2100年と言えば、その頃の地球の平均気温は今より何度高くなっているのでしょう?COP21の決意が守られているでしょうか?
オリオン座のベテルギュースはまだ輝いているでしょうか?日本という国家は存在しているでしょうか?存在していたら人口は何人くらいでしょうか?
意外と知りたい未来とは多いものです。
先日、リアーナ(Rihanna)さんの新作アルバム『ANTi』がタダ(free)の件をお話しました。戦略的には十分あり得る商法だと思います。
さて、2/6付けのアメリカの音楽誌ビルボードのアルバムチャート(Billboard200)ですが、面白いことが起きています。
マドンナ(Madonna)さんのベストアルバム『The Immaculate Collection』が前週の167位から49位に急上昇しています。売上はequivalent album として167%アップの11,000units、実売ベースでは321%アップの10,000 copies を売り上げての急上昇でした。
実は、マドンナさん以外でも、
フィル・コリンズ(Phil Collins)さんの『…Hits』 :183位⇒38位(equivalent albumで14,000 units(258%アップ)、実売13,000枚(462%アップ)
カーズ(Cars)さん達の『The Complete Greatest Hits』 :再登場で61位(equivalent albumで9,000 units(258%アップ)、実売8,000枚(376%アップ)
アラニス・モリセット(Alanis Morissette)さんの『Jagged Little Pill』 :71位に再登場(equivalent albumで8,000 units(373%アップ)、実売7,000枚(599%アップ)
グリーン・デイ(Green Day)さん達の『Dookie』 :98位に再登場(equivalent albumで6,000 units(93%アップ)、実売5,000枚(170%アップ)
となっています。
実は、今、アメリカでGoogle Play storeにて99セントセールがされていて、これによって、多くの古いアルバムが売れているのです。
日本でも、古いアルバム作品が、つまり減価償却が終わった、として安売りされる事がありますが、アメリカではその安売りの規模が日本とはかなり違っていて、一気に1ドル以下にまでなってしまうのです。
データの価格・価値とは何ぞや?とも思いますが、そこにこの新しい価値とそこに伴う新しい物流のあり方の凄さを感じます。
西暦2100年頃にはどうなっているのでしょう?
先日、NHKスペシャルでシリーズで放映されている『新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘に覆われた』を放映していました。
情報公開、秘密解除によって最近多くの過去にあった出来事の“真相”が明らかにされています。
日本でも2014年には特定秘密保護法の施行に向けた、秘密のあり方についての議論が多くありました。個人的には強く実感した事は、しばしば言われる様な、『国益は倫理を凌駕する』だったと感じています。
2014年8/2 :『NHKスペシャル『特定秘密保護法を問う〜“施行”まで4ヵ月〜』に思う将来の教訓を今、封じる事の意義と課題について』
2014年12/10記事 :『2014年全米年間シングルチャートは『Happy』 1年前の盛り上がりは何処へやら?本日より施行『特定秘密保護法』』
※ところで、“特定秘密保護法“だけが我々の身の回りで、秘密(の存在)を囲っているモノではありません。意外と多くの物事が、我々には”秘密“にされています。例えば、ノーベル賞の選考過程ですが、あれは50年間の秘密期間が設定されています。
話しを元に戻しますが、その様の制度の元、秘密にされてきた事が色々と明らかになってきて、後世の私達は驚きます。そんな事があったのか…、と。
それを映像と共に、今、見つめ直すと言うのがNHKスペシャル『新・映像の世紀』です。本日取り上げるのはその第4集『世界は秘密と嘘に覆われた』です。
