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日々平安録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2002-02-04

[]橋本治「「三島由紀夫」とはなにものだったのか」

 [新潮社 2002年1月30日初版]

わたしが、三島由紀夫についてはじめて、なにか変だなというか違和感のようなものを感じたのは、その死の日の夕刊を見て、三島が死の日の朝、「豊饒の海」の最後の部分の原稿を編集者に渡していたという記事を読んだときであった。わたしは、三島は何らかの事件にまきこまれて偶然に無意味に死ぬことを望んでいるのだと思っていたので、その事件の詳細がまだわからなかったその時点では、三島が世間をからかうために遊びで作った「楯の会」の会員が三島の冗談を愚かにも真にうけて、「先生立ちましょう」などというので、それに付き合って死んだのだのだろう、と思ったのである。そして、そういう行動により「豊饒の海」が未完で終わることによって、世には文学よりももっと大きなものがあるという主張、三島の晩年の文学嫌悪の主張をを貫徹することになったのだと思った。それが、「豊饒の海」を完結させて死ぬなんて、女々しいじゃないか、三島は最期の時まで、文学を捨てられなかったのだ、という淡い失望のようなものを、その記事を読んで感じた。

 本書はある意味では、三島由紀夫の女々しさの研究である。キー・ワードは「他者」「恋」「芸術家」「権力者」。

 三島が女々しくならざるをえなかったのは、「他者」とであうことで現実と遭遇することを恐れ、「芸術家」として現実から身をひくことをしたからである。

 ひとは「恋」によって「他者」とであう。しかしその恋という現実の場では、ひとは「他者」に対して「権力者」であることはできない。「芸術家」として生きる架空の場では、ひとはいつまでも「権力者」であるつづけることができる。三島は「他者」とであわない寂しさを代償として「権力者」であり続ける道を選んだのだ。

 橋本によれば、三島は近代知性の病理を代表するひとなのであり、<すべてを一人で引き受ける孤独な存在>なのである。彼は《堅固な世界》を維持して、それを決して崩さない。近代知性の世界では、一人の人間は《彼が認識する一つの世界》をもつ。別の人間もまた《彼が認識する一つの世界》をもつ。世界には無数の《世界》がある。しかし、その《世界》は決して交わることなく、平行のままである。複数の人間が存在する《世界》がないのである。《一緒にいる》がない。本来なら、一つの世界にたくさんの人間がいなくてはいけないのに。

 「男」にとって一番の他者は「女」である。「男」は「女」を通じて他者を発見する。「仮面の告白」が独自であったのは、主人公が「男」に欲情することによって「女」を介在させないやりかたを示したことであった。

 だが、三島は、同性愛を世間に主張する強さは持てず、告白を、「仮面」による「芸術家」の告白とすることで、それは三島由紀夫の問題なのであって、自分の問題ではないとして、平岡公威の問題からは逃げた。

 三島は二重の意味で逃げるのである。「他者」から、俗「世間」から。

 三島の文学は、自分が<そとへ出ない>ことの弁明と研究なのである。三島文学の構造は、「自由になりたい」が「自由になりたくない」というややこしさをもっている。

 三島の文学同性愛という背景をもっているため、みんなに本当のことが見えなくなっている。同性愛者であるから「女」を愛せない。世間が「男」を愛することを禁じる。したがって「恋」ができないことが、なんとなく正当化されてしまう。

 しかし、本当は三島にとって、「恋」とは「自分の絶対が脅かされる」ことなのであり、「恋」の相手とは「安全な場所にいる自分を脅かしにくるもの」なのである。三島は同性愛者であるから「恋」ができないのではない。自分しか愛せないから「恋」ができないのである。「自己達成」が至上命題の近代自我にだけこういうことはおこる。そこでは、「他者」は「排除しなければいけないもの」なのである。まもるべきものは「自分の優位」である。それしかない。

 なぜ「塔」=「自分の内部」からでられないのか? 「自分の人生を生きる」ことができないのか? それは彼が欲情するものが「自分の正しさ」なのであり、認識以上の喜びがないからである。

 これは昔からの、精神修養・自己達成の道そのものであるのかもしれない。昔から「恋」は精進の妨げであった。三島は「自己達成の道」を歩んだ最後の人かもしれない。自己達成とは「支配権」の別名である。三島のあと、自己達成といった目標は急激に失われていく。そこに、女たちの声があがってくるからである。<どうして他者と向き合えないのか? どうして他人を愛せないのか?>と。

