リゲティ・ジェルジュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)
リゲティ・ジェルジュ・シャーンドル
Ligeti György Sándor
Michael Daugherty et al at ISCM World Music Days 1982.jpg
ISCM世界音楽の日々(1982年)にて
左より順にジェルジュ・シャーンドル、息子のルーカス・リゲティ、リゲティ夫人、コンロン・ナンカロウマイケル・ドアティ
基本情報
出生 1923年5月28日
死没 2006年6月12日(満83歳没)
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家
Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にジェルジュ・リゲティと表記することもあります。
ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽
リゲティ・ジェルジュ・シャーンドル(Ligeti György Sándor [ˈligɛti ˌɟørɟ ˌʃɑ̈ːndor]、1923年5月28日 - 2006年6月12日)は、ハンガリー現代音楽作曲家クラシック音楽で実験的な作品を多く残したほか、スタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」や「シャイニング」などに音楽が使用されたことでも知られる。ジェルジ・リゲティとも表記される。

人物

ハンガリー脱出まで(-1954)

トランシルヴァニア中南部のトゥルナヴェニ[1]に生まれる。[2]両親はユダヤ系第二次世界大戦の折には、家族はバラバラに強制収容所に入れられた。父はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、弟はマウトハウゼン強制収容所で命を落とした。
終戦後リゲティは、ブダペスト音楽院ゾルタン・コダーイカドシャ・パールヴェレッシュ・シャーンドルファルカシュ・フェレンツらのもとで音楽を学んだ。1949年に卒業。1950年から母校で教えていたが、ハンガリー動乱ソ連に鎮圧された2ヵ月後の1956年12月にウィーンへ亡命し、オーストリアの市民権を取得。
ハンガリーは当時共産圏統治下で最も強くクラシック音楽への弾圧が行われており、場合によっては声楽家がバッハのカンタータすら法律違反で歌えないという有様であった[3]。その当時の彼は、バルトークの影響を受けつつ、彼もまた民謡の編曲や、民謡を取り入れた作品を発表する中で革新的な作風を模索していたが、一部の作品[4]は当局により演奏を禁止された。
この頃のハンガリーでは新ウィーン楽派の音楽は厳しく規制されていたが、彼は妻の協力により十二音技法に関する情報を得ることができ、その音楽に強く惹かれるようになった。自身の音楽環境の貧しさから、「素材の貧しさ、稀少さとは何か」を定義するユニークなアイデアを生み出した。このアイデアが「ムジカ・リチェルカータ」に結実している。

ミクロポリフォニーの開発(-1965)

西側に渡った彼はカールハインツ・シュトックハウゼンヘルベルト・アイメルトなどの知遇を得て、ケルン電子音楽スタジオにおいて1957年に「グリッサンディ」、翌年には「アルティクラツィオーン」を作曲。1960年ケルン国際現代音楽祭において初演された管弦楽曲「アパリシヨン」、および1961年ドナウエッシンゲン音楽祭で発表された「アトモスフェール」によって一躍、前衛作曲家としての地位を確立した。リゲティは「トータルセリーの技法は通過していない」と弁明した[5]が、実は徹底的におこなっていたことが判明している。
この頃の彼の関心は十二音技法やそれを発展させたトータル・セリーではなく、トーン・クラスターリズムにあった[6]が、1960年代の「反音楽」にも積極的に挑戦し、「本をペラペラとめくる」などの特殊奏法の連発で構成される「アヴァンチュール」、「新アヴァンチュール」で当時の音楽状況を告発している。オルガンの機能の限界に挑戦した「ヴォルーミナ」、ピアニストが一音しか弾かない「ディヴィッド・チューダーのための三つのバガテル」ではアナーキズムにも興味を示し、この属性は超絶技巧を伴う名人芸に内包されて、挑発性が顕著となってゆく。
こうした1960年代が「技法の実験による作曲家の高慢」と揶揄されているのを感じ取った彼は、とっさに宗教性の鉱脈を掘り当て、それが「レクイエム」に結実する。いまだ、ホーリー・ミニマリズムが流行になる以前のことであった。この作品の質で、リゲティは世界的な名声を手に入れることとなった。楽譜の段数が極端に多い故、の中に巻かれて販売されると言う方式も話題を取った。この「レクイエム」の世界初演の際に甲斐説宗が楽屋まで弟子入りを志願し、たった一回の簡易な形のレッスンではあったものの、甲斐がリゲティの一番弟子になった[7]。その後ハンブルク音楽演劇大学の教授に就任。リゲティ本人は自作の演奏のできばえに大変厳しかったが、そのジャッジを乗り越えた全作品の音源の販売[8]WERGO社から行われる。

