その11


阪神大震災(乎成7年3月24日)

 昨日、神戸の人という中年の婦人から電話があった。

 「川越いもが欲しいんですが、どこにどう頼んだら買えるのでしょうか。実は1月17日の阪神大震災直後のことです。全国から運び込まれた救援物資の中に、『川越いも』という文字のある段ボール箱がたくさんありました。その時はそれを見ただけで、その後どうなったかは知りません。あれから大分たって、やっと落ち着いてきました。それで思い出したのが、川越いもでした。話にはよく聞いていましたが、まだ見たことも食べたこともありません」

 川越地方がサツマイモの大産地だったのは20年以上も前のことだ。その後いも畑はすっかり減ってしまい、今でも売るほど作っている所といえば三芳町の上富地区ぐらいのものだ。今日、そこの甘藷農家の阿部光正さんがひょっこり来たので、さっそく例の話をするとやっぱり上富のいもだった。

 「それはうちの方のいもに違いないね。地震のすぐあと、町の青年会議所がいろんな物を集め、4トントラック3台で神戸に行ったんだ。その時、上富の有志が5キロ箱入りの川越いもを100箱ほど寄付したからな」

 わたしも地震後のテレビニュースで、神戸に大量のサツマイモが届けられた所を見た。もっともそれは川越いもではなく、鹿児島県の頴娃町からのものだった。そこで阿部さんが帰ったあと、同町役場に電話であの時のことを聞いてみるとこういうことだった。

 「うちでは地震のすぐ後、18トントレーラーに特産のカライモとダイコンの漬け物を満載して神戸に急行しました。役場の職員も6人、行きました。いもは生では食べられませんから大釜なども持って行きました。西宮の高須中学の校庭でふかして被災者に配りました。でもそういうことをしたのはうちだけではありません。隣りの知覧町さんも大型トラックでカライモを持って行きましたよ」

 こうした善意の反面、悪どい稼ぎをした人も多かった。神戸市では震災便乗値上げがひどく、市民の苦情が多いので、地震5日後に「物価110番」を設けた。そこに寄せられためぼしいものとして、毎日新聞の1月24日号は「焼き芋1本3000円」の大見出しでこう報じている。

 「神戸市西部の国道2号沿いには、焼きいも1が普段の10倍もの3000円という焼き芋屋が現われたり、西宮市の避難所の近くにも1皿600円と、いつもの倍近い値段のたこ焼き屋が出た」

 震災の影響は当館1階のささやかな売店にもあった。向うにいる子供の親類、知人などに見舞いの小包を送る人たちが、干し芋も入れたいとよく買いに来た。干し芋は火や水がなくても食べられる。□に入れながら片付け仕事などができる。あまくてうまいし、ああいう異常な時になりやすい便秘の予防にもなる。いいことずくめで人気があるらしい。

「向うの人にまた頼まれたので」と、3回も買いに来た人があった。

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茨城1号(6月6日)

 わが国のサツマイモは長年、農家の自家用の作物としてひっそりと作られてきた。それが1931年(昭和6年)以来の「15年戦争」の中で「重要国策作物」の一つになり、国の音頭で大増産されることになった。ただ用途は食糧としてではなかった。

 当時の合言葉に「ガソリンの1滴は血の1滴」があった。軍国主義時代の日本の悩みは近代戦に不可欠なガソリンの極度の不足だった。そこでサツマイモとジャガイモから燃料用の無水アルコールを作り、ガソリンに混入することになった。

 1937年、そのための「アルコール専売法」が制定され、年産2万石(3700キロリットル)規模の国営アルコール工場の建設が全国の主要いも類産地で始まった。関東では千葉市と茨城県の石岡に建設され、1938年から操業を開始した。

 両工場とも原料はサツマイモで、品種の中心は「沖縄100号」と「茨城1 号」だった。

 前者は1934年、沖縄県農事試験場で、後者は1937年、茨城県農事試験場で育成された。共に作りやすく、量も在来種とは比較にならないほどたくさん取れたので、アルコール専用種としては頼母しいものだった。

 ただ食べてみるとまずかった。あま味もうま味もない、べチャべチャの「水いも」だった。特に「イバイチ」と呼ばれていた茨城1号はひどく、のどを通るようなものではなかった。

 太平洋戦争末期から敗戦後の2〜3年にかけて米不足が深刻になった。政府は代りに大量のサツマイモを配給したが、その多くはアルコール用に開発されたものだった。まずいものばかりを食わされ、国民はいも嫌いになってしまったが、それがなかったらどうなったのだろう。餓死者が続出したに違いない。

 今年、1995年は「戦後50年」に当たる。そこで当館では「ガソリンいも」ではあったが、「お助けいも」にもなった沖縄100号と茨城1号を付属の農園で作り、秋に展示試食会をやってみたいと思っている。

 ただ前者と違い、茨城1号の苗は近隣になかった。それで今日、水戸にある茨城県農業試験場に苗を分けてもらいに行った。同場には「いも友達」の泉沢 直氏がいる。いろいろお世話になっただけでなく、こんな耳寄りな話まで聞かせてもらうことができた。

 「うちでは毎年秋の1日を『公開デー』にしています。来場者は千人ほど。昔のいもと今のいもをふかし、1口大に切ってその人たちに食べ比べてもらっています。始めたのは1昨年からで、まずは『夕イハク』と『ベニアズマ』。去年は『茨城1号』と『ベニアズマ』で、今年は『農林1号』と『ベニアズマ』の予定です。

 タイハクはとても懐かしがられました。あのあま味はソフトでいいですからね。茨城1号はやっぱりだめでした。べニアズマと食べ比べてもらうのは、最近の関東のいもはこれ一色だからです。それと今のおいもはこんなにおいしくなっているのですよというPRも兼ねています」

 茨城県は関東で最大のサツマイモ産地だ。それだけに試験場も張り切り、PRにまで力を入れている。当館でも、この食べ比べ方式を参考にさせてもらうことにしよう。

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