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20歳のころ、
父のレストランが無くなって、自分の夢も散ったような感覚で脱力と焦燥感の日々でした。
大人になったら、自由になって楽しい人生のはずだっていう期待をあっさり裏切られて普通以下の会社員生活。
夢も何にも無かったよ。
色んな国に行きたい、色んな人に会いたい、旅をしながら仕事をしたい、投資をしたい
漠然と自分に都合のいいことばかりを想像して、「あったらいいな」と思っていました。
日々、現実の自分を見ては落胆しながらも、そういう妄想をしていたのですが、いつの間にか妄想が本当になってきたような今日この頃です。
ただし、殆どの人にとって、夢はただの夢で終わるみたいで、夢で終わる人と現実になる人の違いは、行動するか否かだけだと思います。
二十歳のころ、怖がりの自分に向かって、
「もっと、フットワークの軽い自分になれ!」
そう、毎晩お祈りしながら寝ていたものですw
何事も実践するという課題を自分に課していたのも事実だけどね。
空港でダライラマの本を買いました。
最初のページに。
・人生の目的は幸せになること
ってありました。
そして、その幸せって、自分でしか決められないんだって。
私はどうやったら、ずーっと楽しい人生を生きていけるのかな?ってそんなバカなことばかり考えて生きています。何らかの不当なことを甘んじて受けるなんてことは、自分の人生にあってはならないと思っています。
会社が給料ごまかしたり、上司がハラスメントしてくるなら、戦うなり、戦う時間が勿体無くてやめればいいと思うし、自分のことを裏切る人とは縁をきるべきだとおもう。
幸せって、幸せになる要素ばかりを追いかけるのも大事だけれど、不幸だと感じる要因を徹底的にリストラしなければ、片手落ちだよね。
ずーっと自分のなりたいものの像が曖昧でした。
それが、二十歳のころの悩みです。
投資をして、自分の好きなことして、物書きして、海外行きまくって・・・
そういう夢想をしていましたが、二十歳の頃、1998年のパソコン普及率の低い時代(テレホでネット接続の時代です)にそんな理想の仕事なんてこの世にありませんでした。周囲からは現実的に物を考えろって、笑われました。
世界中を旅しながら仕事するのはどうしたらできるのか?
英語も話せない(TOEIC215点でしたw)のに世界中に遊びに行きたいなんて夢ばっかり見てたんだけれど・・・
ネットの普及、航空技術の進歩という自分の努力の外の世界での発展が、自分の曖昧な夢をかなえてくれました。まさに棚ボタです。
夢を見ていると笑われてから10年以上が過ぎて、いま言えることは「私はあの時代には無いちょっと先の時代を夢見ていただけなんだな」ということです。20代の夢は、未来の現実という可能性を秘めていて、それは大人には見えない世界です。
20歳のころ、あなたの夢。
曖昧で自分自身でもクリアに見えない。
それは、今の時代に無いものをあなたは描いているからで、
引けを感じることなど何も無いというのが、
私の出した答えです。
自由を求めていました。
それが何がどうなったら「自由」だという定義もないままに、自由を求めていました。
なにもかもがんじがらめの10代から20代に入ったから、全ての束縛から解放されたいと願ったという漠然としたものです。
度重なる恋人との破局も、とどのつまりは自分の「行動の自由」が理由だったのかな。
恋人のビジネスの拠点に、自分という人間が縛られるのがどうしても許せませんでした。
愛よりも自由が大事だという心に生まれるのは固定観念世界での女性の幸せを放棄している状態に等しいのではありますが、人生で何度か自由よりも愛を選んだステージもあり、その選択が自分の人生を破壊していたという事実も認めなければいけないのでしょう。
自由
自由のことを考えると、二十歳のころ、
「経済的自由が欲しい」
と思いました。
働かずに自由に生きていたい。
そう願っていたら、なんと「ねずみ講」や「詐欺師」みたいなのがいっぱい現れてビックリしました。働かずに生きてたいなんて、舐めた考え方に群がる虫みたいなものですね。
