(最終連載5)分断をこえていくために 林 智裕
「被害を定義する客観的な事実が共有されておらず、それを判断するための基準すら社会的な合意形成が出来ていない」ことが、こうした分断の大きな要因です。
前回お話したように、「声の大きさや社会的影響力の強さによって被害の定義が競われて、冷静な科学的根拠による情報の認識が共有されていない」状況や、「直接被曝による健康被害だけが被害として扱われ、あらゆる被害を訴えるためにはフクシマがいかに危険であるかを訴えなければならない」という誤解、およびそれらが政治的主張や運動、自己愛に利用されてきた流れが今も根強く残っており、それが被害定義の客観的な合意形成を妨げています。
例えば放射性物質の汚染一つとってみても、現在食品1kgあたりの基準値とされている100ベクレルが実際に健康被害に対してどの程度のリスクにつながり、何故100ベクレルにされたのか。また、空間線量で言えば除染目標とされた0.23μSV/hというのは何故制定され、それを超えると何が起こってくるのか。それらの数字にどういう意味があるのかさえも明確ではないままに、実際のリスクでは無く白か黒かだけで被害が捉えられがちでした。
そんな中でデマは「1ベクレルでも危ない」「人工的な放射線と自然の放射線は違う」などと数字の意味を勝手に代弁して広めましたが、そのことがいたずらに沢山の方の不安を煽り、被害者を必要以上に絶望させ、分断を煽ることで二次被害を拡大させてきた点があったのではないでしょうか。数字の意味や量の概念が共有されないままのリスク議論は例えるならば、塩を1粒多く入れてしまった食品の危険性の議論を、優先度の高い他の議題を放置したまま長年続けてしまうかのような不毛な事態さえも引き起こしてしまいます。
放射線に不安を感じるのも、その不安を含めた多様な考えを出来る限り尊重するのも当然ですが、そもそも沢山ある不安のうちのいくつかは、本当に不安を感じる必要があったものなのでしょうか。
その疑問の検証すら許そうとせず、ひたすら不安を助長し続けて被害拡大の大きな要因を作ってきたのがデマである以上、不安を感じている人に寄り添うためにこそデマには立ち向かわざるを得ません。デマによって煽られた不安にまで無条件の賛同をすることはかえって無用な不安を無限に増やすだけで、被害者のためにはなりません。
様々な葛藤や立場があることを理解しつつも、それでも単純な両論併記を良しとする「中立」(一般的な意味の中立とは異なります)を離れようとするのは何よりも、日々の生活に決断を迫られる生活者のためです。いつまでも「フクシマはまだわからない」と「中立」を保つことは判断の無責任な先送りでしかなく、いたずらに被災者の恐怖と不安を煽り生活再建や将来設計の足を引っ張るだけです。この場合での「中立」を離れるというのは決してリスクを過小評価することでは無く、既にわかっていることをわかっていることとして扱い情報更新するというごく当たり前のことであり、そこには既に賞味期限の過ぎた明らかなデマや誤解を整理していくことも含まれます。
しかしここまでデマや誤解によるイメージが一部で定着してしまった以上、それは例えるならば、病巣を体内から切除するかのようなものなのかも知れません。切除は痛みを伴うものの、放置は事態の更なる悪化を招きます。
デマに立ち向かうために使われる様々なデータや科学的知見はいわば医療用メスのようなもので、扱い方によっては安心をもたらすどころか様々な立場の方が自然に抱く不安な気持ちや善意を問答無用に切り裂いて逆に不安や恐怖を煽ってしまったり、論敵を叩くだけの凶器にもなってしまいます。デマを無くしていくのは不安を解消するためにこそ必要ですが、当たり前の不安を感じているだけの人や善意そのものまでを切り捨ててしまわないように細心の注意を払う必要もあるでしょう。
県内外を超えて立場や考え方は違っていても、想いを抱えた沢山の方の異なる声がそれぞれに「当事者」であることには違いがありません。
しかしその当事者性ばかりをいたずらに競ったり、判断を先延ばしにするだけの「中立」で留まり続けたり、「力の論理」で声の大きさで被害の定義を争う時期は、もう終わらせるべきだと思います。更に言えば、科学的根拠を示して「安全」ばかりをふりかざすよりももっと先へ、分断を超えた対話と共感によって安全を安心へと繋げていかなくてはなりません。いわば「理科」から「社会科」への橋渡しによって、データだけの問題に留まらない様々な課題の解決へとシフトしていくべきではないでしょうか。
そのためにも震災から5年を迎えようという今、情報の共有をすすめた上で「光と影」を双方併せ呑むような、様々な意味で「優しい」対話と、「中立」の先へ進む勇気こそが、今後は必要になってくるのだと思います。
長い間「ふくしまの声」におつきあい頂きまして、本当にありがとうございました。改めて御礼申し上げます。
林 智裕