1月29日金曜日に、黒田日銀総裁が突然のマイナス金利政策を発表してから、市場は大きく揺れ動いた。その政策を聞いたとき、僕は、とうとうはじめて株高、そして、円安に本当に効く政策が出てきた、と思った。そして、確かに、市場は短期的には株高、円安の方向に動いた。しかし、すぐに完全に逆に行ってしまったのだ。つまり、この2週間で、株価は暴落し、円は暴騰したのだ。

日経平均株価とドル円相場の推移
マイナス金利政策後の日経平均とドル円
出所:Yahooファイナンス

これまでに、このマイナス金利政策とその市場への影響に関して、多くの識者が解説を書いてきた。しかし、どれを読んでも、僕には、腑に落ちないものばかりだ。よくある解説は次のとおりだ。つまり、マイナス金利は、銀行の収益を圧迫するので、銀行株が下落した。そして、この混乱により、株価も下がってしまい、円も高くなった。まったくもってよくわからない説明だ。

日本の銀行は、国民にはまったく金利を払わずに、ただで集められたお金で、日本国債を買ったり、銀行の銀行である日銀の口座に預けるだけで、利益を稼いでいる。誰でもできる簡単なお仕事だ。いま、日銀の口座に預けられている現金の合計は、約250兆円になる。簡単に説明するために、多少の正確性は犠牲にして、ざっくりとした概算の数字で説明していくことにしよう。

この250兆円に、日銀は0.1%の金利、つまり、総額で年間2500億円程度払っている。日本の銀行は、財務省や日銀の官僚と仲が良く、政治力もあるので、これは言ってみれば、隠れた補助金というやつだ。今回の日銀のマイナス金利政策は、ここには手を付けず、これから追加的に日銀に預けたお金には、マイナス0.1%の金利、つまり、年間0.1%の手数料を取りますよ、というものだ。もう、日銀のお小遣いには頼らずに、自分で稼げる投資先を見つけてください、という穏当な日銀からのメッセージだ。だから、全体的には、まったく大した額ではなく、銀行の収益に影響するとは考えにくい。それでも、これまでの、国民にまったく金利を払わず、日銀に預けるだけで儲かるという、楽なビジネスモデルを考えなおすのは大変だ。なぜならば、日本の銀行のサラリーマンは、みんな自分の頭で考えることが大嫌いで、これまでのやり方を変えるようなことには、とにかくめんどくさいので大反対だからだ。だから、銀行の子会社などに所属しているエコノミストと呼ばれる人たちは、一斉に日銀を批判した。これでは、銀行の収益が圧迫されて、日本の金融システムが混乱してしまう、と。

日本のマスコミは、銀行のサラリーマン以上に自分の頭で考えるのが大嫌いな人たちで、(銀行の子会社から給料を貰っている)エコノミストが批判的な意見を述べていたので、それをその通りに報道した。そして、株式投資家は、さらに自分の頭で考えることが大嫌いなので、ほう、ほう、銀行の収益が危ないのか、と銀行株を投げ売りした。

●日銀のマイナス金利砲が銀行株を直撃!(金融日記 Weekly 2016/1/29-2/5)
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52073303.html

そして、世界的な株安もあり、あれよあれよという間に、日経平均株価は1万5000円の大台を割り込み、ドル円は円高方向に10円も動いたのだ。しかし、この間に、日銀の狙い通りに、イールドカーブは綺麗に下がっている。長期金利も、一時はマイナス圏に突入し、ほぼゼロになっている。ファイナンスの理論通りに行けば、これは円安、そして、株高につながるはずだった。しかし、そうはならないどころか、完全に逆に行ったのだ。

日本国債の金利の推移
マイナス金利政策後の国債金利
出所:日本相互証券

この謎をめぐって、多くの市場関係者が、ポジショントークが入り混じった、見当はずれのことを述べていて、それを、マスコミがそのまま報道しているのは、前述の通りだ。しかし、じつは、ここでも、恋愛工学を使うとよく理解できるのだ

まずは、黒田日銀がこれまでにしてきたことを、振り返ろう。彼がやってきたことは、これまでとは比べ物にならない大規模な量的緩和である。日銀が大量にお金を刷って、市場に供給するのだ。つまり、お金がジャブジャブになり、他の資産の価格が上がる。