ファイナンシャル・フリーダム
という言葉が流行していますが、深田は働かずしてお金が有り余るという状態を望んでいるわけではありません。働かなくてもお金があったら、たぶん詰まらなくなって死んでしまうと思います。私の望むことは、好きなことを仕事にするために知恵を絞って、自分が浪費に狂わない程度のお金(この金額の算出が難しい)を稼ぐのが一番健康にいい状態だと思っています。
私は安直なファイナンシャル・フリーダムを求めてないんです。
働くの、趣味なので。
働くのが嫌=ファイナンシャル・フリーダムを求める
という人が多いのですが、この働くのが嫌の原因を解決すれば、
働くのが楽しい=ついでにお金もたくさん稼げる
という状態に変わるのです。働くのが嫌な原因のトップは、
1.人間関係
2.努力が反映されない
3.仕事がつまらない
だと思うので、楽しい仲間と楽しい仕事を選んで前に進める自分になるように日々努力あるのみです。
ちなみに、もえっこは大金持ちの家のお嬢様という噂や、有名投資家の愛人説が流れていますが、どちらもほどよくデマで、ちゃんと自活している人です。こないだは「深田さんは、上場企業の○○さんのお嬢さんなんですよね?」と聞かれて、驚いて倒れました。だから、父さん倒産したんだって!
経済的な不自由さが程よい刺激だと感じている変なオバサンです。
トレードを始めたい人は↓チェックしてね
アイネットFX口座開設オマケのリアルタイムトレードセミナーが終わりました。
パスワード配布数のうち、半分くらいご参加いただけたみたいです。
※この日参加できなかった方のために、動画を録画しています。
初回で、皆さん慣れていなかったからか、質問も控えめだったのでちょっと寂しかったかな?@fukadamoeで質問してくださいってしてたんですが、もしかして伝わってなかったのかな?と心配したり。
とかく、無事に終わりました。
皆で話していたんだけれど、このフォローアップセミナーを来月もしようかなと思っています。ただし、回線が持たないので先着順にはなりそうです。
次回、まだ日程は決まってないですが、フォローアップセミナー90分の後にもえこのお誕生会を延長戦でやろうかなと思っています。
日程が確定したら、またお知らせします!
今日はお疲れ様!
鈴木亜理紗ちゃんがメディアに取り上げられました。
写真のアップが「鈴木亜理紗さんの足」となっているのが笑えるかも。
読んでみてね!
ちなみに、彼女はマネーのうさぎで毎日コラムかいてます♪
~女の自由は難しい~
自分の母親が家庭に縛り付けられて、塞ぎこんでいるのをみて育ったからかそう思っていました。家父長制の厳しい家に育った一族縁者は、全て男性擁護派で、登校拒否をする私たち3兄弟、浮気をする父親などの家庭の問題を全て母に向かって「あんたが悪い」の一言で済ませていたのをよく覚えています。
~結婚って地獄だな~
と思いました。
離婚という選択肢が取りにくかった時代の女の生き様って悲惨です。良いパートナーであればいいとか、そういう問題ではなく、例えばパートナーが良くても、自分の生き様を体現したいというときにそれを前面に押し出せないという葛藤というか苦しさは常に存在します。
友達にはいつも「萌絵ちゃんって、どこか男性不信だよね」って言われるんだけれど、男性を信じられないというよりかは日本社会に根付く男性の考え方が信用できないという感じです。
だって、「愛しているから、俺のところに来てくれ」と恋人が言うとしましょう。
私はいつも、「どうして自分が付いてこないの?」と聞き返します。
あなたが私を愛しているから、私があなたのところに行くべきだと考えるよりも、
私を愛しているなら、地の果てまで追いかけてきてください。
と私は考えるほうです。
でも、結果的に彼らが選んだのは私じゃなくて、「家業が大阪だから・・・仕事が東京だから・・・」と自分の好きな場所を選んでいるわけです。そうなると、口先だけの男で、行動力と愛が足りないと思うのは当然で。