冷戦下の旧東ドイツに秘密警察シュタージ(Stasi)がありました。
徹底した監視態勢を敷く事で東ドイツ国民に恐れられただけでなく、西ドイツにもスパイを送り込みもしました。全盛期には対人口比で同じナチス政権下のゲシュタポや、旧ソ連のKGBをも凌ぐ監視網を敷いていた、と言われます。
シュタージの発足は1947年に東ドイツのソ連占領軍当局が創設した第5委員部(K-5)とも、ドイツ民主共和国建国後に1950年に設立された国家保安省とも言われます。
いずれにせよ、この秘密警察は1989年のベルリンの壁崩壊まで続きます。
※そう言えば、1982年にイギリスのバンド“After The Fire”が『Der Kommissar』を全米トップ10ヒットさせました。この『Der Kommissar』は、モーツァルトを題材にした作品で有名なオーストリアのFalco(ファルコ)さんのカバーなのですが、邦題はズバリ『秘密警察』でした。さすがに『Stasi』は無理です。
さて、昨今の秘密解除によって冷戦下で撮影されたシュタージの極秘映像が公開されました。
写真やネガは170万枚、録音や映像フィルムは3万巻にも及ぶ膨大なものでした。それらの大半は市民を盗撮したものでした。
市民から西側と通じていると密告された人は、シュタージ、この秘密警察によって監視下に置かれます。シュタージは対象者を監視するだけでなく、その留守宅に忍び込み“通じている”証拠を探したりもします。メモ、手紙、ゴミ箱、…それらが調査されます。
当時、東ドイツでは国を挙げて隣人の密告が奨励され、いたる所に隠しカメラや盗聴器がしこまれました。
これは東ドイツだけでなく、対立陣営の西側、例えばアメリカでも、そのような状況にありました。
FBIでも盗聴、郵便開封、家宅侵入、更には、脅迫による自白強要、などの違法捜査がありました。アメリカの目的は共産主義者を探し出す事です。社会の不安定分子を除去する事にありました。
FBIのエドガー・フーバー長官(John Edgar Hoover:1895〜1972)は言っています。
『共産主義は政党ではなく邪悪な生き方だ。伝染病と同じだ。』
1920年頃、共産主義者の摘発として赤狩り(Red Scare)が行われました。
一般的には第二次世界大戦後の冷戦を背景に、主にアメリカや西側諸国(資本主義国)で行われた、政府による国内の共産党員やその支持者を公職から追放したり、不当な容疑で起訴する事を指します。
しかし、それより以前の第一次世界大戦前の時代に、旧ソ連は、他国へ『革命』を拡大させ、そして、アメリカなどにおいて国内の社会不安、具体的には暴動や内乱を起こして、共産主義革命を起こさせようとしていました。但し、名目は“労働者の権利獲得”であり、それがベースになって広まりを見せました。
その様な運動を受けて1919年にアメリカ共産党が創立します。
この様な背景のもと、アメリカは混乱期を迎えます。この1919年には司法長官(ミッチェル・パーマー)の自宅前で爆弾が爆発するなど、政府高官に宛てられた36もの郵送爆弾が発見され、司法長官は司法省内に後のFBIの母体となる“急進主義対策部”を設置しますそして、この対策部のトップが、エドガー・フーバーでした。
そして、行われたのが司法長官(ミッチェル・パーマー)による1921年以降の赤狩りでした。共産党員と世界産業労働者連盟(IWW)活動家を中心に約1万人が逮捕され、移民を中心に千人程が国外追放となりました。
自由と競争を掲げるアメリカにとって共産主義は国を脅かす危険思想と見做されたのです。そして第二次大戦後、強大化したフーバー長官の権力の元、より大きな赤狩り、大規模な“狩り”が行われました。
第二次世界対戦後、世界は東西という二つの陣営に別れました。資本主義を掲げるアメリカと社会主義を掲げるソビエト連邦です。この両者は相容れない存在であり、相手を滅ぼさないと自分が滅ぼされるといったシナリオを頭の中に宿していきます。