前衛の停滞(-1970)

ウィーンに渡った後、ミクロポリフォニーと呼ばれる技法で知られるようになった彼は、クラスターに重きを置かなくなり、「旋律群」のように調性的な傾向へシフトするなど、常に時代への挑発を失わなかった。弦楽四重奏曲第2番では「音色のカノン」がはじめて第2楽章の主部以降に導入されるが、これをジャチント・シェルシは「盗作だ!」[9][10]と憤慨。リゲティの作品がスタンダードナンバー化したことに伴い、シェルシとの仲は、これで回復しなかった。この頃から彼のオリジナリティに翳りが生まれる。
室内協奏曲」、「二台ピアノの為の三つの小品[11]ではオクターブとパルスに作曲上の問題を集中させ、なおかつ音選択も極めて厳格に行われている為に傑作の誉れが高い。とはいえ部分的に室内協奏曲ではトータルセリーの影響を見せた変拍子が使われるものの、原則的には拍を分割した連符を連結することしかできなかったため、この書法のままでリズム語法を探究するのは当初から限界があった。
また、「ロンターノ」や「フルートとオーボエのための二重協奏曲」でのオーケストラのテクスチャーの精緻な堆積から生まれる柔らかい音色は、60年代の衝撃音の連続とは全く違い、クラシック音楽を好んで聴く層にまで訴えるものがあった。しかしながら、「過去の音楽文化」への退行は隠せないものになった。オクターブを自由に重ねる技法もヘンリク・ミコワイ・グレツキが元祖であり、「誰からでも影響を受ける」とまで批判されることもあったと言う。

音響作曲、ナンセンスそして不振(-1982)

ミクロポリフォニーが常識になってしまったので作風を様々に変化させ、新たな創作への模索を行う時期となった。1970年代以降は「メロディーエン」、小澤征爾の指揮による「サンフランシスコ・ポリフォニー」、「時計と雲」に見られるように暴力的なトーンクラスターが影を潜めるようになり、変わって倍音列に根差した音響的な作曲へと作風を変化させた。この作風の変化を「スランプだ」とする意見もあったが、現在では後のスペクトル楽派へと通じる「音響作曲」を先取りした作品群と見なされている。[12]
その後作風をさらに変化させ、ニッコロ・カスティリオーニからの影響を感じさせるオペラ「大いなる死者」では、「レクイエム」とは正反対にナンセンス音楽の集大成を図り、役名から音楽上の素材まで悪ふざけの極致で聴衆を圧倒した。しかし、このオペラ完成後は素材が枯渇し、創作ペースが落ち込むなど「過去の人」扱いされる事態にまで陥った。その窮地を救ったのがコンロン・ナンカロウ作曲の「自動ピアノの為の習作」と、自由に音程を変えられるシンセサイザーYAMAHAのDX7であった。「一緒にナンカロウを聴こう」と弟子のマンフレート・シュターンケと毎日のように聞いた[13]といわれる。

ナンカロウの再発見(1982-2006)

