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- 10/29/11--22:18: _傷だらけでも前を向くか
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叶わぬ恋が楽しいように、夢も叶う一歩手前、夢見ているうちが楽しいのだなと思う今日この頃です。
色んな夢を見て、夢が叶って、たいがい叶った夢で地獄を見るわけですが、それは憧れて付き合った男が冷たい男だったという現実と似たようなものですね。
10年前は、『将来は翻訳や執筆の仕事ができたらいいな~』と夢見ていましたが、いざ、翻訳の仕事が来たときには、最初のころはマジ泣きしながら、最近は一行翻訳しては残りの文字数を数えてと、夏休みの宿題状態です。
10代や20代は夢が叶わなくて苦しい、30代は叶った夢が苦しいのだなと思う今日この頃。
叶わない道のり、叶ったあとの道のりを楽しむ心構えになろう。
中国の四川は麻婆豆腐を筆頭に激辛料理で有名な地方である。
そして、冬は染み入るほど寒いこの地域では、火鍋と呼ばれる激辛鍋料理も有名だ。※火鍋は地方によって内容が異なる。
ある四川の有名食べ放題しゃぶしゃぶ店に入った知人は、レストラン入り口でお金を払うと箸と器を渡された。
さらに進むと、そこには直径二メートルほどの巨大な鍋があり、二十人以上の人間が所狭しと半身になって鍋を囲んでいた。
なんだろうと思っているうちに知人はそこに通され、なんとその鍋は見知らぬ者同士が一つの鍋をつつきあうという食べ放題システムであった。
肉は別料金だというので、注文してみると、店員がサッと肉を投げ込むと同時に関係ない人々が生煮えの肉をかっさらっていく。
あっという間に肉は消えたので、再度オーダーしたが無駄だった。
見知らぬ人々の箸にかかると、肉はあっという間にちりぢりとなり、鍋の藻屑と消ゆのだ。
彼はその四川しゃぶしゃぶが心の傷となり、今では日本のしゃぶしゃぶと聞くだけで気分が悪くなるそうな。
モチベーションに関して、もえこ個人的な意見は。。
モチベーションが保てないのは、やりたいことと無意識にやらなければと思うことがごっちゃになったり、やっているうちに飽きてきたりするからじゃないかな。
私は飽きたら違うことします。飽きるには理由があると思うし、飽きることが悪いこととは思わないの。
モチベーションが下がったら、下がった理由を考えて、人間関係なら違うグループで同じことやればいいし、それそのものに飽きても難易度が上がればモチベーションが上がるときもある。逆に、実力よりはるかに難しいことなら理解できなくてやる気を失うこともあります。
モチベーションが下がったことについて、他人に説明がつかないことがストレスにもなりますが、相手が親であろうが何だろうがわざわざ詳細に語る必要もなく、一番大事なのは自分がどうしてイヤになったかを突き止めることだと思う。
私も会計士の勉強していたけど、途中でモチベーションが下がりました。仕事上での関連性が下がってきたり、リーマンショックで上場企業が数百社消えるに伴って会計士の仕事もなくなり、勉強の内容が実務から離れると面白くないし、気の合う講師の先生は既に仕事仲間に引き入れちゃったし、そうなると会計上分からないことは全て彼に聞いて確認すればいいし、親はもっと勉強しろとガミガミ言うけど仕事上で資格が必要ならまたその時モチベーションが上がるから慌てなくてもいいかなと。
賢い生き方ではないけど、例え短命でも情熱を注げる先に夢中になると悔いがないと思う。
長続きしない恋愛と分かっていてもその時にしか愛せない人もいるし、でもその時にその人に情熱を注げなかったら、自分のなかの情熱そのものが死んでしまう。
飽きっぽく見えても、飽きたら次と百個くらいまで色んなことをやれば、そのうち誰かが
お前ってスゴいね
という人も出てくると思う。
でも、懸念事項は、モチベーションが下がったのではなくて、ハートのパワーが下がったとき情熱そのものが消えてしまいそうなとき。恋愛の傷は新しい恋愛でしか癒せないし、失われた情熱は、新たな情熱で燃やすしかない。
私も燃え尽きちゃって、燃えカスに無理やり火をつけて走っているようなそんな無力感が二年間続きましたが、新しい情熱を燃やせる先を見つけて復活できました。
一般的には、癒やしだなんだと言われてますが、私は傷が癒えたところで!と欲張りなほうです。
モチベーションが下がったら、下がるなりの理由が自分にあるのだからいいじゃないですか。
