その6


幻のイモ、オイランがあった(平成5年3月1日)

 当館の生イモ展示コーナーでは昔懐かしいイモ、今、花形のイモ、そしてこれから伸びそうなものの3群を並べている。将来性のあるものとしては肉が紫色のイモやオレンジ色のイモ、「甘藷」という文字にはそぐわないがあまくないサツマイモなどがある。

 昔懐かしいものとは太平洋戦争前からあったべニアカ(紅赤)、オイラン(花魁)、夕イハク(太白)そして昭和9年デビューの沖縄100号などだが、このうちオイランだけはどこをどう探しても見つからなかった。

 最近のサツマイモは肉色が黄色のものが多いが、戦前は白いものもあった。タイハクとオイランがその代表。いずれも肉がまっ白だが、オイランはまん中に薄い紫色が入っている。

 タイハクも今では珍しくなったが、それでも自家用に作っている人はたまにある。ところがオイランとなるとまずない。農業試験場で細々と作っていればいいほうだ。そのオイランが今日、思いもよらなかった所からドカッと来た。

 千葉県の佐原市といえば水郷で有名だが、実は畑地も多く、サツマイモの大産地という意外な反面を持っている。そんなわけで同市農業研究協議会生活改善部の一行20名が研修に来てくれた。そして手みやげとして、フサべニ、べニアズマ、べニアカ、千葉紅そしてオイランを持ってきてくれた。いずれも選り抜きの逸品で、5キロ箱詰め。

 それにしてもオイラン入りの5キロ箱をポンと無造作に渡された時はびっくりした。いくら探してもなかったものが、ある所にはあるものだ。夢のように嬉しく、何度御礼を言ったか分からない。

 このイモが幻のイモになっていることは佐原の人たちもよく知っていた。佐原市農政課の職員で一行の世話人の瀧野さんによると、同市でもオイランを作っている人はめったにいない。だから多分、珍らしかろうと1箱持ってきてくれたのだという。しかもその箱には生産者が手書きしてコピーした、こんなチラシまで入っていた。

 「皆さん、私はオイランです。『さつまいもの里』佐原で50数年間、静かに育くまれて来ました。紅東、金時さんとは違った素朴な味を持っています。中身の色素は食べても決して害にはなりませんので、安心して食べて下さい。食べ残しは捨てないで2〜3日干して食べてみてくれませんか。お子さん、お年寄の恰好のオヤツになります。『かんそういも』にすると、又いっそうおいしく食べられます」

 文中の「色素」とは、オイラン特有の薄い紫色のこと。だれになんと言われようと、おいものオイランに惚れ、たった一人でそれを守り続けてきた人の意地と情熱が、そして優しく温かい心がにじみ出ている。その人は佐原市福田209の明妻一之さんという。

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カロチンイモ(3月19日)

 『日本農業新聞』の連載ものの一つに「わが町わが村これが売り物」がある。平成5年1月25日号のそこに、当館も「加工品ズラリ、サツマイモ資料館」という見出しで大きく載った。以来それを見てきたという人が多くなったが、今日来られた熊本県食品加エ研究所の堀端豊美先生もその一人。数あるサツマイモの中で、先生が今1番注目されているのは肉がオレンジ色のカロチンイモとのことで、こんな話をして下さった。

 「関東ではカロチンイモはまだ出回っていないようですが、熊本県にはありますよ。

 たとえば天草地方では、肉が黄色のふつうのイモは『カライモ』。オレンジ色のものは『アメリカイモ』と言って、区別して使っています。天草ではサツマイモを薄く切って蒸して干したものを『蒸しコッパ』と言います。それと餅米とで作る『コッパ餅』には、カライモよりアメリカイモの方がいいと言っています。

 今、日本ではサツマイモが見直され、注目されていますが、それは食物繊維が多いからです。それを楽しく、おいしく、たくさん摂れる所が1番の魅カです。

 次はカロチン。とくにβカロチンはガンに対する抵抗性が強いと言われています。βカロチンは肉が黄色のイモにもありますが、オレンジ色のイモにはそれよりはるかにたくさんあります。ですからわたしはカロチンイモの活用方法を研究テーマにしています。サツマイモとは関係ありませんが、すでに市場にはβカロチン入りの飲料『ベジータ・べー夕』などが出回っていますよね。

 熊本県のイモ菓子ですか? あまりないですねえ。『いきなりだんご』ぐらいじゃあないですか。あれなら、たいていの餅菓子屋さんにありますよ」

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イバイチ(4月4日)

 農業技術史の研究者として有名な早稲田大学の筑波常治教授が突然来られ、館内を一巡してからこう言われた。

 「イバイチ、茨城1号はありませんか」

 茨城1号は作りやすく量も取れたので、茨城県は昭和12年、つまり日中戦争の始った年に、アルコール原料専用の奨励品種に指定し、普及を図った。ただ味はひどく、とてものどを通るようなものではなかった。

 甘藷農林1号の生みの親として知られる元農林技官、小野田正利氏も『さつまいもの改良と品種の動向』(いも類会館、昭和49年)で、「いもは巨大なる紡錘形のもの多く、稀に下膨紡錘ともなる。肉色は鈍白色、肉質は極軟質で粘質性である。既存品質中、品質劣悪の品種である」ときめつけられている。

 太れるだけ太らせた巨大な沖縄100号(昭和9年育成)も悪評高かったが、これはもともとは早掘り用の食用イモとして育成されたものだけに、まだ救いがあった。ところがイバイチは最初から工業原料用のイモとして育成されたもので、味は問題にしなくてよいものだった。

 それが敗戦前後の食料難時代に食用に転用され、大量に配給されたのだからたまらない。1挙にたくさんのイモ嫌いを作ってしまった。この世にこれ以上まずいイモはないという札付きのイモが当館に無かったのはまずかった。さっそく探してみよう。

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