整った逮捕条件 URの生殺与奪権を握っていた甘利氏の権限
行革推進会議は13年6月5日に独法改革の「中間整理」を行い、9月20日にはURの問題点だけを議論するワーキンググループの設置を決めた。甘利氏の秘書とUR職員の面談は、中間整理の2日後のこと。補償交渉がトントン拍子に進んだのは、URが安倍政権の標的となっていた時期と合致する。
■「検察にとって捜査着手に躊躇する理由なし」
また、URには当時、重要なリミットが迫っていた。01年に小泉政権は、約9000億円の赤字を抱えたURのニュータウン事業からの撤退を前提に、「13年度までにニュータウンの全工事を完了させる」と閣議決定。その範囲には補償トラブルの舞台となった「千葉ニュータウン」の道路工事が含まれていた。
「さらに07年、福田政権が『独立行政法人整理合理化計画』を閣議決定。URに全工事の前倒しを求めました。福田内閣の総辞職後、08年に麻生首相が渡辺行革相の後任に任命したのが甘利氏です。当然、URの抱える事情は引き継がれ、13年度内に千葉の工事を完了させたいことを知り得る立場にあったと思います」(国交省関係者)