そして、両者は核武装を行い冷戦として対峙していくのです。そして両者の戦いを代理する戦いも世界で起きました。それらは朝鮮戦争(1950〜1953)であり、ベトナム戦争(1964〜1975)であり、アフガニスタン戦争(1979〜1989)でした。
この様な時代に起きていた事が、今、新たに情報公開などによって理解されつつあります。
第二次世界大戦中は手を結んでいたアメリカとソ連でしたが、大戦が終わり、共通の敵がいなくなった時、再び覇権争いが始まりました。
前述した様に、ほんの20年前までは思想的に存在を認め合わない関係だったのです。
この世界大戦後、アメリカとソ連がまず行った事は、ナチスの科学者、スパイの争奪戦でした。
ソビエトはナチス科学者の頭脳を大量にリクルートしました。アメリカに比べて遅れていたミサイル兵器など兵器開発を急速に進歩させます。
一方、アメリカも1,600人を超えるナチスの残党を雇います。アメリカに向かったナチスの科学者やスパイなどの残党は戦犯の容疑を免れ、晴れやかに新天地アメリカで暮らします。
ドイツのミサイル兵器開発者ヴェルナー・フォン・ブラウン(1912〜1977)はV2ロケット(長射程弾道ミサイル)を開発した人ですが、アメリカに亡命し、アメリカで生涯を終えました。ブラウンは宇宙ステーションの概念を考え出し、NASAでアポロ計画を支えたサターンロケットの開発に従事し、NASA退職後はフェアチャイルド社の副社長に就任までします。
ソビエトに対するスパイ工作の専門家、ラインハルト・ゲーレン(1902〜1979)はドイツが降伏した2週間後に、手土産(防水ケース50個分のソ連軍情報、例えば飛行場、発電所、軍需工場、精油所等の情報)をもってアメリカ軍に投降し、身柄の保護を求め、そして無事にアメリカに密入国しました。そして、戦犯リストからの除外してもらうことにも成功しています。
ナチスの残党を大量にスパイとして雇ったのがアメリカ中央情報局、CIAでした。ウォール街の弁護士であったアレン・ダレス(Allen Welsh Dulles:1893〜1969)が初代CIA長官です(在任期間は1953〜1961)。
※ちなみに、アメリカの政治史においてダレスというと、もう一人彼はジョン・フォスター・ダレス国務長官という方が同じような時期に登場しますが、こちらは実のお兄さんです。
アレン・ダレスはインタビューなどでCIAの潔癖を語っており、そのようなフィルムが残っていますが、実はそんな事はありませんでした。
一方、アメリカと敵対するソ連の諜報機関がKGB(前身は内務人民委員部NKVD)です。
世界中でスパイ活動をし、国内では人民を弾圧したとされています。
※KGBはソ連崩壊と同時にロシア連邦保安庁(FSB)に権限を移行しました。CIAはトップが長官ですが、KGBでは議長と呼ばれます、尚、プーチン大統領はKGB(第1総局)出身です。
1924年に権力を握った、ヨシフ・スターリン(1878〜1953)は世界史でも有名な独裁政治を行いました。独裁政治を行うともに、その行動の裏には見えない敵に怯える猜疑心の塊であった、とも言われています。その中でも特に顕著なのは1936〜1938年の大粛清でした。
起訴や弁護人による訴えなしでわずか10日間の調査で“刑“を迅速に執行できるようにする『テロ組織とテロ行為』法案などによって、国民の敵をあぶり出し、政治家、思想家だけでなく、国民の迫害・虐待も頻繁に行われるようになりました。
そして大粛清とされた1937年には35万3千人以上、1938年には32万9千人ほどの普通の市民が処刑されました(犠牲者数はKGBによって証拠隠滅されたりしたのでもっと多いとも言われます)。
しかし、そんな独裁者のレッテルが貼られたのは、スターリンの後継者となった、ニキータ・フルシチョフ(1894〜1971)らによってでした。
※スターリンは1953年に自室で病死し、その人生を急に終わらせました。
フルシチョフらはスターリン派に対する批判を行います。1956年、ソ連共産党第20回大会でフルシチョフは有名な“スターリン批判”を行い、これによって、スターリンは偉大な国家指導者という評価から、恐怖の独裁者となりました。
