最近よく、Fラン大学でも行ったほうがいいのか、という質問をされる。また、奨学金が返還できない若者が増えているというニュースもよく目にする。
まず、奨学金を借りて借金地獄、というセンセーショナルなニュースに踊らされることは危険だ。日本学生支援機構は現在でも奨学金の返還立96%を維持しており、奨学金を借りた人のほとんどはしっかりと返還している。
(JASSOの奨学金貸与事業について:http://www.jasso.go.jp/sp/about/information/jigyou_rikai.html)
一方で、奨学金を借りていた人たちに対して日本学生支援機構が行っているアンケート調査によれば、(延滞者、無延滞者ともに解答率が20%ちょっとなので、借りている人全員をちゃんと代表しているとは言えないが)延滞者の年収は100万〜200万未満が24%で一番多く、無延滞者の年収は200万〜300万が25.6%と一番多い。しかも、この調査で見る限り、奨学金を延滞なしで返還している人の6割は年収300万未満である。「返せないなら借りるな」と言う人は多いが、しっかり返している人たちでさえこの状況では、何かあればすぐに返還が難しくなるだろう。
実際、延滞者に対してなぜ延滞したのかという質問に対しての回答はその状況を物語っている。
忙しかった(金融機関に行くことができなかったなど) 8.2
返還を忘れていた、口座残高をまちがえていたなどのミス 7.3
家計の収入が減った 72.9
家計の支出が増えた 34.5
入院、事故、災害等にあったため 18.1
返還するものだとは思っていなかった 2.7
(数値はパーセント)
意外に多いのが事故・災害の18%と、家計の支出が増えたと言う部分。もし病気や事故、出産や育児などのライフイベントが起これば家計の支出は当然増える。また、現在のように経済状況が安定しない状況で、企業は景気悪化の影響をしばしば賃金の引き下げやリストラによって調整している。このような状況では、もともとギリギリで支払っている奨学金が、何かのきっかけに支払えなくなるのは、仕方がないとしか言いようがない。
(平成25年度奨学金の延滞者に関する属性調査結果:http://www.jasso.go.jp/about/statistics/zokusei_chosa/h25.html#no4)
「返せないなら借りるな」に該当するような無責任な考えをしている人は、「忙しかった」「返還を忘れていた」「返還するものだとは思っていなかった」という3つを合わせても18%しかいない。この2割の人たちのような受給者を減らすためには、貸し出し基準の厳格化、学生支援機構と学校側による貸与希望者への金融教育などの対策は必要だろうが、問題の本質ではない。
ここで、このようなギリギリの経済状況で大学に進学すべきかどうか、それも私立の選抜率の低い、いわゆるFラン大学に進学すべきかどうかを考えてみたい。実は、高卒就職とFラン大学就職はどちらが得なのか、という観点からの実証研究は少ない。その数少ない研究から言えるのは、偏差値の低い大卒労働者と高卒労働者の賃金や就職率に対する差は見られないということだ。実際、求人倍率を見た場合、高卒のほうが大卒よりも倍率が低く、一見すると就職しやすそうに見える。
こうなると、大学に行くならやはり偏差値の高い大学のほうがいいと結論付けたくなるところだが、これは大学の教育効果や学生の質というよりは、大学卒業者とのコネクションや卒業者リクルーターなどという学校と企業のネットワークによるところが大きい。
何より、この結果は高卒就職のほうが良いから貧乏人はみんな高卒で就職しなよ、ということを意味しない。就職氷河期以降、高卒求人数は減り続けている。高卒求人倍率のほうが大卒求人倍率より低いから、高卒就職のが簡単だろうというのは早計だ。2016年3月卒業者では、高校生求人数は28万6千件で求人倍率は1.54倍(厚生労働省)、大学生求人数は71万9千件で求人倍率は1.73倍(リクルートワークス研究所)となっている。
高校生の就職活動も大学生の就職活動も在学中から始まる。高校生の場合、学校推薦を受けて就職をするか自分でハローワークなどを通じて仕事探しをすることになる。もっとも早期に就職が決まりやすいのは学校推薦を受けるケースだ。学校に求人票が来るのは夏なので、夏以降から生徒は企業研究やどの企業を受けるかといった本格的進路指導を受けることになる。学校推薦を受ける場合、一人一社しか受験できず、落ちたら次、落ちたら次、と受け続けることになる。また、企業からの求人が集まりやすい集まりにくい学校があるので、どの高校にいるのかによって、そもそも「就職する」という選択肢が現実的かどうかが変わってくる。