と、一般には信じられているが、ファイナンス理論を勉強すると、量的緩和には、ほとんど何の意味もないことがわかる。金融政策では、景気が悪くなると、金利を下げて、民間がお金を借りやすくして、お金をたくさん回す。こうして、景気を良くしようとする。しかし、金利はゼロより下げられないので、ゼロ金利になっては、金融緩和はできない。それでも、悪あがきで、銀行が保有している国債を、中央銀行がお金を刷ってたくさん買えば、すこしは金融緩和できるのではないか、というのが量的緩和なのだ。

しかし、ゼロ金利では、現金と国債は同等物になるので、理論的には、いくら量的緩和をしても何も変わらない。銀行が持っているほとんど金利がゼロの国債を現金に置き換えても、何も変わらないので当然だ。じつは、量的緩和では、市場に現金は回らないのだ。ゼロ金利では、国債を買っても金融緩和はできない。これは流動性の罠と呼ばれるもので、経済学者にはよく知られている現象だ。たとえば、僕の本を読めば、くわしく説明してある。

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門



量的緩和は意味のない政策なので、いちおうファイナンス理論をひと通り勉強したプロだけが参加している債券市場では、ほとんど何の反応も起きない。しかし、為替と株式の市場は、素人が大量に参加しており、株式や為替の市場は、プロのトレーダーもあまり頭がよくない。また、頭がいいトレーダーも、頭の悪い人たちがどういう勘違いをするかを予想して、ポジションを取ることになる。だから、量的緩和は、不思議なことに、為替市場と株式市場には、大きなインパクトがあることが多いのだ。意味は無いのだけれど。

黒田日銀総裁は、アベノミクスとともに、颯爽と登場してきた。彼は、財務省出身の切れ者で、なかなかダンディーなおっさんだった。自信満々で、プレゼンテーションも上手く、何かをやってくれそうなセクシーな男だったのだ。彼は、財務省時代に、円高に苦しめられ、戦ってきたことから、日本は円安になれば経済が良くなるという信念を持っていた。そして、それを実現するために、異次元の金融緩和を実行したのだ。

しかし、その中身は、これまでより規模の大きい量的緩和なので、本当はあまり意味が無い。しかし、彼は魅力的な男だったので、為替も株も、彼の物言いにすっかり魅せられ、彼の願いどおりの方向に動いていった。彼の就任以来、為替は大きく円安に傾き、それに吊られて、円で見た株価も大きく上昇した。本当に円安になるのが日本人にとっていいことかどうかはさておき、円安は、日本人の人件費のダンピングに他ならないので、とりあえずは失業率は下がり、景気もよくなる。円で見た株価も当然上がる。そして、多くの日本人は、日本の中でしか生活していないので、円安誘導のアベノミクスは上手く行っているように見える。先進国の政治家は、どちらかと言えば、自国通貨を安くすることを好む。そして、ダンディーな黒田さん、安倍政権の期待にしっかりとこたえた。

要するに、これまでは黒田さんの魔法で、円はその適正な水準よりも、かなり安く誘導されていたわけだ。もちろん、わかっている人にとっては、なぜそんなことで円安になるんだ、と不思議だった。量的緩和なんて、じつは意味が無いのに。購買力平価で見ても、金利で見ても、また、原油安でずいぶんと改善した経常収支で見ても、円はそんなに安くとどまっているのは、おかしいのだ。

しかし、市場は黒田さんに夢中だった。定職に就かないバンドマンに夢中になっている、新入社員の女子に、あんな男はやめなさい、とおっさんの上司が言っても、聞く耳持たないのだ。あんな男はやめなさい。これはもはやマジックワードと言ってもいいほど、相手の男に塩を送るような言葉なのだ。この言葉を聞くと、女子はますます「あんな男」に夢中になる。

ダメンズはモテる。そして、意味のない政策(=量的緩和)を自信満々で語る黒田さんは、将来の夢を語るセクシーなバンドマンそのものだったのだ。いまは、まだ売れてないけど、それは世間が、まだ彼の特別な才能に気づいていないだけなのだ。女子は、そう信じこみ、彼の面倒を見て、ときにお金を貸したりしていた。すべては、彼がビッグになったら、報われるのだから。