これらの素材による刺激から彼は創作態度を取り戻し、「ピアノ協奏曲」、「ヴァイオリン協奏曲」、「ピアノ練習曲集」などで全く新しいポリリズムを追求し続けた。ピアノ練習曲集の第一巻の初版のテンポ設定は人間を無視した極論[14]であった為に、多くのピアニストが自由にテンポを変更して演奏する時期があったなど挑発性が復帰し、様々な点に於いて才気が蘇った。「ナンセンス・マドリガルズ」や「マジャール・エチュード」のような声楽作品でも、アンサンブルの限界とユーモアが追求されている。
この時期には、前衛の時代には忌避していた民族性と積極的に向かい合ったのも大きな特徴で、複雑な変拍子や自然倍音の使用も民族的な始原性を濃厚に想起させる。結局リゲティがセント単位で複雑な音律を使用することはなかったが、全音階的なパターンに予期せぬ自然倍音を挿入し、騙し絵のように聴感覚を揺さぶる。「無伴奏ヴィオラソナタ」、「ハンブルク協奏曲」でも見られるストレートなヴィオラホルン自然倍音の使用は、東欧からの血統を想起せざるを得ない。
作曲家本人も満足しており、多くの賛辞を集めることとなった「ヴァイオリン協奏曲」においても自然倍音と平均律の拮抗が見られるが、ラストで思い出したように「アヴァンチュール」のようなテクスチュアが引用されるなど、自己様式の最終的な統合をこの作品で図った感が濃厚である。この時期においてもアラン・ペッタション[15]ルエド・ランゴー[16]のような時代とかかわりを持たない作曲家へのまなざしは続いた。
「(攻略した)シェルシの次はナンカロウのようだ」[17]「ナンカロウからアイデアを貰って若返っただけではないのか」という批判もあったが、結果的には「ピアノ練習曲集」はどこの国際コンクールでも競って演奏するピアニストが現れるなど、リゲティはかつての勢いを取り戻した。練習曲第13番「悪魔の階段」では、半音階を駆け上がる右手のパッセージの困難さ[18]が話題となり、練習曲集の出版の問い合わせが世界中から予想以上に殺到したといわれている。
この時期から、音源の体系的かつ集中的なリリースがWERGO,SONY,TELDECでなされたことも特筆される。特にSONYのシリーズは最強のメンバーによる演奏陣として宣伝されたにもかかわらず、リゲティ本人のクレームでいきなり中断されるなど、話題に困らない側面も健在であった。
晩年の数年間は病気を患っており、来日はしばしば実現したが京都賞の授賞式の際も車椅子が手放せず、スタッフを暴言で困らせるなど[19]対人態度はあまり褒められる状態[20]ではなかった。ピアノ練習曲も、まだいくつかの作品を追加する意向が示されていたが、2006年6月12日、ウィーンで死去、83歳没。[21]弦楽四重奏曲第3番は作曲に15年以上[22]かけたものの完成できなかった。ピアノ練習曲集第三巻はわざわざ「第一葉」と題され[23]、未完であることが示唆されている。