 「恋」をするためには、「負けてもいい」と思えなくてはならない。それが思えないなら「他者」は「生身の人間」ではなく、「物」=「フェティシュ」と化してしまう。三島が欲するのは「支配」であり「暴君」であることなのである。

 三島が「暴君」の特権を求めるのは、かれの戦前的な階級社会・「エスタブリッシュメント」への夢が背景にあった。三島は戦後を嫌ったが、進歩派的な戦後ではない、別の本当の戦後を求めたのではない。かれは「大衆を嫌う王」であった。『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』において、三島は「我と共に戦おう」と民衆によびかける王である。

 しかし、「豊饒の海」が女の拒絶によって終結するのは象徴的である。「禁色」において、三島は檜俊輔に「人間は丸太ン棒とだって、冷蔵庫とだって結婚できる」といわせて、「嘘をついて生きる」という生きかたを述べているが、それは敗れたのである。「豊饒の海」最終巻の「天人五衰」において出現する贋の転生者、安永透は実は三島自身なのであり、それを久松慶子に否定させ、松枝清顕を本多繁邦を綾倉聡子に否定させることにより、三島は自分の生きかたが間違っていたことを、女に指摘させ、しかしそれにすでに自分自身が気がついていたことを記すことによって、<自分をなにより良く知る自分>というプライドを保とうとしたのである。

そして、このような結末を書くということは、とりもなおさず、三島がもとめていたものが、「女からの愛」であり、「女からの赦し」であったということを示している。

 三島が「女」に求めたものは、《精神的庇護者》であった。母はその役を果たさなかった。三島は「サド侯爵夫人」を書くことによって、母親と決別する。そして以後、女を書くことをやめ、「英霊の声」、「蘭陵王」、「わが友ヒットラー」、「椿説弓張月」の路線を歩んでゆく。しかし、これも「他者」への道ではない。かれは、相変わらず「塔」の中にいた。三島は孤独な少年のまま、その生を終えたのである。幼少時に祖母の保護のもとで生きた甘美な思い出だけを胸にして・・・。

 問題は三島の肉体が自己主張をはじめたことであった。彼は「男らしい男になってしまった自分自身」にとまどったのである。「軍服を着た三島由紀夫」ができ、あとから無理やり論理が付加されてゆく。しかし、三島は「友」としての「男」を持てなかった。最後まで「他人」と出会えなかったのである。

 三島が生きた時代が「戦後」であった。三島は「戦後の男」の私小説を書いたのである。

 

 なんだか、あんまり綺麗に整理されてしまって、嘘みたいにも思える。謎がなくなってしまっている。三島が自分を隠すために、あちこちにおいた目くらましが次々にとりのぞかれてしまっている。

 以上の論旨であれば、当然、三島の結婚が問題になるはずであるが、それにはまったく触れられていない。橋本の礼儀なのであろうか? あるいはそれは書くまでもなく明らかということなのであろうか?

 

 これを読んで、飯島耕一の詩集「バルセロナ」のなかの「川と河」という詩を思い出した。

  きみのみじめさは

  内部に 大河をもっていない

  ということに

  尽きる。

 ではじまる詩である。その一部。

  生きているときは

  三島を それほど好きではなかったのに、

  いま 三島のことを

  しきりに考える。

  三島のいないいまになって。

  彼はテレビに出て

  まっ白な麻の服なんか着て

  豪傑笑いなどしていたが、

  ほんとはテレビもきらいだったにちがいない

  テレビのあとの こんなむなしさ

  は耐えられなかった にちがいない

  その三島の気持ちは よくわかる。

  どんな立派な西洋館に住んでも

  模造西洋に すぎなかった

  軍服さえも にせものだった

  ぜったい本物の

  鴎外のハイカラ

  に 彼はひけ目を感じつづけたのである

  彼は にせものの軍服を着て

  一切のテレビに反抗して

  自滅した。

  (自滅もできない男なんて 尊敬しても

  好きにはなれない。)

  彼は 正月の元旦のような気分が

  一年中 ほしかったのだろう

  あわれな男。

 

 この橋本の描く三島由紀夫は、ほんとうに可哀想で、孤独でけなげな少年なのである。


(2006年3月13日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • 橋本治のいっていることは個人でありながら、誰かと一緒にやっていくということなのだけれども、日本のインテリは個人になると孤独になってしまうのである。それで自分を愛することしかできなくなってしまう。そういうのって不健康なんじゃない、と橋本治はいう。三島由紀夫は不健康な日本のインテリの代表選手ということになる。でも自滅もできない男なんて・・・。Only connect! (2006年3月13日付記)
「三島由紀夫」とはなにものだったのか

「三島由紀夫」とはなにものだったのか

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