フルシチョフは、スターリンの異常な警戒心が狂気の世界を生み出した、と言っています。
スターリンは秘密警察を駆使して国内の裏切り者を洗い出そうとしました。裏切り者の疑いをかけられただけで強制収容所に送られた、と言います。そして粛清(処刑)されました。
スターリンは第二次世界大戦中からアメリカに大掛かりなスパイ網を築いていました。政府機関を中心に349人ものスパイが潜入していました。
IMFを創設したアメリカ財務省次官補のハリー・デクスター・ホワイト(1892〜1948)もソ連軍情報部のスパイでした(暗号名はリチャード)。これはベノナ文書により確認されています。
※このベノナ文書ですが、これは1943〜1948年のコミンテルン(要は共産主義活動家)とアメリカにいたエージェントの交信記録(勿論、暗号です)を、1980年まで掛かって暗号解読したものです。
ホワイトは、戦後、共産主義者であると告発を受け、非米活動委員会に召還されます。その委員会で身の潔白を訴えますが、下院での非米活動委員会に出席した3日後、自分の農場にてジギタリスの大量服用による心臓麻痺で亡くなりました(1948年です)。大量服用という事で“自殺”とされています。ちなみに、ホワイト氏はロシア系ユダヤの家系の方です。
1941年対日参戦を発表するルーズベルト大統領の側近である首席秘書官、ラフリン・カリー(暗号名ペイジ)もスパイで外交機密をソ連に渡していました。
ちなみに、カリー氏はホワイト氏と学生時代から親友でした。
さて、アメリカは混乱します。
いったい誰がスパイなのか?誰が裏切り者なのか?ソビエトはどこまでアメリカの機密を握っているのか?
この様にしてアメリカ政府の内部にも疑心暗鬼が広がっていきます。
ヤルタ会談にも出席したアメリカ国務省高官のアルジャー・ヒスもスパイ容疑で捕まりました(1992年に無罪とされましたが、前出のベノナ文書ではGRU、ロシア連邦軍参謀本部情報総局のエージェントであった事が明らかにされています。)
ルドルフ・アベルは画家を装って原爆の機密を盗んだとされます。アベル氏はソ連のスパイなのですが、そのアベル氏がFBIに目をつけられたキッカケは、ブルックリンの新聞配達の少年がたまたま落とした5セント硬貨が割れて、そこから出てきたマイクロフィルム、という事なのですから驚きです。
この様な諜報活動によって国益へのダメージは計り知れないほど大きかったと言われます。
この頃のソビエトの最大の狙いはアメリカから核兵器の機密を盗み出す事でした。アメリカの原爆開発の秘密基地であるニューメキシコ州のロスアラモスにもソ連はスパイを送り込んでいました。
そして、そこから機密盗み出し、アメリカから遅れること4年で1949年にソビエト初の原爆実験を、そして1955年にはアメリカからわずが3年遅れて水爆実験をそれぞれ成功させました。
この様に、ソビエトが核兵器を持った事はアメリカを非常に怯えさせました。
ソビエトが1949年に原爆実験を成功させた2年後、1951年にはニューヨークで核攻撃を想定した避難訓練が行われました。ニューヨーク市民800万人が参加しました。本当にアメリカは“怖い”と思ったのです。
この“怖い”と思ったアメリカでは裏切り者、つまり、共産主義者を探し出す赤狩り(Red Scare)が果てしなくエスカレートしていきます。“Red Scare”とは“赤い恐慌”とか“赤いパニック”という意味でもあります。
社会は共産主義への恐怖を煽り、それは政府の官僚だけではなく、ハリウッドの俳優ですらも対象になります。
ハリウッドは赤狩りの格好の標的となりました。当局はハリウッドを見せしめにして大衆の注目を集め、そして、活動を促進しようとしたのです。確かに、大スターが召喚されて、魔女狩りのような尋問を受ける様は注目度が大きいといえば大きいのです。
ゲーリー・クーパー、ロバート・テイラー、ハンフリー・ボガードも呼ばれました。召喚を拒んだら映画界を追放されるからです。
この時、売れない俳優が脚光を浴びています。それがロナルド・レーガンでした。彼は非常に赤狩りに協力的でした。