エピソード

  • 人前での公的なレクチャーでは、お笑い芸人顔負けのユーモア振りであり、自作のオペラでブーイングを率先して叫んでライブ音源リリースを阻止するなど音楽家離れした態度もあった。亡命生活の苦渋の故か、私的な場においてなかなかに接するのが困難であったといわれている。いきなり弟子に向かって直に欠点をいうことも多々あり、アメリカ人初の弟子アンナ・レバーロンに対して「君はアメリカ時代の経験を全て忘れなさい」と一喝した[24]。あと、かなり「吹かす」癖があり、「ベルリオーズの幻想交響曲以上の発明のないオーケストラ曲は一切の意味がない」というコメントも残している。[25]
  • その性格の故か、自身の作品の演奏のできばえには極めて厳しく[26]、本番で間違えたピアニストを即クビ[27]、正しくオーケストラが演奏できないとブーイング[28]、など容赦なかった。しかし、より正確に出来る演奏家を見つけると仕事は速く、ピエール=ローラン・エマールとのコラボレーションでは、彼にふさわしくないできばえのエチュードは捨てたといわれる。[29]
  • 自身が審査を勤めた武満徹作曲賞は、全員の応募作を却下した[30]。その理由は「クラシックからなにも学んでいない。もっとハイドンのスコアを読め」とのこと。しかし、東洋人には極めて親切な態度でレッスンなどに応じ、マスタークラスでは「必ず、自分の国をもっとよく考えた創作をしなさい」と命じた。東京都制施行50周年記念国際作曲コンクールの第一位空位第二位受賞作に選んだ二つは韓国人と日本人の作品で、佳作も日本人の作品を選んだ。日本初演が迫るピアノ練習曲の新作も、出来上がり次第すぐにFAXで送った。これが初演の「一週間前」ということもあった。
  • 創作態度の硬直を嫌い、自由に流行を眺めて勝ち組へ移るのが好きだった。創作にかなりのブランクがあいた時期があったのも、傑作を生むために慎重に待っていたからであった。「私は大編成が流行る(1960年代)とそれに乗り、小編成が流行る(1980年代)とそれに乗り換え、結構いいかげんで日和見主義なんですよ」、「私のオーケストレーションは滅茶苦茶でね、今でもリムスキー=コルサコフの著書で勉強してます[31]」と武満徹に語っている。
  • 木管楽器のマルティフォニックには一貫して否定的であった。現在は弦楽器も特殊な弓圧でマルティフォニックを出せることが知られているが、これも使われることがなかった。彼が最後に使ったテクニックは「自然ホルンの倍音」であった。このように、誰もが使う特殊奏法には一貫して拒否の姿勢を見せた点が芸風を際立たせている。
  • 語学にはかなり苦労しており、英語版ウィキペディアによるとリゲティ本人の言葉の引用は文法の誤りも指摘されている。彼の楽譜も同様で、リゲティの意思を尊重してそのまま注意書きが掲載されているが、正確な言い回しではない[32]ことがある。
  • 息子のルカス・リゲティも作曲家。

主要作品

詳細は「リゲティの楽曲一覧」を参照

オペラ

  • 大いなる死者(ル・グラン・マカーブル)(1977年)現在演奏されるのは1997年版のみ。オーケストレーションの改訂他が行われている。

管弦楽曲

協奏曲

室内楽曲

声楽曲

電子音楽

ピアノ曲

その他

市販音源

  • BIS - Complete Piano Music 2 CDS; 1948-2001 A Ligeti Odyssey 1 CD; Double Concerto for Flute & Oboe, etc. 1 CD.
  • TELDEC - Ligeti Project (5 CDs)
  • DG - GYÖRGY LIGETI Clear or Cloudy Complete Recordings on Deutsche Grammophon (4 CDs)
  • WERGO - GYÖRGY LIGETI Special Edition (2006, 3 CDs), GYÖRGY LIGETI- Special Edition 1 (1998, 3 CDs), GYÖRGY LIGETI - Special Edition 2 (1998, 3 CDs), GYÖRGY LIGETI (5 LP box set Wergo 60095)
  • SONY - GYÖRGY LIGETI WORKS (2014, 9 CDs)[35]; Ligeti - Concerto for Cello & Orch, etc. (1 CD)[36]