高いモチベーションを燃やせる新しい何かを見つけるのではダメですか?新たに何かをやってみて、振り返ると良さが分かってモチベーションが高まるときもありますよ。
一番大事なのは、自分の頭と心が納得できる回答を求め続けることかもしれない。自分勝手と呼ばれても、自分のために生きないと人生の手応えが見つからない。そこからモチベーションって自然に高まるんじゃないかな。
回答
モチベーションが下がったらやめる。そして、モチベーションが高まる他のことをやる。でいかがですか。
長い長い夢を見ている気がして、ハッと目が覚めるとまったく時間が過ぎていないなんてよくあること。
思考の世界では時間が早く過ぎていくように感じられる時があります。
きっとそれは現実の世界では相手の都合やレスポンスを待ったり、土日祝日の営業外の時間があるのに、思考の世界ではその時間をスキップして自分の都合で物事を進められるから、自分の夢のスピードとは違う現実世界のスピードに苛立ちを感じたりするよね。
後は、いくら自分が自分の提案が素晴らしいと思っても、提案する相手は毎日提案書を受け取って、月間何百という量をこなしている。
となると、凡庸な提案書を作ってはいけないかもしれないし、自分の提案が凡庸なら相手が一緒にやってみたいと思うように提案内容を語らないといけない。
時には相手の誤解で白紙になるだろうし、そのうち誤解を招かないトークが身につくかもしれない。
なんて、あーだこーだやっても、自分の望みと現実のスピード感はあわなくて、夢は叶わないのかと絶望しそうになるけれど、焦ってるのは自分の体感時間が違うからなんだろね。
夢が叶わない失望は、夢が叶った後の失望に比べれば大したことじゃない。片思いの苦しみは、付き合ってからの苦しみに比べたら、ただの想像だったように思えるのに似ているかもしれない。
慌てなくても、失望しなくても、まだまだノンビリ夢に向かっては一喜一憂するのが人生の楽しみなんだろうな。
人生は宇宙みたいなところがあるね。
自分の想像以上に果てしなく広い。
宇宙船は少しでも角度をまちがえると、宇宙はそのあまりの広さに宇宙船を全く違うところに導いてしまうんだって。
そして、同じ一キロでも空間が違うから長くなったり短くなったり、それでも同じ一キロらしいです。
私たちには宇宙の形は分からない。
宇宙の形は外からしかみえないから。
生きるということも、宇宙を彷徨うことに似ている。少しでも角度がそれたら、努力の果てにとんでもないところに辿り着きます。
自分で自分は見えないし、自分は自分の外に出られない。
同じ時間の努力でも、時にはあっという間に進んだり、遅々として進まなかったり。
私もむかし、ジャーナリストになりたいと思って、早稲田大学に入ったら、なんだか株アイドルになってました。あれれと思っているうちに、日本では、ジャーナリズムは無いし、不正議と戦うジャーナリストは書く機会が少ないのだなという現実にもがっかりしたよ。
どんな会社に入っても、自分にとって納得いかないことが多いし、納得できないときは思い切りぶつかったり、ボイコットしたりして、まぁ私はまともな大人では無いです。
そして、苛立つのは大人ではない かというとそうでもなく、苛立つのは、それだけ自分が真剣に生きている証拠だと思う。
苛立って、幻滅して、絶望するくらいに自分が立ち向かわないと、そういう気持ちは味わえ無いんだよ。
淡々と仕事をしていられる人が羨ましいと思ったこともあるけれど、その中で充実している人は実は少ないし、「淡々と仕事して金もらって、余った小遣いで好きなことするか」という諦めの人生なのかもしれない。
友達でもいるよ。普通に会社勤めするのが正しいことだと信じて勤めているうちに、何もやりたいことやらずに十年が過ぎて、なんだか胸のなかが虚しさでいっぱいになっている人は。
その人たちも宇宙で迷ったのかもしれないよね。出発時点で真っ直ぐ向かっているつもりが、少し角度がズレて気が付いたら目の前に星の光はなかったと。
十年も過ぎてから虚しさでいっぱいになるよりも、いま努力して苛立つことはなんて幸せなんだろうと思う。
目を逸らさずに、自分と対話し続けているから、自分の高い目標と現実の自分のギャップに苛立つのだと思う。
大事なのは、掲げた目標が自分にとって魅力的かどうかだよね。自分が向かう価値があるかどうか。夢や目標に高すぎるなんてことはないから、ケチらずに景気のいい目標を抱えてください。
