利尻島のトド猟師
俺が公務員としてトド猟をするようになってから4年、まだ俵静夫爺さんの足元にも及ばない。なんで、公務員なのにトド猟してるかって?知らないのか、まあいい。
利尻島はニシン漁が主要な産業だ。トドは毎年11月から3月のニシン漁の時期になると利尻島にやってきて、網にかかったニシンを食い荒らす。ニシンだけならまだしも網までズタズタにしてしまう。
毎年ニシン漁でトドによる被害は16億~20億円(水産庁)にも上る。世界的にトドは保護動物だというのはよく分かっている。しかし北海道でトドは害獣なのだ。
ある年トドは親父のニシンと網を食い荒らした。成績優秀だった姉は合格の決まっていた札幌の大学への進学を諦め、道内のリース会社に就職した。俺が何とか高校を卒業できたのは姉の仕送りのおかげだ。
トドに恨みがあるかって?バカな。
俺がトド猟をやっているのはあくまで公務員としてだ。トド猟師は全道に150人、その半数以上は漁師との掛け持ちだ。駆除が追い付いていない、だから道庁では俺のほかにも猟銃所持とトド猟の許可を取り海に出ている者がいる。
レジェンド俵静夫
俵の爺さんは俺がガキの頃から爺さんだったが、今も昔と変わらない。28歳から80歳の今までずっとトド猟をやっている。利尻では生ける伝説だ。
トド猟の水撃ちは難しい。水撃ちとは船の上からトドをライフルで撃つ猟の方法をいう。波で揺れる船上から、波間で1~2秒しか顔を出さないトドに照準を合わせる。
照準が合うのは一瞬だ。
合った、と思った時に引き金を引いたのでは遅い。北海の海上は吹き曝しの風が指をかじかませる。揺れる船の上で直立し、ライフルを構えると船の揺れで危うく海に転落しそうになることもある。
冬の北海道の海に落ちたら、まず命は無いだろう。
トドがすぐ目の前にいても、当たる確率は熟練の猟師でも1割から2割だと言われる。俺は、それ以下だ。
そんな中で爺さんは驚異的な命中率だ。一日に3発までしか撃たないという。そして誰よりも多くトドを仕留めて帰ってくる。
『自分の型をまず決めてしまうことが大事だ。型をピタッと決めて動かない。自分の船が乗っている波とトドが乗っている波が一瞬合う瞬間がある。その瞬間に息を止めて、撃つ。』
そう言っていた。聞けばなるほどと思うが、聞くのと実際やるのとでは大違いだ。爺さんが一日3発までしか撃たないのには理由がある。必ず一発で仕留めるためだ。俵の爺さんは言う。
『トドも生き物だ。当てそこなって、苦しんで跳ねるように歩く姿を見たくない、出来れば苦しませたくない』
トドは歩かないよ、と言いそうになったが、何となくわかる気がするので俺は黙っていた。
老人と海
猟師は獲物を殺すのが生業だ。しかし、誰よりも多くのトドを殺してきたはずの爺さんの目はどこまでも澄んでいる。
俺はいつか読んだアーネストヘミングウェイ老人と海 (光文社古典新訳文庫)の一節を思い出した。
俺は死ぬまで、お前につきあってやるぞ
おれはお前が大好きだ
やつはおれの兄弟分だ。けれど、おれはやつを殺さなくてはならない
小説の主人公である老漁師のサンチャゴは4日かけてカジキマグロと格闘する。その最中でサンチャゴは獲物への感情移入を深めていくのだ。
満足しきっているから、それでいい
そうだ、爺さんの話だったな。確かこう言っていた。
『だから一日に3発までがオレには精いっぱいだ』
俺たち並みの猟師とは違う世界にいるのだ。
爺さんは仕留めたトドを必ず陸まで持って帰って自分で解体し、肉を皆にふるまう。
そのためにわざわざトドを岩礁地帯の浅瀬に追い込んでから撃つ。一発撃つまでにそこまでの手間がかかっている。
それと、爺さんは夫婦二人暮らしだ。奥さんが身体を壊してからは、食事の支度もすべて爺さんがやっている。最初に言ったと思うが爺さんはもう八十だ。
もちろん80歳には見えないくらい背筋も伸びているし、一緒に銭湯に行ったときに見た体つきは老人とは思えないほど締まった体をしていた。
何というか、必要なところに必要なだけ筋肉が付いている、そんな身体つきだ。
しかし老いは確実に爺さんの身体を侵食しているはずだ。
ほんのすこしよろけて海に落ちたら命はない。俺でもたまにヒヤっとすることがある。一度、爺さんにいつまでトド猟を続けるのか?聞いてみたことがある。
『オレはいいんだ、猟師で満足しきっているから。海で死ぬならそれでいい』
奥さんはどうするんだ?しかし、その言葉は飲み込んだ。
爺さんの目はどこまでも澄み切っていて、俺はそれ以上聞くことが出来なかった。
あとがき
このブログは俵 静夫(トド猟師): 情熱大陸をもとに、千日が創作したフィクションです。俵静夫氏は利尻島に実在するトド猟師です。
以上、千日のブログでした。
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