1985年に機密解除されたFBIファイルに寄ると、ロナルド・レーガン氏はFBIのスパイ(コードネームはT-10)だったそうです。政府に批判的な俳優をFBIに密告したり、また、その様な者を密かに監視していました。
赤狩りを行っていた黒幕がFBIでした。CIAは海外を、FBIは国内を統制していたのでした。
そしてこの頃のFBIの長官がエドガー・フーバーでした。
ソ連が国内にKGBの諜報員を浸透させたのと同じ様に、FBIもまた国内に諜報員を潜ませたのです。
しかし、フーバー氏にはこの諜報活動の中で大きな副産物を手にする事になります。それは、政治の裏情報です。この裏情報によって自身の身の安定を図ります。
この結果、フーバー氏は48年間、8代の大統領に仕える事になります。フーバー氏はアメリカ大統領を筆頭にした様々な政権の閣僚のスキャンダルにも精通してしまうので、大統領ですら彼に手を出せなかったのです。“Official and Confidential:公式かつ機密”を手に入れてしまったからでした。
※第29代のカルビン・クーリッジ(Calvin Coolidge)から、ハーバート・フーバー(Herbert Hoover)、フランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D Rosevelt)、ハリー・トルーマン(Harry Truman)、ドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower)、ジョン・F・ケネディ(John F Kennedy)、リンドン・ジョンソン(Lyndon Lohnson)、そして第37代リチャード・ニクソン(Richard Nixon)までの8代です。
冷戦終結後、一部の機密ファイルが開示されました。
マリリン・モンローとケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディ氏とのスキャンダルも、これによって確証付られました。
どれほど有力な政治家であってもフーバー氏のファイルには震え上がった、と言われます。そして、FBIの予算案は簡単に議会の承認を取り付けます。
さて、ソ連は1953年にスターリンが亡くなりますが、フルシチョフ政権によるアメリカとの謀略戦は確実に継承されます。
一方、アメリカは海外の政権転覆を狙った秘密工作を進めていきます。
この時のターゲットは中東のイランです。今のイラン・イスラム共和国です。しかし、この当時はパフラヴィー朝のイラン、という時期でした。イランが国号をペルシャからイランに変更したのは1935年のことです。
さて、第二次世界大戦後の1950年頃、イランの石油の利権を独占していたのはイギリスのアングロ・イラニアン石油会社でした。
イランではイラン人が安価な労働力として酷使されるだけでなく破格の価格で原油も持って行かれていました。
何でこうなったかと言うと、1930年代後半にイランはナチス・ドイツに接近しました。そして1939年の第二次世界大戦が勃発しましたが、当初は中立を維持しましたが、ナチス寄りという事で、1941年8月に連合国がイラン進駐を実行してしまいます。結果的にイラン軍は敗北し、イギリスとソ連によって領土を分割されてしまいました。要はエネルギーを持つ国として目をつけられたのです。
さて、そんな不本意なイランの状況でしたが、一人の政治家が現れます。
それがモハンマド・モサデク(1882~1967)氏でした。
モサデク氏は1940年代に国民戦線を結成し、その後、国民の圧倒的支持を集めて1951年4月に首相に就任しました。イラン首相となったモサッデグ氏は民主的な改革に取り組み、イギリス系アングロ・イラニアン石油会社、つまりイギリスから石油資源の奪還を試みます。
これに対してイギリスは国連安全保障理事会でモサデク首相を激しく非難します。