少なくとも、今の苛立ちは十年経ったときに、きっと誰かが同じようなことを相談にくると思う。相談にきた誰かは、苦しんだことのない人には何も聞かないでしょう。それにいま、私は誰かの相談に応えているようで、実はいつかの自分と再会して、自身が挫けないで欲しいと願っているだけかもしれないしね。
昨日は妹と深夜のアイスクリームを食べたよ。
妹は何十万人が勤める大企業十年選手、たまに新聞に写真が乗るくらいクラブ活動に活発。(姉が言うのも何ですが妹は美人だから。。。)妹曰わく、会社は友達がたくさんできるから楽しいと。もえお姉ちゃんみたいに自由な生き方はすごいと思うけれど、今充分に幸せだと。
会社員生活大満足みたい。
同じ家庭に生まれても、遺伝で流れる気性が似ても天から与えられる性分は違います。
私も企業勤めは憧れたけど、ルールが多すぎてついていけないもの。
自由の代償は収入の不透明さ、正直、お金がたくさん入ってくるときもあれば全くないときもあります。
ルールの縛りの厳しさと、資本主義社会に丸腰で生きる厳しさ。
どちらも厳しい選択肢ですが、厳しさの体感温度は個人個人の天性と生きてきた環境によって違うんでしょうね。
しかし、今日は冷えるなぁ。
仕事で大阪に寄ったんだけど、新幹線のチケットの手配が間に合わず、母親に電話して買って届けて貰いました。
アメリカ人のアテンドをしていたので、最近は英語の先生をテナントに入れてる母の英語を披露させてあげようと思い、英語で世間話をするように言ったら、最近自転車を盗まれて保険で新しい自転車を買ったからハッピーだという話をするといって、
"I was stolen by bicycle"
とアメリカ人に言った。
目が点になった。
「か、母さん、それは私の自転車が盗まれたという意味にはならず、私は自転車に盗まれたという意味になるよ。。。」
と言ったら、一緒にいたアメリカ人が、
「他に盗まれたいものはありませんか?」
と、母にジョークを言い、母さんは、
「マイ ハート
と言って帰っていった。
アメリカ人が、
「君のお母さんは、アクティブだね!」
と言ってくれたけど、彼女の英語はアクティブ(能動態)じゃなくて、パッシブ(受動態)だったと私は応えた。
iPhoneからの投稿
気がつけば、風邪をひいてひと月が過ぎました。
頭痛がおさまったら熱が出て、熱がひいたと思えば、喉の痛み、声が出るようになったと思えば今度は咳が止まらない。と思っているあいだに一ヶ月も経っていた。藪医者め。
同じような生活をしているアシスタントの女子に「萌絵ちゃん、本当に身体弱いんですね」とコメントを受ける。
ちょっと前に、お気に入りのメンズができた。
ところが仕事が立て込んで、忙しいなーーと思っているうちにメールするのをほったらかして、そういえばメールの返信してなかったと気がついた。
恋愛は、逃げられたら追いかけたいし、追いかけられると逃げたくなるし、忙しいとかまってられないし、恋愛より面白いことがあるとフッと相手のことを忘れてしまう。
それでも、今まで好きになった人のことを順番に思い出すんだよね。
今日は篤姫を見ていて、徳川家定が堺正人なんだけれど、この人が十年以上前に付き合っていた人にそっくりだったことに気がついた。狂っているのか、頭がいいのか、見極めがたい雰囲気がさらにそっくりで驚いた。
どういう風に別れたのかすら、もう思い出せないけれど、アルカイック・スマイルの彼の寂しげな姿だけが焼きついている。
すごい大手の企業に簡単に踏みにじられることがある。
百パーセント勝てなくても、相手に好きなように振る舞っても許されると思わせない為に、たたかわないと いけない。
復讐を試みてはいけない、あくまで自分が正しいと思うことのために戦うだけ。
弱虫だから、また負けるかもしれない。泣き虫だから、また泣くだろう。
でも、十回や二十回負けたくらいでは、何故か納得のいかない分からず屋のわたし。
iPhoneからの投稿
二十一歳の時、ファイナンシャルプランナーの勉強を始めたけれど、無用の長物だと気がつきました。
ファイナンシャルプランニングって、まともな職につけた中年向けのテキストで、雇用が安定しない現代では役に立たない。
保険の見直しで人生が楽になるわけないよね。
ところで、世界では若者が仕事がないために、社会と戦っている。
充分勉強はしたろうし、日本人だって戦わないといけない時なのかな。
SG証券のアルバート・エドワーズが警告。中国にこれから投資に来る者はいないと。
それまでのGDP成長は不動産投資によって支えられてきたけれど、こんなに不動産投資にGDPが支えられている国をみたことがないとも。
