(最終連載1)デマは何故拡散しやすいのか。得られるものは何か。林 智裕
そもそもデマが拡がる原因の一つとしては、デマやニセ科学で得られる利益に対してのリスクやペナルティのバランスが、現状では極めて不均衡であることが挙げられます。
原発事故というセンセーショナルな事件は、一部の方にとって政治的主張や商売に利用しやすい多大なメリットがありました。
デマを大きな拠り所にするカタカナ表記の「フクシマ」は、そのセンセーショナリズムを維持・拡大する為に現地に対して一方的に純粋な被害者性を求める搾取構造を持つものですから、社会的な立場の強さや声の大きさなどの「力の論理」で成り立ってきたと共に、しわ寄せと代償は全て一番弱い立場の方々に押し付けてしまうことができたのです。
無責任なデマや不安を煽った方々は数えきれない程にいましたが、後に誤りを認めて正式に謝罪し損害を補償した例はあったのでしょうか。
今までに良く見聞きしたのは、何事もなかったかのように振る舞ったり開き直るばかりで、自ら設定した「フクシマの破滅」までのタイムリミットを一方的に延長したりするケースばかりです。
そうした方々ほど現地の人間以上に「フクシマ」の危険を煽る割には、不吉な予言や呪いを繰り返すばかりで現地を具体的に助けようとする素振りはみられませんでした。特に金銭的な支援や現地での復旧活動など、口以外を出して実際に支援した例はほとんど聞いたことがありません。(自らの主張の支持者を増やして、利益の拡大再生産を狙う「投資」的な支援は除く)
「フクシマ」は金銭的なメリットだけではなく、自己顕示欲を満たす手段としても使われました。
専門家の信頼や科学の権威が失われたことで、通常は文字通りに論外とされるような破綻した奇論や暴論、それを掲げる人物までもが、確立されている知見やその専門家とまるで対等であるかのように扱われてしまいました。
そうした無秩序な状態では正当な反論も説得力を失い、反撃できない相手を激しく叩いたり憶測で無責任に恐怖を煽るだけで一定の支持や共感を集めたケースが多発し、昔からネット掲示板などで良く見られていたような「相手を批判(実際には批判が出来る程の論理性が無いので罵詈雑言やレッテル張り、人格への中傷になることが多い)していれば、批判者である自分は相手と同等かそれ以上に優れている」というマウンティングにも似た、無知である程に陥ることが出来る錯覚に多くの方が承認欲求と自己愛を満たして酔いしれたのです。
それが高じて、知識や努力の下積みが無くとも専門家と同等かそれ以上に自分は優れているという根拠の無い自信に満ち溢れた人も大勢現れました。
「フクシマはまだわからない」という社会の混乱は、「マスコミは報道しない隠された陰謀を自分は知っている」と夢想してヒーロー願望を容易に満たす口実を作り、「真実」は勉強や事実の積み重ねなど、地味で苦しい努力をしなくても楽に逆転して優位に立てるかのように心地良く錯覚させてくれるマジックワードにできました。
彼らはインスタントに不安を解消して自分に万能感を与えて自己愛を満たしてくれる「フクシマの真実」と、それを補強してくれるデマを歓迎し、拡散に加担しました。
あるいは巨大すぎる恐怖に対して、知ろうとする努力を放棄しながらも不安だけはなくそうと考えた場合、もしかするとこうする他に心理的な安定を保つ手段はなかったのかも知れません。
これに類似した例は世界的に見ても珍しくなく、アポロは月に到着していなかったとする主張や9.11テロのアメリカ自作自演説などが特に有名ですが、震災直後にも東日本大震災が人工地震兵器HAARPであったとの陰謀論が見られました。それらにおおむね共通するのは、彼ら自身のヒーロー願望を満たすための「敵」はいつも巨大な権力を持った絶対的な悪であり、特別な存在として選ばれた自分たちだけは、その企みを理解しているという自信に何故かあふれています。
最近では特にワクチンなどがやり玉にあげられやすいですが、一部の反○×運動や極端なマクロビオティック、万能が謳い文句の商品や健康法、特殊な主張で信者を集めるニセ医学などにはこうした傾向が強いものがあり、これらは「手っ取り早く不安を消したい」「特別な存在でありたい」などの心理を利用する商売や活動につけこまれたケースではないでしょうか。「御用学者wiki」などに代表されるような、魔女狩りを彷彿とさせる私刑による吊し上げの横行もこの一種であったと言えるでしょう。
これらはつまり、社会の混乱に乗じてルサンチマンの攻撃対象が科学者や専門家の信頼と権威にも及んでニセ科学支持やデマを後押しした結果として、二次被害を更に拡大させてきたのだと言えます。