受賞歴

  • 1967: Beethovenpreis der Stadt Bonn
  • 1972: Kunstpreis Berlin
  • 1975: Bach-Preis der Freien und Hansestadt Hamburg
  • 1986: グロマイヤー賞_作曲部門(ピアノのための練習曲集第一巻へ)
  • 1987: Österreichisches Ehrenzeichen für Wissenschaft und Kunst
  • 1987: Ehrenring der Stadt Wien
  • 1990: Léonie-Sonning-Musikpreis
  • 1990: Großer Österreichischer Staatspreis für Musik
  • 1991: 高松宮殿下記念世界文化賞
  • 1991: Balzan-Preis
  • 1993: Ernst-von-Siemens-Musikpreis
  • 1995: Musikpreis der israelischen Wolf-Stiftung (Wolf-Preis)
  • 1995: Rolf-Schock-Preis(ピアノのための練習曲集第二巻へ)
  • 1996: Musikpreis der Unesco
  • 1998: Ehrenbürger von Budapest
  • 2000: Wihuri-Sibelius-Preis
  • 2001: 京都賞
  • 2003: Kossuth-Preis
  • 2003: Medaille für Kunst und Wissenschaft der Stadt Hamburg
  • 2003: Theodor-W.-Adorno-Preis
  • 2004: Polar Music Prize
  • 2005: Frankfurter Musikpreis

脚注

  1. ^ ディチェーセントマールトン
  2. ^ ディチェーセントマールトンはシュテットルの一つであった。
  3. ^ 細川俊夫からジグムント・サットマリーへのインタビューによる・音楽芸術,音楽の友社
  4. ^ パーパイ夫人》や《アラーニの5つの歌》など
  5. ^ 現代音楽のパサージュ青土社
  6. ^ もっとも、ブダペストにいた頃から関心を抱いていた
  7. ^ 甲斐の日記に「ヴァイオリンとピアノのための音楽」の初版のレッスンをしてもらった記述がある。
  8. ^ これらの録音の演奏精度は後年のリリースされた音源と比べて極めて高く、カニーノ=バリスタピアノデュオのような完璧なレヴェルの演奏も存在する。大いなる死者の初版のリリースはここからしか出ていない。
  9. ^ 長木誠司・現代音楽の漂流者達
  10. ^ この「盗作」判定が正しかったのかどうかはともかく、リゲティは過去にもフリードリヒ・ツェルハのシュピーゲルを研究してそのまま自作に応用ということもやっており、楽壇では彼の「研究癖」はすでにダルムシュタットでは有名であった。
  11. ^ 演奏が難しいために、第一曲はコンピュータによるクリックトラックをヘッドフォンで聞きながら演奏した例が存在する。ダルムシュタット講習会2008のピアッツィーニ=ハーセピアノデュオはそのように演奏された。しかし、本人はこのような「コンピュータ補助」演奏を認めていない。
  12. ^ 事実スペクトル楽派の創始者と言えるジェラール・グリゼーは1970年代、ドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会でリゲティから多大な影響を受けている。