9月の中国の不動産市場は、70の主要な都市のうち、46都市の不動産価格が急落したそうです。
中国全土の不動産ローンは7.8兆米ドルに上るらしく、それは欧州五カ国を合計した二倍にあたるそうです。
ニュース↓
http://www.nownews.com/2011/10/29/162-2753257_1.htm
当分、中国株には触れないな。
NASAに技術を提供していたサイエンティストと喋っていたよ。
人間の才能はどんどん消えていっていると嘆いていました。
NASAを金融系の人間が管理するようになってから、もう新しい技術は出てきていないと。
1950年代、60年代はあんなにも人類は宇宙への夢を持って飛び立ったのに、もうあの頃の技術は取り戻せないんだって。
技術は発達していっているのだと思っていたから、ちょっと驚いたよ。
今から50年前は、人類はペンで紙にフリーハンドで設計図を書いて宇宙へ飛び立った。
スーパーコンピューターが発達した今では、コンピューターに頼りすぎて、人間はその能力を失ってしまったよと。
宇宙へ行った飛行士たちは、帰ってきてからあまりの悲しさに何年ものあいだカウンセリングを受けたんだって。
宇宙が美しくて、心が安らいで、暖かい気持ちになって、
色んな人とと心が繋がっているような感覚なんだと。
それが地球に帰ってくると、心が冷たくなって悲しすぎる。
地球にいると、例え家族がいても自分がどれだけ孤独かと、
そういう気持ちになるんだって。
でもね、その宇宙飛行士の気持ちはわかる気がするなぁ。
子供の頃、いつも凄く寒かった。
今思えば、心が寒かったんだね。
海外ではオリンパス事件でてんやわんやの騒ぎです。
↓日本語記事
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/business/newsengw-20111025-01.html?pageIndex=1
海外では、この事件は日本政府も絡んでいると大騒ぎ、買収された側の社長さんは無理やり契約書にサインさせられ、サインしたためにクビになったということでフィナンシャルタイムズにたれこみ、監査法人を連れて調査したところ、会社は数百億円しか受取っていないのに買収価格は2000億円ほど、仲介人が680億円ほど受取っていたことを発見。30%にも上る法外な手数料はBVIに送られて、イギリスは口座に入金することを拒否、マネロンのかどで国際警察に訴えたそうです。
大企業の社員が一丸となってこういう手口を繰り出すことには、なんだか日本の伝統を感じるなあ。
日本人って、赤信号を皆で渡れば怖くない、集団いじめをした後は先生が証拠もみ消しに奔走する文化なの?
金曜日は数千人の従業員を率いる某大手企業の取締役が2人出てきて、これまで私達と話し合ってきたことを「聞いたこともないし、サンプルも見たこと無い」とウソをつきました。
一年間、お互いの会社を行き来して、アメリカにも中国にも一緒に企業訪問したのに、「そんなことはありませんでした」と彼らは言った。
勝ち誇った取締役たちの顔を前に、仲間が「アメリカのうちの会社に来たよね?」と言ったけど、現場に行った人たちは誰も何も応えることができなかった。
帰りに、自分たちが事実を折り曲げて会社の都合のためにウソをついた人たちは、俯いて歩いていた。
それはそうだと思う、
会社に無理やりウソをつかされて、犯罪に加担する。
それほど、惨めな生き方は無い。
リーマンショック後の金融機関のサラリーマンの話を思い出した。
その営業マンは元本吹っ飛ぶどころかマイナス数十億円の損失が出る金融商品を売り、自分には罪は無いと言い通し、最後にはいくつもの顧客から訴訟されて、寝ずに裁判に出続けた。
最後、会社は彼の首を切り、「現場の人間がやったことなので会社は関係ありません。訴訟は彼個人に起こしてください」と被害者に言った。
会社のためにとウソを尽き続けた彼は、最後に会社の裏切りで全てを失った。
社会に出るとき、一生懸命に勉強してきた大学生はどれだ落胆するだろう。
胸を張って生きてこれた学生時代と違って、自分はなんて卑怯になってしまったんだろうと。
生きていく為に鬼になることを選ぶ人もいるかもしれないし、
何事も無かったように振舞う人もいるかもしれない、
あまりのショックに鬱になる人だってそれはいるだろう。
自分のウソを噛み締め、うつむき歩く人たちを見て、彼らは良心と行いとのあいだに挟まれて苦しんでいるのだなと思ったよ。
日本人が胸を張って前を見て歩けるのはいつの日になるんだろうか。