杉原千畝、彼が「命のビザ」でユダヤ人を救ったのは、最近では有名な話となっている。しかし、1980年代以前は、日本において、杉原千畝の名前はごく一部のヒトにしか知られていなかった。
当の杉原自身があまりそのことを話さなかったこともあるが、外務省の隠蔽体質も手伝ったんだろう。
そしてここに、とある日本人について書く。
彼の名は、「樋口李一郎」、20000人のユダヤ人を救った旧日本陸軍の軍人だ。
彼の当該行為は、当時の社会情勢(当時の同盟国だったドイツとの関係上、日本にとって当該行為が表沙汰になるのは不都合であったので闇に葬られた)、樋口自身が軍人だったこと(自虐的歴史観等から、軍人の行った行為には、否定的評価が下された)、樋口自身が語らなかったこと、これらのことから一般的にあまり知られておらず、樋口李一郎はビックネームとなっていない。
かつて「満州」という国があった。議論の余地はあろうが、日本のいわゆる傀儡国家だった。その満州に置かれていた軍隊が「関東軍」だった。
時は1937年12月、その関東軍の参謀だった樋口李一郎少将が、ハルビンに着任してから4カ月が経とうとしていた。
満州の冬は寒い。零下30℃より寒い毎日だ。樋口が暖炉の前でうたた寝していた夜遅く、珍しい来訪者に起こされた。
「夜分遅く、申し訳ありません」
樋口がドアを開けると、凍えからなのか、緊張からなのか、顔面蒼白の初老の紳士が立っていた。ロシア人なのか、欧米人なのか、少なくとも日本人では無かった。
「私はカウフマンと申します。突然、お伺いして申し訳ありません」
樋口は「まぁ、とにかく入って下さい」とカウフマンを招き入れた。
雪除けの毛布を脱ぎながら、流暢な日本語で話すのはユダヤ人のアブラハム・カウフマン博士である。
カウフマンは50歳を超えたばかりのロマンスグレーの紳士で、妻は日本人である。
ハルビン市内で病院を経営しており、日本人にも大変評判の良い名医であった。
大の親日家であるとともに、ハルビンユダヤ協会の会長も務める、反ナチ派の闘士でもあった。
博士は、樋口がかつて武官としてドイツで勤務したことをひとづてに聞いており、「もしかしたら樋口は親独のナチ派かもしれない」との疑念を持ちながらも、背に腹は変えられず、「民族の為に」と覚悟を決めて、樋口を訪ねたのだ。
「ナチスドイツのユダヤ人迫害の暴挙を世界の良識に訴えるために、ハルビンでユダヤ人国際大会開催の許可を頂きたくお願いにあがりました」
博士は「もし目の前の男(樋口)がナチと通じていたら、自分の命は無い」と思いながら、一気にまくし立てた。
するとあろうことか、樋口はニッコリ微笑みながら、
「それは結構なことだ。大いにやりなさい」
と言いながら、更に博士を激励した。
思いがけない樋口の励ましの言葉に、博士は半信半疑だったが、樋口の真剣な態度を見て、安堵と喜びのあまり、泣き伏した。
「樋口さん、ありがとうございます…」あとは言葉にならなかった。
樋口はハルビンに来る前、ナチスドイツの武官をしていたのは確かだが、ドイツやソ連で行われているユダヤ人達の悲惨な境遇に同情した。それどころか、義憤さえ感じていた。「こんなこと、ヒトとして許されないコトだっ!」そう思った樋口だから即座に快諾したのだ。
そしてカウフマン博士らユダヤ人にとって念願だった第一回ユダヤ人国際大会が、同月、開催された。
樋口ももちろん来賓として出席した。しかし、関東軍から許可が降りなかったので、「個人として」の参加だった。
大会開会時、樋口は祝辞を行った。
「我らの認識では、ユダヤ民族は~(中略)~特に経済、社会の方面に偉大な能力を有し、かつ科学的分野においても世界的貢献を果たしてきたと信じます。~(中略)~我ら日本民族も在外移民が往々非難を受けています(米国移民を指す)~(中略)~ユダヤ問題は解決すると信じるものであります」
この祝辞は、ユダヤ民族に対する深い理解と同情、更に素直な提言であった。内容において、彼らの心中に深く刺さるものがあり、出席した全ユダヤ人の感謝、感激は会場の割れんばかりの拍手で表現され、中には「どうして他の民族がそんな言葉を掛けてくれるのか」と嬉しさのあまり、泣き崩れるヒトすらいた。
当時のユダヤ人は「流浪の民族」であり、土地も奪われ、虐げられ、財産も奪われ、各国で悲惨な扱いを受けた。
そんな中、殆ど接点の無い極東の小さな島国である日本人の言葉は、他国民からの虐待が常態だったユダヤ人にとっては、「あり得ない」言葉だったのだ。
しかし、「個人の資格」であるとは言え、日本の有力軍人であり、ハルビンの治安維持の総元締めでもある樋口が、「親ユダヤ的」内容の祝辞を行ったことは、反ユダヤの世界的風潮がはびこっていた当時だけに、国内外のマスメディアが大きく報じ、国の内外に物議をかもした。
案の定、ドイツからは猛烈な抗議が来た。
しかし樋口は、「どこ吹く風」と言わんばかりに、揺るぎなかった。「自分の信念に従ったことだ」との思いがあったからだ。
「その為に軍を追われることになったら…それならそれで構わない。むしろそんな軍ならこちらで願い下げだ」
そのような覚悟すら持っていた。
ハルビンで開催された、ユダヤ国際大会から二カ月余りの1938年3月10日、樋口のもとに重大事件の一報がもたらされた。