問題は、学校推薦を受けられない生徒、学校推薦で落ちてしまった生徒である。最初に受ける企業で落ちると、就職活動が長期化し、選択肢が減っていく。また、企業への学校推薦も成績を基準に受けられるかどうかが決まるので、そもそも成績が低ければ企業への推薦は受けられない。こうした生徒が自力でハローワークなどを通じて、ちゃんと仕事を見つけるのも容易ではない。この場合、まだ大学・短大・専門学校に出願できるうちに就職活動から進学準備に切り替えた方が生産的かつ効率的である。つまり、早期で就職が決まらない生徒にとって、卒業後に残された進路はフリーターになるか進学するかしか無いということになる。一度フリーターになってしまうと、正規雇用就業が格段に難しくなるので、可能ならば進学してもう少し用紙を見る方が良い。実際、高校の段階では成績が低く就職が難しい生徒でも、大学進学によって就職への間口が広がる。大学生向けの労働市場のほうが自由度が高く、求人数も多いからだ。つまり、大卒者の方が就職が難しく見えるのは、高校生と違って就活を先延ばしにすることができないからだということになる。
高卒で就職した方が良い、というのは「それができる生徒」に限られた話であって、ほとんどの生徒にとっては、それが難しいから進学をしているという状況があるのだ。
また「頑張らない奴が悪い」ということを言う人がいうが、最近の教育社会学では「努力格差」「ハイパーメリトクラシー」といった概念が使われるようになってきている。これは、家庭の物質的な経済格差以上に、経済格差が文化資本や親の教育に対する考え方、態度といった精神的な格差の要因となって、子どもが早期から「何事も頑張る」「高いコミュニケーション力を身につける」「毎日本を読む」といった、学力の背景にある努力や生活態度そのものに格差が出てしまうという状況である。生活困窮家庭やギリギリの経済状況で生活している家庭の場合、そもそも子どもが学業で成功するための生活態度を早期から身につけることが容易ではないのである。
こうした状況で育った生徒の場合、勉強以外の活動をする余裕もあり、高校までのように押し付けられる学業だけではない選択肢がある高等教育機関に通う事、そこで友達を作る事、「大学生」という枠組みだからこそ触れ合える他大学の学生や大人との触れ合いを通じて、家庭で身につけることができなかった文化資本やネットワークが作れる可能性がある。何より、就職力に定評があるFラン大学というのもあり、そういった学校は就職課のスタッフが、学生がちゃんとした企業に就職ができるように走り回っている。Fランだから行く意味が無いなどということは全くない。むしろ、高校で就職ができなかった生徒たちこそ行くべきだろう。
高校とFラン大学そして日本学生支援機構がすべきは、協力して学生の経済意識、金融意識、そして学校の中のどのようなサービスを使うべきか、教職員をどう頼るべきかを教えることが必要であり、メディアも奨学金返還にあえぐ若者の苦しさにばかり焦点を当てるのではなく、ならばどうすれば良いかを高校、大学、日本学生支援機構に提言するくらいの心意気を見せてほしいものだ。
*コメントを寄せてくださった大学職員の方がおられます。Fラン大学の学生には、学費や自分の生活費のほかに、家庭の生活費まで負担しているケースも多いそうです。
「Fラン大学」に身を置く者として興味深く拝読しました。安倍政権の安保政策・経済政策・文教政策に対する批判の多くは尤もなものであっても、エビデンス・ベイストでないことも多々見受けられ、批判の力を削いでしまうことがありますね。すでに返還困難な奨学金負債が若者を高等教育から遠ざけているとフレーミングしては、事実に反すると反論されてしまうでしょう。それに対比して、貴女のお考えは納得のできるものだと思います。感想をいくつか。高卒で就職できずFラン大学に進学する生徒たちは、単親家庭などすでに経済的困窮状態にあることもまれでなく、地方Fラン私大では学費と自分の生活費ばかりか家の生活費をも担わざるを得ない子たちも少なくありません。高校や大学にできることは限られており、現場の努力で一定の成果は出せるとしても、相当に困難です。どのようなすぐれた提言があっても、公的な支援なしには、この子たちが再度この社会に向き合っていく力をつける機会も失われていくでしょう。もう一つ、巷間ではG型L型など煩い話が多々ありましたが、このような子たちに文化資本や社会的ネットワーク構築力を身に着けさせるために提供すべきFラン大学の教育コンテンツはどうあるべきとお考えですか。彼ら彼女らに何を教えればよいのか、とくに一般教育を担当する者は(誠実であれば、ですが)つねに煩悶をつづけているものです。貴女がこのような立場に身を置くことがあったら、どんな教育をなさいますか。
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まさにその環境におられる方からのコメント、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
こんな事を言っては身も蓋もありませんが、私自身は家庭の社会経済的状況が困難な生徒・学生に対して、学校ができることというのはごくごく限られているのではないかと思います。一方、高校では様々な制約によってできない指導やサービスが、大学ではできることも多いのではないかと思っています。