もしも、自分が、「世の中で彼だけ見ていれば良い」と思う人間であればついていけるでしょうが、色んなことに興味があるので自分はそうなれない。浮気がしたいとかそうじゃなくて、世界中に散らばっている色んな優れた人としゃべってみたいという欲求ってあるわけです。
恋愛って難しい。
恋愛が難しいのは、常に愛がお金や生活という現実との戦いになるからだ。
結婚して、家庭を振り返らないパートナーを待ち続けること。
家庭で起こった全ての問題を咎められること。
それは、太陽の照りつける砂漠で地平線を見つめているような錯覚を起こす。
フェイスブックを以前使ってましたが、あまりにナンパが多いので辞めました。
映画を見ると、これがナンパを目的に作られたものだからだということが分かったんだけどね。
ロイターニュースでSNSを通じて知り合った男女はベッドインまでの時間が短いとも書いてあったけど、そういうのを読むとさらに興醒めする感もあります。
私はmixiとかフェイスブックのclosed空間でいつも疑問に思うのは、地球上の全人口が参加したらGoogleとの違いがあまりないんじゃないかということです。
後は投資会社のオモチャにならないことを祈るだけです。
最近、再会した知人たちがまだ独身だったり、彼らもまた離婚していたりすると、「結婚しない?」とお互いに冗談を言い合うことが増えた。
お互い、どんな生活をしているかとか、仕事のベースがどこに束縛されているかとか、情報交換をしているうちに、
「やっぱり結婚ってあんまりメリットが無いよねー」
という結論にたどり着きました。
「萌絵ちゃん、結婚のメリットデメリットとか考えてたら結婚できないよ」
って言われるんだけれど、結婚というゲームで勝つには二つに一つの選択しかありません。
最高に自分にメリットがある結婚相手
※お金持ちという単一要素ではなく、相手が自分をどういう風にサポートしてくれるかという質的要素も含む
か、
最高に好きな人を結婚相手にする
くらいしかあり得ないよね。
そこそこに好きで、そこそこの結婚生活なんて、この世に存在しない。
愛で結ばれて、激しく愛で崩壊するほうが華々しくていい。
自由で安定した生活を求めていた。
30歳を過ぎると、この二つはトレードオフの関係にあると気がつきました。
安定した生活、例えばサラリーマンになるというのは自分の自由を売り渡すこと。
逆に自由な生活、自営業で自由に生きるというのは安定を犠牲にするということです。
昨日のアイネットFXでのフォローアップセミナー は、とても良い質問がありました。
「専業トレーダーになるにはどれくらいかかりますか?」
ということです。
不安定でも良ければ、今日会社を辞めて明日から専業でやるのも選択肢として常に存在します。ただし、池田ゆいさんもトモラニさんも私も専業トレーダーではないし、専業トレーダーであるメリットもあんまり感じてません。
専業トレーダーはかなり精神的にキツイです。
多くの知人が、自営業を営みながらトレードしています。
サラリーマンしながらトレードも楽しいでしょうが、自分の好きな仕事をしながらトレードをするのがトレードと仕事がちょうどよく気分転換になって理想的なんじゃないのかなと思います。
笑い話ですが、私は12月にさんざん買い物した(エルメス、フェラガモ、サファイア)にも関わらず、今月はまだトントンです。理由はトルコ旅行から東京に戻ってくるまで15日間相場を張ってなかったのですが、調子こいて雇用統計の夜にポジションを持ちすぎてやられましたw
調子を取り戻すまではポジションサイズを小さくしてトレードしてましたが、けっこう顔面蒼白の日々だったよ。
というボラタイルな生活に精神が持つか持たないかという、トレードと別次元の問題が生じます。
生活が不安定だと精神的にマイナスの影響を受けて、トレードと恋愛はうまくいかないです。
自分でもこんな生活していて、自分が「賢い投資家」というよりか「頭おかしいおネエゃん」だなあと思うこと多々ありです。
でも、堅実なOLライフはいつでもできるので、しばらくはリスク愛好家としてクレイジーな生活をしておきます。が、他人に奨められません。
専業トレーダーになることが、トレーディングの目的ではなくて、あくまで生活に花を添えるエキストラマネーだと割り切ったほうが気が楽だし精神的にいい生活が送れると思います。
