ジャーナリストで作家の手嶋龍一氏の本で、『ブラックスワン降臨』からの改題だそうだ。“ブラックスワン”というのは1697年にオーストラリア大陸でブラックスワンー漆黒の白鳥が発見されて以来、ありえないことが現実になることの隠喩(メタファー)なのだそうである。
9.11とは、言わずとしれたアメリカの同時多発テロのことで、その周辺の“事情”ついてのノンフィクションだ。そしてブラックスワンはフクシマの原発を襲ったメルトダウンのことでもあるのだそうだ。
そしてこの言葉はマーケット(市場)において、事前にほとんど予想できず起きた時の衝撃が大きい事象のことを言うそうで、手嶋さんの造語というわけではないらしい。
ところで今ここで私が9.11について書けるほどの知識などないのだが、雑感として思っていることがある。
アメリカがどうとかアラブがどうとか言うことではなくて、あれをきっかけに戦争のやり方というか、あり方とでも言ったらいいのか、戦争の定義が変わったと思う。それまで戦争といえば他国を侵略、とかどこかからの攻撃から自分の国や民族を守るというというものだった。米ソの“冷たい戦争”*1でさえも勿論例外ではなかった。
でもあの時から敵は見えないものになり、戦争というはっきりとした形をとらずに、『テロリストとの戦い』と呼ばれるようになった。アメリカはオサマ・ビンラディンというかアルカイダを匿うタリバン政権と戦って勝利した、ということにはなっている。まぁ確かにそういう形で決着はついているのだが、ブッシュ大統領がビンラディンにたどり着くまでにたどった道筋は、いわゆる“戦争”とはほど遠い。ブッシュ大統領は、グァンタナモ米軍基地*2にテロリストと思わしき人物を片っ端から収容して徹底的に尋問するという方法をとったのである。まさに人権も法律もへったくれもないやり方だった。
無論テロを起こしたビンラディンを擁護したいわけではない。そういうことではなくて、21世紀の戦争は、もっと複雑な国際事情が絡み合う、始まりも終わりもはっきりしない形態をとるんだな、と思った。9.11は、それまで表面化していなかったものが噴出してきた結果だ。
手嶋さんはそれをブラックスワンが舞い降りたと表現しているけれど、私には国と国との利害や思惑という名のドロドロとした栄養をたっぷりと吸って育った木に実った黒い熟した果実がポトリと落ちたように思える。問題は落ちた先がアメリカだったということなのだ。これまでアメリカに実がおちたことがなかっただけで、むしろ順番が回ってきただけなのではないか?と。
ブラックスワンはオーストラリアに本当に存在している鳥だ。メタファーではない。どんな色をしていようと、テロなんて起こさない。テロをおこすのは人間だ。