末席から見た沖縄のIT産業~下請け体質から脱却するために(上)

2016年2月10日 19:29
  • 兼村 光(かねむらひかる)
  • 株式会社オーシーシー経営企画推進室長

宮古島市出身。1991年沖縄国際大学経済学部卒、株式会社オーシーシー入社。人事・人材育成業務を経て、民間営業部門へ転属。2011年に沖縄県のIT企業の製品創出支援を目的に設立された「琉球ソフトビジネス支援センター」に出向、センター長を務めた。2014年より現職。社外活動として、ITコーディネータ沖縄の総務理事のほか、学生求職者向けのセミナー講師、大学就職特別講座の非常勤講師、起業家育成のイベントのメンターなど。

 早いものでIT業界に身を投じてから25年が経過しようとしている。とはいうもののこれまでの会社人生は、総務、営業、企画などの業務に従事し、エンジニアとは程遠い分野を歩き続けているのだが、ひょんなきっかけでこのコラムを書くことになった。いささか気が引けるが、この業界の末席にいる身として、僭越ながら私の目線で沖縄におけるIT産業界の現況について、述べさせていただこうと思う。

■IT産業振興のこれまで

 堅苦しい話になるが、まずは沖縄県におけるIT産業振興の歴史を振り返ってみたい。

 沖縄県におけるIT産業は、観光と並ぶリーディング産業と位置づけられている。実際、沖縄県のIT関連予算は右肩上がりで伸び、県の商工費一般会計(約337億円)のうち31%を情報産業振興費が占めるまでになっており、2015年1月時点で346社が立地し、約2万6千人の雇用を生み出すに至っている(沖縄県「 2015-2016 情報通信産業立地ガイド」) 。

 沖縄県のIT産業振興は、1998年9月策定された「沖縄がマルティメディアにおけるフロンティア地域となり、21世紀の新産業創出および高度情報通信社会の先行的モデルを形成する」と標榜された”沖縄県マルチメディアアイランド構想”を起点として、2002年からは3次にわたる情報通信産業振興計画が立てられ、情報サービス、コンテンツ制作、ソフト開発、といった3つの分野について育成・集積が図られた。

 特に、情報サービス分野に位置するコールセンター業種については日本有数の集積地として認知が広がり、生産額規模が沖縄の情報通信産業全体の約2割にあたる約770億円(2011年度)にまで成長。雇用比率では約6割を同業種が占め、雇用拡大の面で大きく貢献している。その後、2010年3月に策定された「沖縄 21 世紀ビジョン/基本計画」において、情報通信分野に特化した戦略として2013年3月に「おきなわSmart Hub構想」を策定。10年後の沖縄のあるべき姿として、広く国内外から企業・人材・知識が集積したうえで、情報通信関連産業が新たな価値創造に貢献し発展する「アジア有数の国際情報通信ハブ(=Smart Hub)」の形成を目指すこととなった。

 これまでの約20年の歴史を俯瞰(ふかん)すると、沖縄におけるIT産業振興施策は、コールセンターがカテゴライズされている情報サービス分野だけではなく、その他の分野についても企業立地を重点的に行ってきた。いわゆる雇用創出に力点がおかれた施策といえる。この背景には全国と比べ著しく高い失業率が挙げられる。失業対策として考えられる方策としては、大量の雇用を生み出す製造業の生産工場の立地が考えられるが、なぜ沖縄県はIT産業振興を選択したのか。

 これは沖縄県の特徴と歴史が関係している。生産工場を立地する場合、それなりの広さの土地が必要であるが、戦後の米軍統治下において利便性のある地域に広大な基地が建設された過去もあって、物理的な制約が課されたといえる。仮に生産工場があったとして、海に囲まれた島嶼県である沖縄は、そこで作られた商品の輸送コストおよび付随コストを考えると、ビジネスとしては不利な状況といえる。こうした背景の中、物理的・距離的課題の制約を受けない「情報通信産業振興」が雇用創出の起爆剤と位置づけられたのだ。

 雇用を増やすためには求人の分母を増やすことがもっとも効果的である。これにより企業誘致に力点がおかれた。もちろんそれだけではなく、技術力向上のための施策も行ってきているが、以前からビジネスを行っている県内企業よりも、誘致企業に対して手厚い支援施策が行われてきたといえる(全体感の中でのプライオリティの選択であり、それが悪いといっているわけではないことを申し添えておく)。

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2月11日(木) 紙面

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