満州と接するソ連側の国境駅、オトポールに、ナチスのユダヤ狩りからやっとの思いで逃れてきたユダヤ避難民が、吹雪の中、零下数十度の原野にテントを張って露営していた。
いわば旧約聖書でいうところの、モーゼに率いられてエジプトからのユダヤ民族移動の昭和版である。
「通過ビザは発給するが、ソ連領内に留まることは絶対に拒否する」
このような姿勢を貫いた。
ユダヤ人のネットワークは驚異的だ。
親ユダヤと言わないまでも、先の国際大会の件で、ユダヤ人に同情的な人道主義者として、この時既に、ユダヤ人世界においてのみ知れ渡っていた「ゼネラル・ヒグチ」のいる「ハルビン」に行けば何とかなる、そういう思いが彼等ユダヤ人を動かしたのだ。
ユダヤ難民は大挙して、シベリア鉄道の貨車で揺られてきたが、満州国はドイツの顔色を伺い、入国を認めない。
彼らは前にも進めず、退くこともできず、食料は既に尽き、飢餓と寒さのために、凍死者が続出した。
難民の数は20000人。このままの放置されれば、彼らに待っていたのは「確実なる死」、それしかなかった。
ハルビンのユダヤ人協会のカウフマン博士が血相を変えて飛んできた。樋口に同胞の窮状を訴えた。
「カウフマンの立場では当然だろう。その気持ちは判る。しかし、俺は単なるハルビンにおける治安維持を任せられている一軍人に過ぎない」
そのように思いながら、樋口は苦悩した。
「私の同胞が、こうしている間に、一人、また一人と、命を落としているのです」
博士は必死だ。
「頼れるヒトは、ゼネラル…ゼネラルしかいないのです」
手を合わせて懇願した。
「ちょっと30分程、時間を下さい」
樋口は博士にそのように言い、オフィスで思案した。
ハルビンの治安維持を司る樋口には様々な情報がもたらされる。
カウフマン博士がお金を持たない日本人にも、それこそ無償で、手厚い医療を施してくれることも知らされていた。
ヒトは悩んだとき、どうするか。
あるヒトは保身を考え、あるヒトは言い訳を考え、あるヒトは最悪の事態を想定し覚悟を決める。
果たして樋口の考えは、
「後になって後悔を残さないため」
これが彼の行動規範だったのだ。「博士がしてくれた無償の行為に報いる事こと、今、必要なことだ」…更に樋口は思考を重ねた…「何よりもユダヤの民が理不尽な苦しみに遭っていることから、眼をそむけることは、ヒトとして許されない」…
樋口の目に光が宿った。
「決まった」
樋口は覚悟した。軍からの制裁を覚悟し、命をかけてこのユダヤ難民を助けるぞ。
信念と情熱で方針が決まった人間の目は輝き、その輝きは周りのヒトをも巻き込む力となった。
部下の松谷中佐が、「閣下、さすがにそれは無謀です。越権行為になります」と樋口を押しとどめようとしたが、樋口の覚悟の決断は揺るぎなかった。
樋口は妻である静子に笑いながら言った
「俺は軍を、クビになるだろうから、帰国の荷造りを頼むよ」
静子も度胸がすわっている。
「心得ていますよ。それ位」
思いの外、待たせてしまった。「カウフマン博士は待ちくたびれているだろう」そう思いながら樋口は、博士のもとに歩み寄る。
カウフマンはひざまずき、祈りを捧げている。
「信仰のことはよく判らんが、神にもすがりたい、そういう気持ちは理解できるな」と思いながら、樋口がカウフマンの肩に優しく手を置いた。
戸惑いと不安と期待が入り混じった視線で樋口を見上げるカウフマン、
樋口は膝を折り曲げ、カウフマンと同じ目線にした上で、キッパリ言った。
「カウフマン博士、難民の件は承知した。誰が何と言おうと、私が引き受けました。博士はすぐさま、難民受け入れの準備に取り掛かって下さい」
予想を遥かに超える樋口の言葉に、カウフマンは感極まり、声をあげて泣いた。
樋口は博士の肩に手を回し優しく言った。
「博士、さあ、早く、泣いている場合ではありませんぞ」
慟哭しながら、カウフマンは樋口の手をとり、何度もお辞儀した。
ここから、樋口の生涯を左右する一世一代の戦いが始まった。武器を持たない、ヒトを救うための戦いだ。
(続く)
前回の続きを書く。
いつしか12月に入り、街角もクリスマスムードがあふれていた。
もちろん、飯場の建設作業員に過ぎない俺には関係の無いことだ。
街の喧騒も、却ってシャクに障る位だった。
でも、「ちょっとだけ、クリスマス気分を味わいたいな」という気持ちもあり、「シャンメリー」を買った。
考えてみれば、クリスマスの想い出はない。
うちでは家族が新興宗教に入信しており、仏教系だったので、クリスマスに関する行事は一切行わなかったからだ。
だからケーキも食べてたことも無いし、クリスマスプレゼントもあり得ないことだったのだ。
だから、一般の家庭のように、ケーキを食べて、プレゼントを貰えるようなクリスマスが羨ましかった。
クリスマス当日も、いつも通りの現場での作業だ。
作業が終わって、みんなとともに、いつものように食事を摂った。
一瞬、「もしかしたら、ケーキとか用意しているかも」と思ったが、何のことはない。いつも通り、ご飯、味噌汁、漬物と有料のおかずだった。
食事の後、俺はテレビを視ていた。
「今日はヒトが少ないな」
部屋に戻ると、もぬけの空だった。
「みんな、飲みにでも行ったんだろうな」
買っておいたシャンメリーの栓を開け、一人で呟いた。
「メリークリスマス」
今年のクリスマスも何も無かったな…
自嘲しながら、シャンメリーを飲み干した。