2016-02-12

2006年1月17日勝ち組

2006年1月17日朝日新聞の朝刊の記事の一つのタイトルが「勝ち組象徴、騒然」である

これはライブドア強制捜査が入った翌日の記事だ。

この時代はまだ「勝ち組」に見えるものが明らかに悪く見えて、責めやすかったのではないか。

この時の「勝ち組」は時代体制、金など流動性が極めて高いものの後押しがあって、勝者たりえていた。

今の「勝ち組」、「負け組」というのは、分かりにくくて、責めにくい。

というのも、本人の生まれや見てくれという物凄く解りやすく「能力」というもので、「勝ち組」に登りつめているのだ。

なぜ、あの人間が勝者なのかというのを外見を見るだけで納得できてしまう。

何か悪いことをやって「勝ち組」になっているのならまだ弱者は救いがある。

しかし、容姿やらという明らかに誰もが肯定している能力武器にされると、弱者起死回生なんてない中で永遠と苦しんで死んでいくだけなのだ

勝ち組」の人間を、明らかに責めることが出来ない時代自分弱者として生きている。

どうにもならない中、自分は嘆き死んでいくのだろうか。

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