中村幸基
2016年2月8日03時00分
西之表市と伊佐市が学童疎開の記録集を共同製作中だ。戦時中、西之表から伊佐へ2700人余の子どもたちが身を寄せた。戦後70年が過ぎ、関係者が高齢化するなか、戦争の記憶と体験を語り継ぐ手がかりに、と願う。次代を担う高校生らも映像撮影やシンボルマーク作りで参画した。
■関係者高齢化、平和学ぶ一助
戦争末期の1945(昭和20)年、米軍上陸のおそれが高い離島から本土へ学童集団疎開がおこなわれた。種子島の西之表からは直線で約150キロ離れた県本土北部の伊佐(大口、菱刈)へ小学2~6年生の児童ら2700~2800人ほどが疎開したとされる。
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