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具志ブログ(β版)

ブログを継続するために三日坊主を100回リピート(12/100)

以前「生きる意味」について考えたことがあって

考える

いつもお世話になっています。
具志です。

生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

「生物と無生物のあいだ」という本があります。
何年前かな?
新書大賞ってのを取ったとか、なんとか。
 
で、その当時は  
「大賞だと?権威付けされたもんなんか読むか!」
 
と思ってたんだけど、
しばらくたって、ふとブックオフで見つけ、
100円ならいいか、と。

それで、読んでみたら、ガツンときた。
 
曰く「生命とは流れゆく分子の淀みである」と。  

全てはエネルギーの流れ 

以来、生命に限らず、
「全てのものはエネルギーの流れの淀みでしかない」
という考え方なのです。  

例えば、人間は食べて出すことで生命を維持します。  

口を通して植物や肉などの形で流れ込んできた分子が、
体内という管を通りながら、支流にわかれ、
筋肉という淀みや、骨という淀みという具合で、
生命としての形を維持する。

一定期間、淀んだあと、
最終的に灰になって、土に還っていく。

 

その土で作られた植物や、その植物を食べる動物ができる。
それらがまた、誰かの口に、以下繰り返し。  

そう考えると「全て無意味なのか?」と考えたのです。

デザインすること

確かに短期的な意味はないかもしれません。

でも、
「流れをデザインする」ということが重要なんだろう
と考えています。

そうすることで、エネルギーの流れに「意味を持たせる」ことができる。
 
例えば、河川。

雨水が高いところから低いところにながれるだけ。
 
なんだけど、

もし、一つの水滴が、ただ低いところじゃなく、
「ちょっと寄り道」と、小さな意志を発揮して、
横に一筋の跡を残したとします。

 
その跡をみた次の水滴が、
「あ、こっちに流れればいいのか」
と、その跡を、少し広く長くしていく。
 

その後の一滴がまた、その跡をつないでいき、
超長い目で見ると、もともとの河川から支流ができていく。  

そんな支流が源流から分かれていくことで、
また、水を必要とする、ほかの生命体(エネルギーの流れ)に
影響を与えていく。
 
その繰り返しで、世界が形作られていく。  

変化する意志こそが美しい

自分の意志で、
ただ無秩序に拡散していくだけのエネルギーに
何らかの方向性・形を与える。
 
そんなのって、意味うんぬんより、なぜか単純に美しく感じます。  
炎や海、森林や渓谷なんかは、
まさに、何らかの意思によって、
その姿がデザインされていると感じられます。
 
で、俺ら人間が形作る人生も「流れ」で、
自然に対する「イレギュラーな流れ」を作ることができれば、
その流れこそが美しいデザインとなるんだろな、とね。  

意味はなくとも、ただ、楽しい

だから、生きてる人、それぞれが
自分の一生を費やして、
「エネルギーの流れ」というデザインに挑戦してて、
それは意味はないかもしれないけど、
ま、楽しいんじゃない?と。
 
スケールのでかい、タイムスパンの超長い、レゴなのかな。
今なら、マインクラフトかもしれん。
 

Minecraft: PlayStation Vita Edition

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そんなことを考えました。
 
で、その後に、経済の各種グラフをみながら、淀んでるなー、
などとも感じたのですが、それはまた改めて。

今回は以上です。