  13. ^ カイル・ガン著・ナンカロウの音楽
  14. ^ 改訂後は妥協して速度を落とした。schott刊の自筆版とコンピュータ出力版を比較されたい。
  15. ^ リゲティのはからいで全交響曲の録音が実現した。
  16. ^ デンマークに招かれた際、この作曲家を絶賛した。
  17. ^ Piano Concertoの初演評
  18. ^ これはエマールに運指の組み合わせの限界を使うには、どうしたらよいのかという対談がきっかけで成立した。つまり、片手の指が二つ押さえられていたら三つは空、といった組み合わせ論の追及でもあった。
  19. ^ 江村哲二は「審査はしてもらったが、とにかく妙な人だ」と感想を述べている
  20. ^ ここにもあるように、悪意からでたコメントはなく、本人はユーモアのつもりであったようである。
  21. ^ 死因は遺族が公表していない。
  22. ^ アルディッティ弦楽四重奏団のヴォルフガング・リームのCD解説には「現在シュトックハウゼンとリゲティに新作を委嘱中です」と書かれていた。MONTAIGNE 1 CD 782001 copyright disques montaigne sarl, paris 1991 liner notes 24p.
  23. ^ これは、コンサートプログラムにも正確に記されていないことが多い。正しくはÉtudes pour piano, Troisième livre, cahier Iである。
  24. ^ Cole Gagne, Soundpieces 2: Interviews with American Composers (Metudhen, NJ: Scarecrow Press, 1993). ISBN 0-8108-2710-7
  25. ^ これには諸説あるが、彼はショット社と専属契約を結んでおり、いい加減な作品は一切世に出さないという気骨の人であった点があげられる。大いなる死者もオーケストレーションの不備を問われると即座に改訂を行い、納得のいかなかった作品はカタログにすら載せなかった。現在はその未掲載作品もショット社から入手が可能である。
  26. ^ たかの舞俐のブログ
  27. ^ ヘルベルト・ヘンクはギブアップ、フォルカー・バンフィールドは間違えて解雇、アンドラーシュ・シフには「エチュードを弾くのか?やめとけ!できないぞ」とこの有様であった。
  28. ^ 大いなる死者の初演評
  29. ^ その捨てられた作品にピアノのための「心臓抜き」がある。
  30. ^ 応募作が50を切っており、これは最小の応募数である。これに立腹した可能性もある。
  31. ^ 『歌の翼、言葉の杖――武満徹対談集』TBSブリタニカ、1993年
  32. ^ 左手のPIZZ.から徐々に右のPIZZ.へという有名な弦楽四重奏曲第二番の演奏指示
  33. ^ 練習曲から除外された曲、ナンカロウにトータルモノフォニーの作品が一つだけあり、その作品に感銘を受けて作られたが、難易度が低すぎて練習曲にならなかった。
  34. ^ 本来はVischerのためにモダン・チェンバロを想定して作曲されたが、ヒストリカル・チェンバロで演奏されるケースが多い。これはリゲティの本意ではない。
  35. ^ LIGETI EDITION の文字はリゲティの没後外され、EDITIONに載せるなとリゲティの怒りを買った大いなる死者も収められた。
  36. ^ LIGETI EDITIONには当初から加わっていない