この時、安全保障理事会にてイギリスは“先進国と途上国が協力することこそ、全世界の利益につながる”といって、イランでの石油の利権を主張しました。モサデク首相は一歩も引かず、主権国家としての当然の権利を主張するとして、イギリスの要求を突っぱねます。
ただここで、アメリカ、イギリスの先進国には都合の良い理屈が発生しました。
モサデク政権は共産主義を推す訳でも目指す訳でもなかったのですが、イランでは共産党とモサデク支持者が共同でデモを繰り返します。しかし、ここにソ連共産党の支援がイランの共産党にあったのです。
ここでアメリカに、(決して大義名分なんかではありませんが)攻撃する名目が発生しました。
アメリカはイランが共産主義化してソ連に石油資源が流れ出ていく事に、ソ連の力が強大になる事を恐れ始めるのです。
そして、国際問題を扱うCIAが動き出します。アレン・ダレスCIA長官はイギリスの諜報機関と協力して、モサデク政権を倒す秘密工作TPAJAX Project(英語名はエイジャックス作戦)を開始します。
2013年に公開されたCIA機密文書によると、CIAの工作員は軍人やギャングを100万ドルで買収し、国家転覆のクーデターを起こさせます。そして1953年にあっけないほど簡単にモサデク政権は倒れました。
“独裁者”とレッテルを貼られたモサデク首相は屋敷を破壊され、そして不公正な裁判で国家反逆罪を言い渡され、3年間投獄されます。その後、自宅軟禁となるがその軟禁中に死去してしまいます。
せっかく民主化の道を歩んでいたイランでしたが、その道は絶たれ独裁世襲による王政となってしまいます。
この時、イランが民主化の道を進んでいたら、と思わずにはいられません。
結局、王政による独裁的統治は1979年のイラン・イスラム革命まで続き、その後、ホメイニ師の下でのイスラム共和制を採用するイラン・イスラム共和国の樹立となりますが、この時、イランに仕込まれた欧米諸国の歪みは今も続いており、巡り巡って現在の中東の不安定化に至っていると言っても良いでしょう。
1959年、アメリカのアイゼンハワー大統領が訪問します。
アメリカは亡命先のローマから帰国したパーレビ国王(モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィーともパフラヴィー2世とも言われます)を支援し、親米政権を作りました。
※“シャー”とは皇帝という意味です。ですので、パフラヴィー朝の皇帝(シャー)のパフラヴィー国王という意味です。
勿論、アメリカは善意でイランには接していません。アメリカの石油メジャーを優遇してもらうためにしただけです。
石油メジャーですが、それらは、Chevron(シェヴロンです)、Gulf(エンジンオイルのガルフです)、Mobilgas(エクソンとくっ付いたモービルです)、Standard、Texaco(シェブロンの燃料ブランドです)、などです。これら5社が利権の4割を手にします。
この様な国家を思い通りに操る事から得られる“旨み”はアメリカの感覚を麻痺させます。
※アメリカはその後もCIAによる秘密工作を次々に行います。
さて、イランですが、さすがにこの状況に不満を募らせます。国王は豪華、一方、イランから取れる石油は安い価格で国外へ、しかも、労働者低賃金で働かされ、何も貧困のままです。
そして、不満は爆発します。それが1979年に起きたイラン・イスラム革命でした。この革命の際にはこの時には亡くなってしまっていたモサデク首相の写真も掲げられました。
1979年の在イランのアメリカ大使館人質事件、レバノンのヒズボラ、パレスチナのハマースなどのイスラエルの打倒を目ざすイスラム主義武装組織、といった事が次々と起きます。
そして、この革命による混乱の中、1980年には隣国イラクのサッダーム・フセイン大統領がイラン南部に侵攻し、イラン・イラク戦争が勃発します(1988年まで続きます)。
イランの民主化への道を絶たれた1953年からほどなくして、1961年にはベルリンの壁が作られています。
前出のシュタージ(東ドイツの秘密警察)は市民の7人に1人が密告者という密告社会をつくって恐怖の世の中を作り上げていました。