たとえば、学生たちになるべくたくさん文章を書かせるような授業、それに対して丁寧にコメントを返すことなどで本人の学力を少しずつでも上げることは可能だと思います。長いレポートを書いてもらうのは大変なので、1学期の間にその週の授業の簡単な感想文を8週分だけ出してもらうようにするのも良いかと思います。
授業出席率を上げるために、授業に参加することが楽しいと思えるようなコンテンツを作る事は必要だと思うので、ゲーム的な要素を取り入れるのも良いでしょう。たとえば、社会学の授業であれば、「お金」を不平等に分配してそれによって、「今日1日どんな遊びをするか」を考えてもらうようなものも面白いのではないでしょうか。その際、くじを引いてもらって「ハズレ」のグループは「奨学金の返済」がお小遣いから差し引かれます。1日のお小遣いの上限が10万円のグループと、1000円のグループでは行く場所も、する遊びも全然違うはずなので、社会がいかに不平等であるかが学べるとともに、奨学金返済の負担についても少し考えてもらうきっかけになるかもしれません。
文化資本や社会的ネットワークなどの目に見えないものは教えるのが難しいと思いますが、これもゲームにしてみてはどうでしょうか。生徒が二十人いたら、一人一人に「大企業社長」「中小企業サラリーマン」「ビルのオーナー」「道路工事人」「ショップ店員」「学生」などの仕事・収入・今の目標とその達成要件という4つが書かれたカードを渡します。職業の数は学生の数に合わせて変えたら良いと思います。で、たとえば「ショップ店員」は年収200万円、今の目標は「自分のブランドを作ること」だとしましょう。
達成要件は「ビルのオーナー」「学生」「大企業社長」「雑誌編集者」の3つとつながること。でも「大企業社長」と友達になるには年収の50%を使って一緒にゴルフをしないといけないし、「ビルのオーナー」と友達になるには年収の20%を使って食事をご馳走しないといけないし、「雑誌編集者」とは「大企業社長」が年収の20%を投資してくれる約束と「文化人」の友達と三人で「クラシックを聞きに行く」ことをしないと友達になれません。「大企業社長」の「今の目標」は、年収を10倍に増やすことですが、投資先は3つまで選べるので慎重にならないといけません。「文化人」は有名になることが目標で、その手段にはまた色々条件があります。
で、この授業の最後に、人とつながることでビジネスチャンスや就職のチャンスが広がるということ、その人と何をすると親しくなれるかも重要であることを伝えます。
そのうえで、来週は就職課の人に来てもらいますとか、卒業生に来てもらいます、というような内容にすると、参加している学生も楽しいのではないでしょうか。
ゲームを通じて有力者とのコネクションや文化的な知識の重要性を伝えます。でも、現実的な側面を維持するために、常に、こういうコネなどが自力で作れなければ、学校の先生や職員の助けで少しは得られるし、社会人と会ったときにどういう風に接したらいいのかも教えてあげられるから、まずは相談してね、ということを伝えていけると良いのではないかと思います。
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早速のご返信ありがとうございます。また、具体的なご提案をありがとうございます。さすがにお若いだけあって、今の学生たちの興味を引きそうなアイディアをおもちですね。たいへん参考になりました。私のような老骨にはゲーム的な授業は難しそうですが、「学生たちになるべくたくさん文章を書かせるような授業、それに対して丁寧にコメントを返すこと」は本当に大切だと思います。基本に帰るというのか、本来教えるべきことを丁寧に教え、それが彼らに本当に身につくことを保証できるような工夫が必要なのでしょうね。ただ、負担の多い授業は受講者が減る傾向があり、与復習に時間を割けない事情のある学生も考慮しなければなりません。また、ただの楽勝志向と見えても、学習意欲のレベルでの格差に由来する場合もあり(努力できる能力も資産ですね)なかなか難しいものがあります。私の担当科目は抽象的な内容なので、よけい悩ましく思います。退職までの数年、試行錯誤を続けていくほかなさそうです。
丁寧にお答えくださいましてありがとうございました。ご活躍をお祈りいたしております。
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感じ入りました。本当に、イメージだけで適当なことをいう方が多すぎると感じています。行っても価値のない大学という言い方は暴力だと思います。さまざまな個人の事情、家庭の事情があります。何よりも、就職のためだけに大学に行くというようなまるで投資のような考え方にゾッとします。教養という漠然としたものを4年間かけてゆっくり身につけることは無価値なのでしょうか。
日本人がエコノミックアニマルと呼ばれた時期は過ぎたと思っていましたが。
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