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金がないなら頭を使え頭がないなら手を動かせ(永江一石)

ブログ

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日々減り続けるブログpv数を見て、「あぁ、このままではダメだ。何かを大きく変えなければ(某氏のようにブログを捨てる可能性も視野に?)」と思い、ブログについてのヒントを得るために読んでみました。

 

嘘です。脱童貞企画実現までは、何としてもブログを続けます。

 

 

独自性と顧客視点

独自性があり、他では買えない商品やサービスなら、本当に欲しい客は探し回って高い価格でも買ってくれるのです。なるべく参入障壁が高く、ほかではなかなか真似できないものでないといけないわけ。たとえTPPで競争が激化しても、こういう独自性を打ち出せるところは生き残れるし、そうでないところは負けていきます。農家でなくて一般企業も同じです。要は「顧客はどんなものを求めているのか」という顧客視点という名の想像力を持っているかで勝負は決まっちゃうんですよ。

独自性の観点でみると、ぼくには何の引きもないでしょう。例えば、ヒトデ祭りで言えば「文体」、ゆとりずむで言えば「会計・グラフィカル」という感じになるのでしょうか。とにかく、人気ブログには何らかの個性があるわけです。

 

とはいえ、専門性など一朝一夕に身につくものではありません。では、どうすればよいのか?ぼくの取り得る戦略は「顧客はどんなものを求めているのか?」という顧客視点で考えて、ブログ読者のターゲットを絞ること。でしょう。

 

何一つ他者より秀でたものがない以上、多くの時間を費やしてきたものを活かすより他ありません。となれば、残された道は「ニート」「アダルト」でしょう。それも、アダルトと言っても、大人の恋愛ではなく、一人で楽しむタイプの内容限定です。

 

結局、ターゲット選定も何も考えず、好みなどから作成した現在のブログを活かす方向になるということですね。ただ、顧客(読者)がどんなものを求めているのか?それが未だはっきりしていないので、ブログの方向性が見えていないということになります。

 

このブログに来てくれる人々が何をぼくに求めているのか?をアンケートできる機能などがあれば便利なのですが・・・。甘え過ぎですよね。

 

 

 

ニーズなしの記事はオ◯ニーでしかない

自分が書きたいもの、書けるもの、ではなくて「人が検索して見たいもの」を書くようにしてください。

芸能人や有名人なら「今日、こんなの食べたよ」だけで人は集まりますが、普通の人だとこんな手抜きでは絶対に来ません。練りに練った内容で、時間と手間をじっくりかけた内容の濃いものを「毎日」投稿していれば、1日千人くらいのアクセスはある程度容易に集められます。集められないのは手を抜いているからです。

道理で1日300人集めることすら苦労してしまうわけです。読者が検索して見たいものは何か?など考えたこともありませんでした。練りに練ってもいません。

 

あまりリライトするのが好きではないからというのもありますが、書いてそのまま公開とかが普通ですからね。やってることは、寂れた商店街でいかにも売れてなさそうな商品並べてるおっさん達と変わらんですね。だめだこりゃ。

 

 

 

ラクに儲かるならみんなやってるからね。

実際、ひとりで月数百万くらい稼ぐ人もいるのですが、毎日のように更新作業を行い、キーワードの変動を調べたりとかなりの作業量です。アホ情報商材にあるように「1日たった1時間で大儲け」みたいなことは100%ありません。SEOの知識もかなり必要で、下手なSEOコンサルよりもよほど詳しいです。

月数百万円も稼ぐ人々となると、年収1,000万をゆうに超えますからね。やはりこのレベルまで持っていける人々の努力量と才能は並大抵のものではありません。

 

会社員で同額稼ぐ人々より遥かに凄いことやっているわけですからね。会社員は会社のネームバリューや規模のメリットに助けられている面があるわけですから。

 

 

 

あれ、既視感がある話ですねえ・・・?

マルチ商法やネズミ講ではまず、中心となる人物をブランド化し、神格化します。実績や経歴を偽り、信じられない高収入を稼いでいるとします。中心人物の回りを少数の幹部で固めます。儲かるのはココまでです。互いに持ち上げ合って称賛しあい、一種の宗教のような洗脳集団を創ります。いわゆる自己啓発セミナー商法も全く同じです。

勘の良い読者(特にはてなブロガー各位)の皆さまはもうお気づきでしょう。バカで純粋なぼくでさえ気づいてしまいましたからね。まぁ、気づくのに1ヶ月を要してしまったことは不覚の極みです。心から恥じています。

 

ーーーーーー妄想はじまりーーーーーー

 

大学時代に洗脳や心理学に関する書籍を読んでいたおかげで、一度気づいた後は一気に点と線が繋がり合いましたね。1人の教祖と周りを固める数人の幹部候補。そして、それに列座するワナビー(搾取対象)たち。

 

ワナビーからたんまりと巻き上げた後、教祖が取る道は往々にして共通しています。もし、信者が延々と洗脳されていてくれるようであれば、資金を使って拠点となる施設なり場所なりを設けるでしょう。多くの新興宗教が人目に付きづらい(某巨大宗教は除く)場所に教団本部を設けます。

 

仮に洗脳が解けてしまい、教祖の求心力(造り上げられたカリスマ性)がなくなってしまえば崩壊はあっという間です。しかし、その頃には、教祖はもはや別の場所に高飛びして雲隠れしてしまっていることでしょう。幹部を連れて新たな場所に教団本部を設ける場合もありますが、多くの教祖は幹部を置いて逃げてしまうでしょう。

 

このようなことが起こるとは信じたくはないですが、他人の良心を食い物にしても痛くも痒くもないサイコパスというのは実際には存在しているのです。もちろん、儲けたいという気持ちで近づいた信者にも一切の非がないとは言えませんが、それにしても、やり口があまりにもひどいのであれば、断罪されるべき対象であります。