※先般、これらの密告に関する機密文書が公開され、時間が経った現在、今を生きる親子、兄弟、友人といった人間関係を破壊している様です。
そしてアメリカでもベトナム戦争反対運動の時には、それを共産主義者の陰謀と見做しFBIとCIAは反戦運動指導者を盗聴・監視、そして不当起訴しました。
この頃、別の流れで起きていた黒人への人種差別や隔離政策を撤廃することを求める公民権運動も標的になりました。
公民権運動を指導していたマーティン・ルーサー・キング牧師は、この公民権運動と反戦運動とを結び付けます。しかし、1968年にキング牧師は白人の暴漢に暗殺されます。
そして1975年4月に南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、ベトナム戦争はアメリカに初の敗戦をもたらします。
但し、アメリカ戦死者は5万8,000人、ベトナム人犠牲者、つまり兵士だけでなく民間人の犠牲者も含めると300万人という、とんでもない殺戮があったのです。
このアメリカの初の敗戦によってCIAへの批判が高まります。そしてその中で、外国要人の暗殺、民間人を含む多くの人々への拷問・殺害、秘密工作やクーデター計画・実施の罪を問われます。
※この時はベトナム戦争にてフェニックス作戦の責任者はCIA長官のウィリアム・コルビーでした。
かつてCIAはKGBの犯罪性を批判しましたが、実は、同じ事をやっていた、という訳です。
ベトナム戦争が終結した4年後の1979年12月、ソ連がアフガニスタンに侵攻しました。
ソビエトの傀儡政権(アフガニスタン人民民主党の政権)がイスラム勢力(ムジャーヒディーンなど)によって脅かされた為です。このイスラム勢力にはCIAなどが武器供与などで支援しました。
このアフガニスタン戦争は1989年まで続きます。
ベトナム戦争の構図と同じです。あの時は、アメリカはソビエトによって支援されたゲリラに負けました。
このアフガニスタン戦争では、ソビエトはアメリカによって支援された武装勢力と戦い始めたのです。ベトナム戦争でのアメリカとソ連との役割が入れ替わっただけでした。
さて、ムジャーヒディーンには20以上のイスラム諸国から来た20万人の義勇兵が含まれていました。その時の映像が残っていますが、この義勇兵の中にサウジアラビアから参戦した若者がいました。後にアメリカ同時多発テロを行うことになる、オサマ・ビン=ラーディンでした。
彼はアメリカ、ソ連が引き上げた荒れ果てた中東の地である決意を固めていました。
アフガニスタンのまっさ中ですが1981年にはかつて俳優であり、FBIのスパイでもあったロナルド・レーガン氏がアメリカの大統領になります。そしてソ連に対抗した軍備拡張を続けます。そして、アメリカとソ連とは、中米ニカラグアでのコントラ戦争(1979〜1989)、アフリカでアンゴラ内戦(1975〜2002)、といった代理戦争を繰り返します。
おそらくオサマ・ビン=ラーディンと同じような思いを持つ人々が多く生まれた事でしょう。
このNHKスペシャル『新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘に覆われた』との事ですが、考え方によっては、何も秘密もなく、嘘もなかったように思います。
国益とか国家システムといったものが簡単に人々を蹂躙する様が見て取れます。
(安倍首相には悪いのですが、)現在の“安全保障理事会”とか“国際法が謳う法の支配”といったものの根拠の薄弱さを感じます。
こうまでして、守った国益とか国家によって、蹂躙された人々よりも圧倒的多数の人々が幸せになったのでしょうか?
※その考えで良いのか、といった倫理的な命題もありますが、本当にこれで世界は良かったのか?を考えてみたいのです。
それでは。
※もう一度、昨日の記事にあるイランとサウジアラビアの事を考えると、おかしな結論しか出てこないのです。
※おそらく、沖縄等に関しても指定解除した秘密文書を見ると多くの認識が変わると思います。
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