漫画の神様・手塚治虫。この方が凄い人だというのは、もはや誰もが知る事実でしょう。特に漫画好きだったらば尚更。もし、知らないで漫画を読んでいる方を僕が見たら、そっとその人の漫画を処分するでしょう。「漫画」を読む資格がない……。というのはさすがに冗談ですが、鼻で笑うくらいはするかもしれません。そんな彼の影響力を大きく捉えて、より凄い人に仕立て上げてみたいと思います。
そもそも、手塚治虫先生の漫画家デビューが戦後の日本漫画の始まりと言っても過言ではありません。彼が世に送り出した「新寶島」という漫画が、当時の少年たちにとんでもない衝撃を与え、これを機に漫画家になる夢を持つ少年たちが続出しました。その中には「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄先生や、「怪物くん」の藤子不二雄A先生、そして日本のアニメ界のトップとも言える宮崎駿監督も含まれていました。
手塚先生が、漫画界にどのような影響をもたらしたのかという詳しい説明は今回は割愛して、また別の機会で語れればと思います。要は「今に繋がる漫画の基礎を作った」ということです。つまり今の漫画は、手塚治虫先生の影響下にあり、手塚作品の子孫と言っても過言……のような気がちょっとはしなくもないですが、概ね間違ってはいないと思います。途中いろいろありますけどね。大友克洋先生の出現とか。
そんな手塚先生に憧れて漫画家を目指す人々は上記の三人以外にもたくさんいました。その中の筆頭ともいえる人たちが、漫画家の梁山泊とも呼ばれる「トキワ荘」の住人たち。上記にも書いた「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄先生と「怪物くん」の作者である藤子不二雄A先生は、中でも有名ではないでしょうか。そしてさらに、「仮面ライダー」の原作者でもある石ノ森章太郎先生、「おそ松くん」の作者である赤塚不二夫先生など、そうそうたるメンバーが同じ空間で過ごしたという、とんでもない場所なのです。しかも、この「トキワ荘」は手塚治虫先生も住まれていた場所。本当に凄い場所なのです。
中でも今回フィーチャーしたいのが、「赤塚不二夫」先生。彼は手塚治虫先生の「ロストワールド」という作品を読んで、漫画家になる決意をします。そして、上京してトキワ荘に入居。その後、漫画家として「おそ松くん」「天才バカボン」などのギャグ漫画をはじめ、「ひみつのアッコちゃん」などの少女漫画も手掛けていきます。
このように、赤塚先生は漫画家として「ギャグ漫画の王様」と呼ばれるほど、現代にも残る名作を連発していくわけですが、彼の功績は漫画だけではありません。
そう、タモリさんの発掘です。タモリさんと赤塚先生の関係は、赤塚先生の訃報があった際、知らなかった人も分かったことでしょう。勧進帳の如く読み上げたタモリさんの弔辞は話題になりました。
赤塚先生は、地元・福岡で素人として芸をやっていたタモリさんを見て「お前は面白いからお笑いの世界に来い」と、自分の部屋に居候させてまで、タモリさんを東京に引き連れてきたのです。その後、当時バラエティ番組にも出演されていた赤塚先生の特番に出演。さらに赤塚先生と共に黒柳徹子さんの番組に出演し、黒柳さんからお墨付きをもらいます。このときに出来た関係が今にも続く「徹子の部屋」毎年出演にも繋がります。こうして、タモリさんは赤塚先生のもとで居候しながら、芸能界デビューを果たします。
タモリさんといえば、今ではビートたけしさん、明石家さんまさんと並ぶ日本のお笑いビッグ3の一人にも数えられる、芸能界の大物中の大物。2014年に終了した「笑っていいとも」では番組開始時から30年近く司会を務め、番組には数々のスターが出演し、誰もが知るお昼の番組でした。今でも音楽番組の代表格ともいえる「ミュージックステーション」、タモリワールド全開の深夜番組「タモリ倶楽部」など、まだまだバラエティーで活躍されています。
これらの番組、特に「ミュージックステーション」は数々のアーティストが出演し、ゴールデンタイムで自らの歌をうたうという、なかなか出来ないことができる貴重な番組。若者に人気のアーティストが多数出演し、今でも若者からの人気は高い。アーティスト側からも、紅白ほどではないものの、それなりに出演することに価値を覚えている人が多いのではないでしょうか。
そして、タモリさんが過去に出演した番組にも伝説的なものがあります。まず1980年代に放送された「お笑いスター誕生!!」。この番組はお笑い芸人のオーディション的番組で、グランプリというものを決めていたのですが、その中に、今でも関東のお笑い芸人の総長的な存在でもある「とんねるず」がいたりします。彼らは当時素人で、タモリさん以外の審査員からの評価はあまり良くなかったそうですが、タモリさんと先ほどの赤塚先生だけは「なんかおもしろい」と評価し、後にタモリさんにプロとして芸人を続けるべきか相談したところ、背中を押されてプロになることを決意したそうです。
さらにもう一つ挙げたいのが、「タモリのボキャブラ天国」。この番組は放送当時とんでもない人気で社会現象にもなっていました。この番組に出演して活躍していたのが、爆笑問題、ネプチューン、くりぃむしちゅーなど。今では司会を務める大物芸人たち。世に言う「ボキャブラ世代」と呼ばれる人々です。
このように、タモリさんの番組からは今にも残る数々のスターが誕生しているのです。
もし、タモリさんがデビューしていなければ、とんねるずは芸能界にいなかったかもしれないし、「タモリのボキャブラ天国」がなければ当時活動の場がなかったボキャブラ世代の芸人はみんな消えていたかもしれないし、今の「ミュージックステーション」もないことでしょう。
とんねるずがいないということは、彼らに憧れて芸能界を目指した今も活躍する芸人はいない、もしくは違う形のデビューになっていたでしょう。例えばダウンタウンと共にとんねるずを憧れの芸人に挙げるバナナマンも今の形ではいないことになるかもしれません。そうなると、このブログおなじみの乃木坂46にも影響が出てきます。あんなに優しい公式お兄ちゃん不在では、紅白は持たなかったかもしれませんし、日村賞もないことでしょう。
それもこれも、タモリさんが芸能界デビューをしたから、赤塚不二夫先生がタモリさんを福岡から上京させてデビューさせたから、赤塚不二夫先生が手塚治虫先生に憧れて漫画家になったから、手塚治虫先生がいたから、というところに繋がるのです。
手塚治虫先生の影響は、漫画界のみならず、間接的に芸能界にも大きな影響を与えていたのです。こう考えると、やはり手塚先生が及ぼした影響は凄まじいものであると、分かるのではないでしょうか。
なお、「それじゃあ手塚先生にもルーツがあるんじゃない?」と思う方もいるかもしれませんが、それを言い始めるとキリがないので、今回は手塚先生を始発とさせていただきました。人類の歴史までは遡れません。