文/乃至政彦(戦国史研究家)
変わりゆく戦国の軍隊像
戦国の軍隊像が揺れている。
ここ15年ほどの議論では、騎馬隊不在論と鉄炮三段撃ち批判が圧倒的だった。
「長篠では武田の騎馬隊が……」「信長は鉄炮の三段撃ちで……」と語り出したところ、別の歴史好きが「当時はそんなものなかった」と異議を唱え、場が白熱する。そんな光景に見覚えのある人も多いだろう。
ところが近年この論調に変化が現れた。
研究者たちが史料を丹念に読み直したところ、敵陣に切り込む騎馬武者や、鉄炮の連続射撃が、当たり前に実在していたと指摘され始めたのだ。
近年における戦国軍事論の進展は目覚ましいものがある。精緻な論考が重ねられる過程で、特に議論の変調を示したのは西股総生氏の『戦国の軍隊』(学研パブリッシング・2012)だろう。
西股氏は戦国時代を「領主別編成」から「兵種別編成」へと移行する時代と見ている。
中世日本には、五人組、百人隊、千人隊などといった古代ローマや中国を思わせる武装と人数に基づく軍事組織がなかった。その場限りの合戦に私兵を連れた領主が結集する軍事編成が一般的だった。
彼らは大将の部下ではなく、味方として戦争に参加する。領主の中には「大文字一揆」や「白旗一揆」でなど地縁に基づく中規模の軍事力を結成するものもあった。これらを領主別編成という。
大戦に赴く大将には、中小の領主をできるだけ多く味方にする才覚が求められた。そこに画一的な軍事編成を整える思想はない。
ただ、個々の武技と剛毅ばかりが幅を効かせた。侍たちは「わが太刀に続け」と雄々しく馬を駈らせる。これを見た者たちも「われ劣らじ」と飛び出す。これが中世中期頃までの戦闘の様式だった。
ところが戦国時代後期になると、これら雑多な「軍勢」が、旗・鉄炮・弓・長柄・騎馬(侍)の武装と人数に基づく「軍隊」へと仕切り直されていく。西股氏のいう兵種別編成への移行である。
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