そして、黒田さんは、今回は、とうとう意味のある、本当に円安、そして、株高に動かす力がある本物の政策を出してきた。マイナス金利政策だ。ちなみに、マイナス金利政策は、もし、それが本当に実現可能なら、経済学的には、流動性の罠を抜け出す、パーフェクトな政策だ。しかし、現代でも、この理想的な金融政策を実現することは不可能だ。なぜならば、現金が存在するからだ。銀行預金がマイナスになったら、みんなタンス預金をする。だから、マイナス金利を実現できない。仮に、現金を完全に廃止し、全てが電子マネーになり、何らかの金利操作が可能になる未来の世界では、マイナス金利政策が可能になるかもしれない。しかし、現在では、そうはいかない。それでも、現金を保有していると、嵩張るし、盗難リスクもあるし、運ぶのも大変なので、そこにはコストが発生するため、完全とはいえないまもでも、マイナス金利政策は、ある程度は可能だと思われる。いずれにしても、日銀は、部分的なマイナス金利政策に挑戦したわけだ。

このマイナス金利政策は、これまでの量的緩和と違って、あきらかに意味のある政策だ。長期金利は現に下がっており、これはファイナンス理論通りに、株価を押し上げて、為替を安くするはずだ。また、銀行が、これ以上、国民に預金金利を払わず、日銀に預けるだけで儲けるという、お気軽な金儲けができなくなるのだから、その現金が、他の資産に向かうわけで、これは量的緩和より明らかに、意味がある。だから、僕は、マイナス金利政策を聞いたときは、とうとう本当に実効的な、まともな株高、円安に誘導する政策が出てきたものだと感心した。

ところがである。市場は、まったく逆に動いた。このミステリーをいまだに誰も解き明かしていない。しかし、恋愛工学のバンドマンのアナロジーを使えば、これはすんなりと理解できるのだ。売れないバンドマンが夢を語って女子を魅了するように、黒田さんは量的緩和という夢で、市場を導いてきた。ところが、バンドマンは、歳も食ってきて、とうとうモテなくなってきた。最近、他の女にちょっかいを出しても、上手くいかないことが多い。そこで、とうとう俺も落ち着こうと思った。だから、いままでさんざん遊んだけど、それでも一番一途に尽くしてくれた、この娘に報いようと思ったのだ。だから、バンドなんて仕事は辞めて、飲食店で働きはじめた。そして、月に30万円ぐらい稼いで、いままで貢いでくれていた彼女に、月に10万円生活費をわたすようになった。バンドマンは、浮気もせず、生活費も入れてくれるようになったのだ。あんな男はやめなさい、と説教していた会社の上司も、これで安心だ。

しかし、女子のほうは、もう、すっかりそんな元バンドマンに魅力を感じなくなっている。これまで貢いで、さんざん振り回されてきたからこそ、夢中だったのだ。それが、そんなしみったれた生活を突きつけられた。もはや彼は特別な才能を秘めた男ではなく、その辺のサラリーマンのおっさんと比較可能なコモディティの男である。そんな男とつきあっているほどヒマじゃないのだ。

さんざん遊んできた男が、ひとりの女を選び、誠実になると振られる。これまで、食事もおごらず、プレゼントなんか買ったことがなかった男が、心を入れ替えて高いプレゼントを買うと振られる。ただのセフレだった女を彼女に昇格させると振られる。これは、恋愛工学では、非常によく知られている現象だ。そして、黒田さんは、金融市場で、まさにそれをやってしまった。これまで量的緩和で、適当にたぶらかしてきたことを反省して、意味のある誠実なマイナス金利政策を与えてしまったのだ。

これでマーケットは、すっかり恋心が覚めてしまった。量的緩和は、意味のない、バカにしたような政策だったから、良かったのだ。マイナス金利政策は、意味のある政策だからダメなのだ。こうなっては、円は、ただの比較可能なふつうの通貨になってしまった。購買力平価や金利差から、フェアバリューを計算され、しかるべきレンジに落ち着く。

購買力平価から見たら、ドル円相場は、1ドル=100円程度が適正な水準だ。そして、ファイナンス理論に従えば、低金利の通貨は上昇する傾向がある。高金利の通貨のほうが上昇しやすいのだったら、金利でも稼げて、為替変動でも稼げて、儲かり続けることになる。そんなことがおかしいのは、ファイナンス理論を学ばなくてもわかることだろう。こうして、黒田さんの魔法が解けた日本円は、然るべき水準に戻って行こうとしているだけだ。そして、円が高くなれば、円で見た株価が下がるのは当然だろう。

結局は、ファンダメンタルズに収束していく。これまでが異常だったのだ。皮肉なことに、まともなマイナス金利政策が、正常化するきっかけを与えてしまったのだ。みんな、すこしずつ自分の頭で考えるようになったということだ。そして、女心は、一度恋の魔法が解けると、もう何をしても元には戻らないのだ。

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