「男女に生物学的な差は存在しない」ことをテーゼとする舞田敏彦が、既婚男女の年収差を次のように説明しています。 *1
差が出るのは既婚者なのよ。
— 舞田敏彦 (@tmaita77) 2016, 2月 7
男性社員には「養う家族がいるだろう,がんばれ」,女性社員には「仕事はほどほどにね」ってね。 pic.twitter.com/awyOc1syAk
しかし、これよりも自然な解釈は、「結婚した女は夫を大黒柱にして自分は補助に回りたがる」というものです。妻が夫より稼ぎたがらない傾向は、日本に限らずアメリカやスウェーデンでも見られます。おそらくは人間の本性ということです。
男女に仕事(稼得)に対する意識の違いが存在することは、この調査からも窺えます。
女性新入社員の73%が「管理職になりたくない」と回答したことが25日、分かった。
逆に男性では、管理職になりたいと回答したのが、昨年とほぼ同じの62%に達した。
リベラルな人たちは、このような男女差は「社会的につくられたもの」なので矯正しなければならない、と考えているようですが、そうではなく先天的なものであるなら、多くの女にとっては生きにくい社会をつくっていることになります。
そのような社会に居心地の良さを感じるのは、例外的に男的な「強い」女(例:西太后、角田美代子)ですが、果たして平均的な日本の女は、一部の強い女に合わせた社会を望むのでしょう。*2
- 作者: ダニエルネトル,Daniel Nettle,竹内和世
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フェミニズムの基本的目標のひとつは、公平さである。つまり、男性でも女性でも同じ適性とモチベーションがあれば、与えられる成功のチャンスは平等であるべきだということだ。このことについてはまったく疑う余地はない。だがそれは、現実に男性と女性とが平均して同じモチベーションをもっているということにはならない。したがって、社会のあらゆる分野で男女が等しく活躍するというのは、必ずしも期待すべきではないのである。*3
ネオリベラリズム的な女性活用、経済的に、日本企業の株価を上げるために有効だから女性活用だという。個人的にはそこに違和感を覚えるんですね。*4