コンロン・ナンカロウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これはこのページの過去の版です。2602:ffc5:20::2:c1db (会話) による 2016年2月12日 (金) 04:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。
This is an old revision of this page, as edited by 2602:ffc5:20::2:c1db (会話) at 2016年2月12日 (金) 04:15. It may differ significantly from the current revision.

移動先: 案内検索
コンロン・ナンカロウ
Conlon Nancarrow
Michael Daugherty et al at ISCM World Music Days 1982.jpg
左から、リゲティルーカス・リゲティ、リゲティ夫人、ナンカロウ、マイケル・ドアティ
1982年、オーストリアグラーツでのISCM World Music Daysにて撮影
(著作権者・マイケル・ドアティ
基本情報
出生 1912年10月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アーカンソー州テクサーカナ
死没 1997年8月10日(満84歳没)
メキシコの旗 メキシコメキシコシティ
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家
ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽
コンロン・ナンカロウConlon Nancarrow1912年10月27日 - 1997年8月10日)はアメリカ生まれで、メキシコへ亡命した現代音楽作曲家自動ピアノ(Player Piano)のための作品群で知られる。

略歴

スペイン内戦スペインに渡り、スペイン共産党に入党したことからアメリカへの帰国を拒否され、メキシコシティに居を定める。1955年にメキシコの市民権を取得。

作風

初期には『ソナチネ』などの器楽作品も見られるが、自動ピアノの可能性に目覚めてからはこの楽器を用いてリズムへの探求を行い、それは「自動ピアノの為の習作」という50曲を超える作品群へ結実した。これは、人間では演奏不可能な複雑なリズム構造を実現させるために自動ピアノを用いたものである。ヤングの『ウェル・チューンド・ピアノ』、ギュナー・ヨハンセンの『即興ソナタ』と並んで、改造ピアノの為に書かれた重要な作品群であり、現在もこの作品から影響を受ける作曲家は多い。
この作品群は当初から現在のような高い評価を受けていたわけではなく、ARGOからLP四枚組がリリースされた当時は「アメリカ実験音楽のひとつの潮流」程度の受け止め方でしかなかった。[1]しかし1980年代にリゲティがたまたまこのLPを入手し、「ナンカロウはヴェーベルンアイヴズに匹敵するほどの大作曲家だ」と高く評価し、リゲティの弟子マンフレート・シュターンケもこの作曲家を研究したことによってナンカロウは広く知られるようになり、WERGOからCDが、Schottから楽譜がリリースされた。
「カリリョとナンカロウはメキシコから音楽の連続体 - 前者はピッチ・後者はリズム - について大きな示唆を与えた」[2][3]と語ったのはメキシコの前衛作曲家フリオ・エストラーダ[4][5]である。現在では「リズム語法の祖」として、評価が確定している。2016年現在は自動ピアノのために書かれた作品を生演奏するピアニスト[6]も存在する。

自動ピアノの為の習作

当初の作品は、バルトーク配分法ジャズブルースの影響が露になったままで、単純にスピードを上げて捲くし立てる作品しかなかったが、次第に一本の線の極端な比率によるカノンの追求へ至る。プリペアード自動ピアノの経験[7]から、彼は自宅の自動ピアノのハンマーに金具のようなものを埋め込んでおり、そのピアノで録音されたものがWERGOによるリリースである。しかし、ユルゲン・フォッカーは普通のべーゼンドルファーアンピコで全曲の録音をすることを計画し、ナンカロウの許可が下りて実現された。MD+Gからのリリースやヨーロッパ初演の演奏は全てこれによる。
作品後期は、声部が全ての可聴域を完全に埋め尽くし、巨大な音像を示す類も多くその時期がナンカロウの全盛期と思われている。無理数比のカノンも実現させた時点で、彼は世界で初めて「五線譜に書けないリズム」を改造とはいえ生楽器のために達成した。二台のピアノ同士のカノン、つまり「メタ・カノン」すら実行した。但し、長年の病気で入退院を繰り返した後は、また単純なカノンの戯れに回帰し、程なくして亡くなった。
世界的に著名になったにもかかわらず、ナンカロウの自動ピアノのための習作は散発的にSchottから選集が発売されただけで、完全な全集の発売はいまだ実現していない。「私の全人生の追及、それはいまだ聞いたことのないリズムテンポの組み合わせの習作なのです」と語る一方で「単純カノンじゃないと、だめ。そのほかのカノンは耳で分からない」と経験則も踏まえたコメントも出した。[8]