自由と安定はトレードオフ。
ある程度の自由と、ある程度の安定の維持というバランスがいいんじゃないかな。
なんだか心が乱れているように思う。
うまく考えがまとまらないな。
今日は私の歪んだ恋愛観について書こうかと思ったけれど、人それぞれ歪んだ恋愛観を持っているので、歪む角度の違いでしかないと思うと、それは対して面白くないナとも思った。
自分の恋愛観をいかにうまく他人に伝えられるかというヨコシマな考えで、なんだか気分が揺らいだようです。うまく伝えるということ、こういう「うまく○○する」という小手先の考え方が基本的に好きではないので、そういうことを自分が考え始めると調子を崩します。
下手でもいいからやる。
それに越したこと無し。
それと、
今日は暴言を吐いてしまいました。
ある人が、あまりにも「君の事を理解してあげられる」と主張してくるので、どう私を理解したらそういう解釈になるのか長い間疑問に思っていたこともあり、「自称理解者と語る偽りの理解は必要ないです」とポロッと口にしてしまいました。
解釈は他人の自由、言論もその人の自由。
それなのに、
「あ、そうですか。ありがとう」
と言って、そしらぬ顔をできなかった未熟な自分を反省する今日この頃。
20歳のころ、自分という人間の存在に悩みました。
いや、それ以上にもっと以前、10歳になる前から自分は変だということを知っていました。
何が変なのかは分かりませんでしたが。。。ちなみに、今でも何が変なのかよく分かりませんw
10代、20代の自分という人間に流れる生まれ持った天然成分は、社会と私を結びつけることを拒み、ずーっと社会とのズレが生じたまま、歯車はかみ合わずにきてしまうのです。
なにが悩みかと言うと、自分が普通にしているつもりでも、周囲からはお叱りの言葉です。世の中の平均は何かということを常に考え続け、皆が一般的に応えるような答えを常に用意して、皆が振舞うような振る舞いをコピーしながら戦々恐々と生きているわけです。
それでも、フとした瞬間に出る自分の素の部分が、大事な誰かを不快にさせていたり、知らないうちに嫌われたくない人に嫌われる原因だったりします。
そして、それが殆どの人間が持っている悩みだったんだなということを30歳にして知りました。
誰も言葉に出さない空気を読み続ける日本人の苦痛たるものなんたるかといつも思います。
そして、この前ふりがどこに帰結するのかというと、それがさっきのブログでカチンと来た『理解』という言葉です。
多くの人が、「君を理解してあげられる」と現れては消え、現れては「理解できない」と言って去っていきます。しかも、私は理解してほしいとか思っていなくてもそうなのです。わざわざ、宣言して近寄ったり、去ったりするくらいなら、放っておいていただきたいと思うのは人間の性でしょう。言われるほうも、けっこう疲れるのです。
私は物を書きます。
そして、ブログを書き始めてもうすぐ11年です。
恐らく、ブロガーとしてはかなり長い歴史を持っています。
最初は自分という人間の説明でしたが、理解を求めるのではなく、単なるどうして自分が何の説明をも口にせずにそういう行動を取るのかという説明でした。理解を求めなかった背景は、理解できないといわれなれていたからかもしれません。
でも、こうやってブログを書き続ける理由は、理解を求めるのでなく、共感を求めているのです。
私が何か弱音を吐いたときに、「実は自分もそう思っていた」と誰かがコメントしてくれることを心のどこかで期待しているという姑息な人間なのです。
だからこそ、「君を理解してあげよう」という横柄な言葉に苛立ちを覚えるのでしょうか。
理解
理解というのは、頭で行う処理です。そして、多くの頭のいい人たちは、私が何かを思って行動した結果を見て、
「この子はこういう子なんだな」と一般化して、理解します。そして、一般化の手順が正しいか否かという自分の判断を差し引いて、私がその規格外の行動を取ると「やっぱり理解できない」と口にするのです。
そんなこといちいち言うくらいなら、黙っておけばいいのに。