参考文献

  • György Ligeti: Eine Monographie in Essays Verlag: SCHOTT MUSIC GmbH & Co KG, Mainz (8. Juli 1994)
  • György Ligeti: Notenbilder SCHOTT MUSIC GmbH & Co KG, Mainz
  • 沼野雄司 - リゲティ、ベリオ、ブーレーズ―前衛の終焉と現代音楽のゆくえ
  • 神月朋子 - ジェルジリゲティ論
  • 宮澤一人 - ミクロ·ポリフォニ-技法の3声部のあり方, 徳島大学総合科学部人間社会文化研究, Vol.11, 135〜145頁, 2004年
  • 宮澤一人 - ミクロ·ポリフォニ-技法の2声部のあり方, 徳島大学総合科学部人間社会文化研究, Vol.10, 153〜168頁, 2003年

関連文献

  • Agel, Jerome. 1970. The Making of Kubrick's 2001. New York: New American Library. ISBN 0451071395.
  • Arnowitt, Michael. 2009. "Ligeti and His Influences: Music to Wow both the Mind and the Body". Michael Arnowitt homepage (accessed 4 February 2010).
  • Bauer, Amy. 2011. Ligeti's Laments: Nostalgia, Exoticism, and the Absolute. Aldershot: Ashagte. ISBN 978-1-4094-0041-7.
  • Benjamin, George. 2007. ""In the Realm of the Senses". The Guardian (23 February).
  • Boyden, Matthew. Az opera kézikönyve (2009 ed.). Budapest: Park Könyvkiadó. ISBN 978-963-530-854-5.
  • Chen, Yung-jen. 2007. "Analysis and Performance Aspects of György Ligeti's Études pour piano: 'Fanfares' and 'Arch-en ciel'". DMA diss. Columbus: The Ohio State University.
  • Crilly, Ciarán. 2011. "The Bigger Picture: Ligeti’s Music and the Films of Stanley Kubrick". In ;;György Ligeti: Of Foreign Lands and Strange Sounds, edited by Louise Duchesneau and Wolfgang Marx, 245–54. Woodbridge (Suffolk) and Rochester (New York): Boydell & Brewer Ltd. ISBN 978-1-84383-550-9.
  • Cummings, Robert. n.d. "György Ligeti: Artist Biography". Allmusic website (Accessed 22 October 2013).
  • Duchesneau, Louise, and Wolfgang Marx (eds.). 2011. György Ligeti: Of Foreign Lands and Strange Sounds. Woodbridge, Suffolk: Boydell Press. ISBN 978-1-84383-550-9.
  • Drott, Eric. 2011. "Lines, Masses, Micropolyphony: Ligeti's Kyrie and the 'Crisis of the Figure'". Perspectives of New Music 49, no. 1 (Winter):4–46.
  • Gann, Kyle. n.d. The Music of Conlon Nancarrow.
  • Floros, Constantin. 2014. György Ligeti: Beyond Avant-Garde and Postmodernism, translated by Ernest Bernhardt-Kabisch. Frankfurt-am-Main: Peter Lang GmbH, Internationaler Verlag der Wissenschaften. ISBN 978-3631654996
  • Griffiths, Paul. 1997. György Ligeti. London: Robson Books. ISBN 1-86105-058-5
  • Griffiths, Paul. 2001. "Ligeti, György (Sándor)". The New Grove Dictionary of Music and Musicians, second edition, edited by Stanley Sadie and John Tyrrell. London: Macmillan Publishers.
  • Griffiths, Paul. 2006. "Gyorgy Ligeti, Central-European Composer of Bleakness and Humor, Dies at 83". New York Times (13 June).
  • Iverson, Jennifer Joy. 2009. "Historical Memory and György Ligeti's Sound-Mass Music 1958–1968", Ph.D. thesis. Austin: University of Texas, Butler School of Music.
  • Jones, Elliott. n.d. "Micropolyphony". candelalearning.com. Retrieved 22 November 2015.
  • Kozinn, Allan. 2005. "The Prankster as Omnivore". New York Times (14 November).
  • Ligeti, György. 1957. "Zur III. Klaviersonate von Boulez" Die Reihe 5: "Berichte—Analyse": 38–40. English as "Some Remarks on Boulez' 3rd Piano Sonata", translated by Leo Black. Die Reihe [English edition] 5: "Reports—Analyses" (1961): 56–58.
  • Ligeti, György. 1958. "Pierre Boulez. Entscheidung und Automatik in der Structure 1a ". Die Reihe 4: "Junge Komponisten": 38–63. English as "Pierre Boulez: Decision and Automaticism in Structure 1a", translated by Leo Black. Die Reihe [English edition] 4: "Young Composers" (1960): 36–62.
  • Ligeti, György. 1960. "Wandlungen der musikalischen Form" Band 7: "Form—Raum": 5–17. English as "Metamorphoses of Musical Form", translated by Cornelius Cardew. Die Reihe [English edition] 7 "Form—Space" (1964): 5–19.