 

教祖によるカリスマモノカルチャー経済とでも言うべき状況が崩壊する日をXデイとすると、はたしてその日はいつやってくるのか?それは教祖本人にもはっきりとは分かっていないことでしょう。しかし、ぼく個人の見立てでは、遅くとも5年以内にその日が訪れてしまうのではないかと見ています。教祖が自己正当化を始めてしまうようになると、かなりの危険水域にあると見てよいかと思います。

 

例えば、情報商材を販売する業者であれば、「情報は有料じゃないと価値がない」とか言いはじめます。また、過去の記事を追及されれば、「意見が変わらない方がおかしい。それは成長していないということ」などと煙に巻こうとしたりしはじめます。まぁ、どちらも一理あるので100%の判別法ではありません。念のため。

 

2010年代はブログが新興宗教と化した年代であった。などと後世の方々から揶揄されるようなことにならないことだけを願ってやみません。幸いなことに、ツイッターでやりとりしている賢い方々は見抜いているようです。影響力を持たない弱小ブロガーなぼくたちは手を取り合って巨悪と戦っていかねばならないのだと思います。

 

ーーーーーー妄想ここまでーーーーーー

 

 

Television is the King

ネットは万能ではない。ネットリテラシーが高いイノベーターやアーリーアダプターに対するものや、狭い範囲での検索にはネット広告は役に立つのだが、一般の大衆(マジョリティ、スマホを持っていようがパソコンを持っていようが関係なく)との間には大きな壁があり、さらには隔離しているというレベルになっている。マジョリティにアピールするのはまだテレビしかないのである。

今から10年ほど前でしょうか。ぼくがまだ高校生だったころ、ネット万能論のようなものが盛んに喧伝されていたかと記憶しています。ネットは自分から好きなコンテンツを選び放題のバラ色世界(ウェブ2.0とかありましたねー)で、新聞やテレビのような旧態依然としたメディアは駆逐されるという論調でした。

 

しかし、現実はそうはなりませんでした。元々テレビばかり見ているような人々というのは、自分の頭で考えて行動することなどしたくはなかったのです。

 

餌が出たら何も考えずに食べる家畜のように、テレビに映しだされたコンテンツを無目的に眺め、何も疑うこともなくダイエットのためにバナナを買いにスーパーへ走るような人々が大半だったのですね。

 

このような人々は、このブログをお読みになられている皆さまとは全く異なる人種です。そういう人々にとって、ネットでのアプローチは刺さらないのだから、もし、そういう層を狙うビジネスをしたいのであれば(ブログを書きたいのであれば)リアル営業をかけるなりして、足で稼がねばならないと著書では述べられています。

 

 

 

ソーシャルで拡散したい人へ

ソーシャルで拡散される内容はひとことでいうと「人に教えたくなる」ものだから、ちょちょっと10分くらいで書けるようなものではなくて「よくぞ書いてくれた」「よくぞ取材してくれた」「よくぞ調べてくれた」「よくぞ教えてくれた」的なものです。この「内容」と「拡散力」が相乗効果で広まり、集客できるので片方だけでもダメなんです。

 ツイッターやフェイスブックのことをソーシャル(SNS)というわけですが、これらで情報を拡散(多くの人にシェアされる)したい人も、ぬるいことやっててもダメですよということがここで述べられています。

 

SNSでの拡散というと、お手軽な感じがありますが、やはり手を抜いたものはダメなのですね。ただ、そうなると、結局は本家であるブログをいかに充実させるか?に帰結すると思いますので、これまでに述べてきた「マーケティング」の重要性を再認識させられます。

 

 

 

 

何よりもまず集客(マーケティング)

アクセスを集めたくてブログなりオウンドメディアなりをやるのなら、どういうルートで訪問してくるユーザーが多いのか、サイトの特性や内容から考えて、流入の設計と運用計画を立てる必要があるってことです。何も考えずに単にやるだけで効果が出るほど甘くないんですよ。 

 ぼくもちゃんとマーケティング(それもインターネットメディア周りの)を学ばなければと強く感じています。ライティングスキルも大事ではありますが、文章力というものは先天的な要素が強く、鍛えたからといって大きく変化するわけではないようです。

 

それならば、SEOやHTML+CSS、マーケティングなど、学べばある程度までは誰でも到達できる知識の方に時間のリソースを費やす方が賢明でしょう。

 

ただ、ひたすら記事数を量産し続けるだけでは、大きな向上はあり得ない。と、今なら断言できます。それはもちろん、ぼく自身の経験からです(それほど生産していないだろうという指摘はごもっともです)が、書き続けるだけで大きく飛躍できた人が本当にいるのであれば、ぜひご紹介していただきたいくらいです。

 

量の生産は大事ですが、書くだけでいいかのように語る人々の過去を探ってみると、どうやらそうではないらしいことがわかります。明らかにスタートからして違うのです。ブログやその人の存在を広めてくれるようなインフルエンサーや業界の有力者との繋がりありきの成果であったりするのです。

 

嘘だと思うのであれば、ご自身で調べてみてはいかがでしょうか?今は幸いなことにネットである程度調べることができます。ちょっと調べれば出てくるような情報でも充分過去を知り得る助けとなるはずですから。

 

多くを語りすぎました(といっても、文章をもてあそんでいるだけの水増しで、内容自体を要約すれば、大したものではありませんが)

 

ブログ以外にも、さまざまなマーケティングに関する知識を得ることのできる良書です。価格も良心的です。kindle本体を持っていればオーナーズライブラリで無料でも読むことができます。ぜひご一読のほど、よろしくお願い申し上げます。