何を上から目線で「お前のことを理解してやろう。フムフム」とポーズを取っているんだろうと深田は思ってしまいます。理解しようと努力すると、その人に負荷がかかってストレスが溜まり、「理解できない!」と怒りが爆発して自分に返ってくると、なんか頼んでもしていないことでトバッチリを受けたような気持ちです。
一方、
共感
共感は感じることです。相手の心に自分の心がジーンとくることです。
子供の頃、母親には「萌絵ちゃんって、本当に奇人変人で理解できないわ!」と言われてました。親に理解を求めて生きているわけではないですが、それなりに傷つきます。それが、母親が時とともに成長してくると、「萌絵ちゃんって本当に変って言われるわね~。ママも変だったのよね~」と言うようになりました。
そう、私は誰からの理解も欲しずに生きていますが、誰かに「私もそう思ってました」という一言を求めて生きているのだと思います。
自分に流れる天然成分、それは生まれてきたときに天から与えられたもの。
天然の自分を適当に切り刻んで味付けして、社会にあわせようとするだけで生きることは苦痛になる。
理解されようと努力する自分。
努力すればするほど、お互いが「分からない」ことに対してストレスが溜まる。
分からなくていいじゃないか。
分からなくても、ときに相手に流れる天然の部分を『良い』と感じることがある。
それで十分じゃない?
他に何を求めるの?
人間は三つの要素でできていると、アメリカから来た知人が言ったことがあります。
頭と心と身体という3つの要素です。
この3つが一致しないと、人間は調子が狂うらしいのですが、確かにそうだなぁと思います。
恋愛が一番この3つの要素の不一致が表面化する事件です。
昨日は「理解なんか求めて無いやい」と強がりを言いましたが、せめてパートナーくらいはという淡い期待があります。お互い好きなのに、なんとなくうまくいかないというのは、心で相手を愛していて、頭で理解できなかったという片手落ちの状態なのです。そして、お互い好きで、身体の相性も良くて、お互いイマイチ理解に苦しむというのが恋愛ではあり地獄状態です。心と身体が相手を求めるけれど、普段の生活をしてみると全く合わない!という事件の原因がこれです。
相手のことが好きで理解もできるけれど、身体を求める気にはならない。
これは、理想の友達の状態。私とゆいちゃんの関係です(爆)※本当に恋人かって言うくらいお互いが好き。ニャンニャンだけはしてないです。
愛とセックスだけで恋愛は前に進むけれど、やはり最後に現実の生活とそれぞれの持つ天然の人生習慣という壁があります。
ただし、恋愛に立ち入るまえに、自分の理想の状態について心と頭にお伺いを立てなければいけません。自分の心と頭と体力が一致している状態で、はじめて恋愛に突入できるのでしょうか。
20代は気持ちの赴くまま、肉食として駆け抜けてきましたが、そろそろ恋愛でも頭使わないといけない年頃になってきたようです。
交通費が膨らみすぎているので、地下鉄に乗りました。
知人に「えっ!深田さん電車乗るんですか?」って聞かれました。
私、庶民だから、あんまり無駄な出費って好きじゃないんだよね。
前の会社でタクシーに乗るクセがついちゃって直したいなと思っているところです。
今年の抱負は悪習慣の改善です。
電気つけっぱなしとか、無駄な出費をリストラします。
昨日はわが愛する日本国家の国債が格下げの憂き目にあいました。
一瞬円は売られましたが、冷静に考えるとS&Pの格付けにどこまで信憑性があるのかという疑問は、サブプライムショックで明らかになった気もするので円売りは一瞬で収まりました(笑)
なんで、日本がAA-で、アメリカがAAAやねん!
台湾と同じでスロベニアとスペインよりも下というけっこうナゾな状態です。
10年前から思っていたけど、S&Pはいったいどういう頭で格付けしているのか疑問やわ。ホンマに。
どうやったら、リーマンショックの震源地アメリカの格付けAAAで維持できんの?
ホンマいい加減なオッサンやな~
と一瞬関西人に戻ってしまいました(笑)
サブプライムショックの原因も作ったのがこの会社なのに、いつまで君臨しているのかと思うと・・・ため息でます。