  • Ligeti, György. 1960. "Zustände, Ereignisse, Wandlungen: Bemerkungen zu meinem Orchesterstück Apparitions". Bilder und Blätter 11. Reprinted as "Zustände, Ereignisse, Wandlungen". Melos 34 (1967): 165–69. English as "States, Events, Transformations", translated by Jonathan W. Bernard. Perspectives of New Music 31, no. 1 (Winter 1993): 164–71.
  • Ligeti, György. 1978. "On Music and Politics", translated by Wes Blomster. Perspectives of New Music 16, no. 2 (Spring–Summer): 19–24. Originally published in German, in the Darmstädter Beiträge zur Neuen Musik 13 (1973): 42–46.
  • Ligeti, György. 1987. "A Viennese Exponent of Understatement: Personal Reflections on Friedrich Cerha", translated by Inge Goodwin. Tempo, New Series, no. 161/162: "...An Austrian Quodlibet..." (June–September): 3–5.
  • Ligeti, György, and Peter Sellars. "Le Grand Macabre: An Opera in Two Acts (Four Scenes) 1974-1977". Grand Street, no. 59: "Time" (Winter): 206–14.
  • Ligeti, György. 1988. "On My Piano Concerto", translated by Robert Cogan. Sonus: A Journal of Investigations into Global Musical Possibilities 9, no. 1 (Fall): 8–13.
  • Ligeti György: Paradigmenwechsel der achtziger Jahre. Österreichische Musikzeitschrift, (1989. jún.) 279–281. o.
  • Ligeti, György. 2001. Neuf essais sur la musique, translated by Catherine Fourcassié. Geneva: Contrechamps.
  • Ligeti György: Öninterjú. Muzsika, (2010. aug.) 333–343. o.
  • Lobanova. Marina. 2002. György Ligeti: Style, Ideas, Poetics. Studia Slavica Musicologica 29. Berlin: Verlag Ernst Kuhn. ISBN 3-928864-90-4.
  • Plaistow, Stephen. n.d. Liner notes to Ligeti: Chamber Concerto, Ramifications, String Quartet No. 2, Aventures, Lux aeterna. Deutsche Grammophon CD 423 244-2. Hamburg: Deutsche Grammophon.
  • Powrie, Phil, and Robynn Jeananne Stilwell. 2006. Changing Tunes: The Use of Pre-Existing Music in Film.[full citation needed]: Ashgate Publishing, Ltd. ISBN 0754651371.
  • Restagno, Enzo (1985). Ligeti. EDT srl. ISBN 8870630366.
  • Roelcke, Eckhard (2005). Találkozások Ligeti Györggyel. Beszélgetőkönyv.. Budapest: Osiris Kiadó. ISBN 963 389 790 4.
  • Schott Music. n.d.(a). "György Ligeti: Profile". Schott Music website (Accessed 14 January 2011).
  • Schott Music. n.d.(b). "György Ligeti: Chronology". Schott Music website (Accessed 21 October 2009).
  • Searby, Michael, 2010. Ligeti's Stylistic Crisis: Transformation in His Musical Style 1974-1985. Lanham, MD: Scarecrow Press. ISBN 978-0-8108-7250-9
  • Service, Tom. 2015. "Pierre-Laurent Aimard Opens a World of Imagination in Ligeti's Piano Music". The Guardian (20 July; accessed 11 December 2015.
  • Sire, Adeline. 2012. "Composer Mohammed Fairouz’s Orchestral Take on the Tahrir Square Uprising". "BBC/PRI The World" (25 January) (Retrieved 24 August 2012).
  • Steinitz, Richard. 2003. György Ligeti: Music of the Imagination. London: Faber and Faber. ISBN 0-571-17631-3; Boston: Northeastern University Press. ISBN 1-55553-551-8.
  • Taylor, Stephen Andrew. 2003. "For György Ligeti on His 80th Birthday: Ligeti, Africa and Polyrhythm". The World of Music 45, no. 2 ("Traditional Music and Composition"): 83–94.
  • Toop, Richard. 1999. György Ligeti. London: Phaidon Press. ISBN 0-7148-3795-4.
  • Tusa, John. [2001]. "The John Tusa Interviews: Transcript of the John Tusa Interview with Gyorgy Ligeti". BBC Radio 3. www.bbc.co.uk (Accessed 23 January 2012).
  • Wihuri Foundation. n.d. "Wihuri Foundation for International Prizes". ( Accessed 5 March 2010).
  • Wilson, Peter Niklas. 1992. "Interkulturelle Fantasien: György Ligetis Klavieretüden Nr 7 und 8". Melos: Jahrbuch für zeitgenössische Musik 51 ("Klaviermusik des 20. Jahrhunderts"): 63–84.

関連項目

典拠管理

案内メニュー

個人用ツール

名前空間

変種

その他

  • Wikimedia Foundation
  • Powered by MediaWiki
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%