編集委員・永井靖二
2016年2月7日23時35分
ベトナム戦争の終結から40年余。米軍がまいた「枯れ葉剤」の被害とされる重度の障害に苦しむ人々を訪ね歩く淡路島の元高校教師がいる。ベトナム全土をくまなく歩き、1千人超の被害者と接した。世代を超えて人体に刻まれた惨禍の記録を、今春にも日英越3カ国語で出版する。
■重い障害、生活困窮
兵庫県洲本市の西村洋一さん(73)がベトナムの枯れ葉剤被害者を回って、今年で15年になる。
結合胎児、四肢の欠損や変形、巨大な腫瘍(しゅよう)、骨格や臓器の異常。複数の障害者がいる家庭も多い。福祉も十分ではなく、ほとんどの被害者は困窮を極める生活を強いられていた。両隣の家の壁に棒を渡し、シートを掛けただけの雨よけの下、すのこ状のベッドに垂れ流しのまま寝かされていた人もいた。
現地で雇った助手や運転手の助けを借りて近所の人に聞き込み、重い障害がある人を探し当て、家族や本人の承諾を得て撮影する。集会で枯れ葉剤の被害を訴える女性は、残された片目でまっすぐ西村さんを見据え、暮らしぶりを語った。手足の自由が利かない少年は、筆をくわえて絵画の修業に励んでいた。
「この人たちの背後に、何千何万の同じような障害を抱えた人たちがいる」。西村さんは訴える。
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