晩年

急に著名になったことで生楽器からの演奏の委嘱も受けるようになり、アルディッティ弦楽四重奏団へ「弦楽四重奏曲第3番」を送った。「アーシュラ[9]のための二つのカノン」は当初3曲組だったが、3曲目は人間に不可能という理由で2曲のみで初演した。[10]自動ピアノのための作品は、イヴァ・ミカショフによるアンサンブルへの編曲がよく知られている。

プライベート

  • 公式サイトによると、二人目の妻Yokoは結婚当時すでにMakoを宿していた。Makoはその後学者として大成・現在も健在である。

脚注

  1. ^ マース・カニンガムが舞踊のためにBGMを用いたことはある。
  2. ^ julio
  3. ^ エストラダの博士論文「音楽の連続体」は彼らの研究がもとになっている。つまり、「細かく割ること」がどこまで許されるのかについてである。
  4. ^ Julio Estrada, Théorie de la composition : discontinuum – continuum, thèse doctorale, Université de Strasbourg, 1994, 932 pp.
  5. ^ estrada
  6. ^ Williams-Bugallo Piano Duoほか
  7. ^ 弦にものを挟み込んだりするものを試作したが、程なくして元に戻った。
  8. ^ 柿沼敏江が行った、ナンカロウ生前最後のインタヴュー
  9. ^ アメリカのピアニスト・アーシュラ・オッペンス。現代音楽の演奏で世界的に著名。
  10. ^ 3曲目はトーマス・アデスが初演した。

関連文献

  • Kyle Gann - The Music of Conlon Nancarrow (Cambridge University Press, 1995, 303 pp.)
  • Jürgen Hocker, another Nancarrow specialist, published Begegnungen mit Nancarrow(neue Zeitschrift für Musik, Schott Musik International, Mainz 2002, 284 pp.)
  • 中ザワヒデキ - 1998年3月号「ユリイカ」誌(青土社)の特集「解体する音楽」「作曲の領域 ~シュトックハウゼン、ナンカロウ~」
  • Hanns-Peter Mederer: „Experiment und Form.“ Beobachtungen zu Conlon Nancarrows „study no. 20“. In: Musik & Ästhetik. 10. Jahrgang, Heft 38, April 2006, S. 102–108.
  • Gregor Herzfeld: Nancarrows erhabene Zeitspiele. In: Archiv für Musikwissenschaft. 64/4, 2007, S. 285–305.
  • Monika Fürst-Heidtmann: Sinnlich-vital und intellektuell-strukturell. Conlon Nancarrow – ein merkwürdiger Sonderling. In: MusikTexte. 73/74, Köln 1998, S. 90–93.
  • Thomas Phleps: „Complex, but simple“. Conlon Nancarrows tempo-dissonierende Boogie Woogies und Canons für Player Piano. In: Constantin Floros, Friedrich Geiger, Thomas Schäfer (Hrsg.): Komposition als Kommunikation. Zur Musik des 20. Jahrhunderts (= Hamburger Jahrbuch für Musikwissenschaft. 17). Lang, Frankfurt am Main u. a. 2000, S. 175–205. (PDF)
  • Monika Fürst-Heidtmann: Die Musik von Conlon Nancarrow. In: Otfrid Nies, Klaus Marx, Rainer Berger (Hrsg.): Programmheft zur Documenta 7. Juli – Sept. Kassel 1982.
  • Monika Fürst-Heidtmann: Conlon Nancarrow. Ein altmodischer Avantgardist? In: FonoForum. 7. München 1983, S. 69–71.
  • Monika Fürst-Heidtmann: Conlon Nancarrows Studies for Player Piano – Time is the last frontier in music. In: Melos. 4. 46. Jahrgang. Mainz 1984, S. 104–122. (Korrektur der Druckfehler in Melos. 5, 1985, S. 82)
  • Monika Fürst-Heidtmann: „Ich bin beim Komponieren nur meinen Wünschen gefolgt“. Conlon Nancarrow im Gespräch. In: MusikTexte. 21. Köln 1987, S. 29–32.
  • Monika Fürst-Heidtmann: Conlon Nancarrow und die Emanzipation des Tempos. Ein Überblick über die Studies for Player Piano. In: Neue Zeitschrift für Musik. 7/8. Mainz 1989, S. 32–38.
  • Monika Fürst-Heidtmann: Conlon Nancarrow und die Emanzipation des Tempos. In: Klaus Wolfgang Niemöller (Hrsg.): Bericht über das Internat. Symposion „Charles Ives und die amerikanische Musiktradition bis zur Gegenwart“. (= Kölner Beiträge zur *Musikforschung. Band 164). Köln 1988, Regensburg 1990, S. 249–264.

外部リンク

典拠管理

案内メニュー

個人用ツール

名前空間

変種

その他

  • Wikimedia Foundation
  • Powered by MediaWiki
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%