悪いことというわけではないです。)

だから、純粋に自分が「したい」と思えることを見出すことでさえ、
今の世界ではそもそも単純簡単なことではなくて、
「修行」ということの意味も、
わたしたちが連想する
「努力」や「自己成長」とは
ダライ・ラマ氏が見ているそれとは、
意味が異なったりするのかもですね。

ちょうど最近のサンタサンタは、
新たにやろうかなと思っていることが出てきているところで、
でもそれが、どこまでわたしの野生(命)に添えていることなのか、
やはり今のわたしの視点からは、やってみないとわからないことだったりする。

ダライ・ラマの言葉なんて当たり前ですが全然わからないレベルだからやっぱり、
野生に(ただのオンナに)、もっと戻っていきたい。(笑)

命に限りがある中でどこまで行けるかはわからないけれど、
出来る限りそこに近づいた視点から世界を見たいし、
出来る限りそこに近づいた自分から、世界を(自分を)創りたい(生きたい)。

そんなことを感じた今日の映画鑑賞でした!


あと今日は、明日がバレンタインなのでチョコレートケーキを作りましたよ!
美味しく作れてるかは、明日確認します。。。

それでは今日も簡単ですが、お目通しいただき感謝を込めて^^
明日もステキな一日をお過ごしくださーい!

サンタサンタ。