(最終連載2)デマが見えなくしてきたもの 林 智裕


デマゴーグ自体は、被災地に寄せられた数えきれない程の善意に比べれば少数派であり、いわゆるノイジーマイノリティです。しかし、彼らの横暴が「言論の自由」として放置されすぎてきたことで社会全体での情報更新や誤解の解消も進まず、被災者や被災地を助けて下さろうという純粋な善意がデマ拡散に横取りされて利用されてしまったことが、デマによるもっとも大きな被害の一つと言えます。

デマによる情報の遮断やミスリードは些細な認識のズレや誤解という何気ないきっかけから始まるものの、放置すれば支援のミスマッチや深刻な分断をもたらします。

たとえば「フクシマの食べ物は汚染されている!食べてはいけない!」というデマが拡がった結果、大量の野菜などが被災地に送られてきました。もちろん送る側は善意ですし、受け取る側もそれを判っているので無下には出来ません。しかし、それは同時に自分たちが丹精込めて育てた作物が既に厳しい放射性物質の検査を容易にクリアしている事実すら全く知られていないということでもあり、捉え方によっては「危険なフクシマ」での復興自体が「ありえない」と、今までの努力や成果を否定されているかのような悲しさも味わうものでした。

こうした情報の分断は、実は県外だけに留まりません。福島からの声がデマや「大きな声」によって県外に届かないのと同様に、県外からの声もおそらく福島県内には驚くほど届いていないのではないかと、最近特に感じています。原発事故後の福島に対する、県外の方々の「一般的な」感覚が、もしかすると県内に届いている「大きな声」が与えてくるそれとは、大きく乖離している可能性があります。

福島からの視点で言えば、笑顔で近づいてきて「寄り添い」ながらも、実際には被災者の生活再建には関心が薄い方が目立ちすぎたために、簡単に信用して傷つけられるのはもうこりごりという方は少なくないと感じています。

しかし、被災者自身に関心が薄い方ほど当然そうした気持ちに気づいてくださることもなく、相変わらず何らかの活動のために虚構の「フクシマ」や、現地の人の「怒りや悲しみ」ばかりを求め続ける方は中々減らず、中には「福島の人はもっと怒れ」とダメ出しまでしてきた方もいたものの、大きすぎる認識のズレに困惑するしかありませんでした。

更に過激になると、その「可哀そうな被災者を想う」あまりに、まだ生きている福島の子供達の葬式までを勝手に挙げながら原発反対のデモをする勢力もありました。

福島の原発が「東京」電力の発電所であり、全ての電力が県外に送られていたことすらも知らない人に自業自得だと一方的になじられたり、他県で出た廃棄物の処分まで「どうせ人が住めないのだから」という勝手な思い込みだけで「(面倒ごとは全て)フクシマに集約するべきだ」と口々に言われたりもしました。

原発立地自治体や被害者の全てを強烈に侮辱する「原発がっかり音頭」などという歌を喜んで歌っていた集団がいたのも印象的です。

ほかにも、「ガンが多発する」「奇形が生まれる」「被曝症状で苦しんで死ぬ」「フクシマの農家はテロリストや人殺しと同じだ」「フクシマのせいで日本中が迷惑している」などの言動が刃として向かった先には全て、心を持った人間がいました。黙って耐えただけで、心に深い傷を負っている人は多いと思います。

しかし県外の多くの方が持つ「普通の感覚」は本来そこにはないはずです。そうであるにも関わらず、福島に飛び込んでくる県外からの「大きな声」は、こうした残念なものばかりが悪目立ちしています。

同時にそれらの被害や暴力からの助けを求める福島からの声もまた、「鼻血」などの悪目立ちしている「大きな声」に訴えの機会を奪われて県外に伝わることは少なく、「風評被害」というあまりにも大雑把な言葉でまとめられて被害の言語化が遅れています。例えば先日行われた国道6号線の清掃活動で現地に寄せられた多数のクレームや嫌がらせなどが、この状況を象徴的に示していると言えるでしょう。

(ハフィントンポスト福島の中高生が清掃ボランティア→誹謗中傷1000件「明らかな犯罪」)

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/23/fukushima-nuclear-volunteer_n_8626404.html

このようにデマや一部の方々による大声が、被災地に向かう声と被災地からの声の双方を遮断してきました。被害そのものすらほとんど把握されていないのですから助けは当然期待できず、大多数の県外の人にとってはまさかそんなことになっているとは知らないうちに現地では傷つけられ追い詰められて、耳を塞ぎ心を閉ざさざるを得ない人もいます。

そうした前提の共有もされないので思わぬところですれ違いや衝突も起こりやすくなり、福島県内から見れば、かけ離れた現状認識や誤解に苛立ちが出たり、県外から見れば「福島は面倒くさい、怖い、感じ悪い、関わりたくない」となってしまい様々な意味で現地からの距離が遠ざかります。

現状は残念ながら、デマに情報が遮断されることで被災地が閉鎖的・排他的になって支援や善意が届きにくくなり、そのことが更に情報を滞らせて益々デマが拡大するという悪循環に陥っている一面もあると言えるでしょう。それこそまさに、デマの思うつぼです。

そうしているうちに福島の震災関連死は自殺も含めて増加を続け、とうとう2000人を超えてしまいました。自宅に戻ることも出来ないままに5回目のお正月を迎えることになった方も沢山います。