俺は今、回転寿司にいる。俺としたことが今回は油断してしまった。回転寿司はどこでもタッチパネルの端末で注文できると思っていた。まさか、タッチパネルがない店があるなんて。はじめはそれでも構わない、そう思っていた。ところがレールを流れる寿司を見て愕然とした。350円の皿しか回っていない。そんなバカなことがあるか。私は待った。次だ。次こそ100円の皿が回ってくるに違いない。来ない。350。350。350。
しかし、転機が訪れる。
通常ニ貫で一皿を形成する回転寿司。ところが遠くに見えるあの皿には一貫しか乗っていない。あれだ!あの皿こそ求め続けた100円の皿に違いない。しかし、ここにたどり着くための道のりは容易ではない。先頭から老夫婦、カップル、そしてファミリーと三つの関門が待ち構えている。一つ目、老夫婦。老後の生活を考えれば真っ先に100円の皿を取ってもおかしくない。俺は祈った。取るな、取るな、取るな!老夫婦の前を素通りする皿。俺は胸をなでおろす。しかし、試練は始まったばかりだ。
皿はゆっくりとカップルの前に差し掛かる。今日の夜、そして、この先の結婚資金を考えれば100円の皿を取ることは至極当然。カップルの男の目がチラッと皿を見る。ロックオン、くそっ、ここまでか。覚悟を決めた俺は眼を閉じた。ダメだ。そうじゃない。俺はどんな時もしっかりと現実と向き合う。現実から眼をそらさない。俺は眼を開けた。見える。ハッキリと。勝利の女神が俺にほほ笑んでいる姿が。あの皿がカップルの前を素通りするではないか。瞬時に分析。なるほど、なるほど。さすがにデートで100円の皿を取ることはオトコを下げるか。バカが!その甘さが命取りなのだ。俺は取る。俺はどんな時でも取る覚悟がある。
残りはファミリーあるのみ。ここさえ通過すれば、間違いなくあの皿は俺のものだ。しかし、冷静に考えれば、ここが最も難関。難易度でいえば上級の国家試験となんら変わらない。あの子供、すでにレールの上に身を乗り出している。取る気だ。いや、そんな生易しいものではない。あれは虎の眼、ハンターの眼だ。確実に獲るだろう。が、取らない!取らない!取らない!来た、来た、来た。俺の前にあの皿が来た。ゴール、ゴール、ゴール!!!ドーパミンが駆け巡る。落ち着け。ここで皿をひっくり返してしまったら、ここまでの苦労が水の泡だ。ゆっくり、ゆっくり、な?なにっ!!バカな?そんなことがあるか?なぜ、この一貫の皿が500円なんだ。ふ、ふざけるな!俺は取る。俺は取るぞ!
くそっ、取れない。右手がテーブルの上から動かない。これほどまでに強烈なオーラは見たことがない。俺はただ皿が通り過ぎるのを黙って見ていた。これが圧倒的な力の差なのか。指一本触れられない。はぁ、はぁ、はぁ、ちくしょー。俺は負け犬のような眼で職人を見た。職人も俺の視線に気づいたのだろう。ケースから一匹の魚を取り出して包丁でさばき、流れるように握り始める。美しい。見とれてしまう。職人は四皿ほど作り終えるとゆっくりと俺に近づいてきた。そして、俺のすぐ近くのレールにそっと寿司を置いた。職人は振り返らず、ただ背中でこう言っていた。「ほら、腹一杯食えよ。」職人が俺のために握った寿司。俺だけの為に。俺はその寿司を見て震えた。さっき流れていった500円の皿と同じ寿司を、もう一度置いて行きやがった。くそっ。バカにしてやがる。「さっきまでの威勢はどうした?」まるでそう言わんばかりに職人が俺をじっと見ている。俺は猫のようにテーブルの下に眼を伏せた。悔しい。黙ってちゃダメだ。黙っていても何も変わらない。言え!言ってやれ!俺は違う。ここにいるイエスマン達とは違う。いつもより少し大きい声を出すだけ。そうだ。あまり大きすぎると職人がビビって握りにも影響が出るだろう。俺はそれを望まない。さぁ、来い。もっと近くに。俺のとっておきをお見舞いしてやる。今だ!!
「コーンマヨください。」
ダメだ。届かない。いや、聞こえていた。絶対に。職人は聞こえないふりをしているのだ。仕方ない。次はMAXだ。あんたがお望みのMAXで言ってやる。今更、後悔してももう遅い。
「コ、コーンマヨくらさい!」
言った!言ってやった。見ろ、職人のあの顔。どうだ。さぁ、コーンマヨを作るがいい。どうだ?何時ぶりだ?どうだ?久しぶりのコーンマヨは。握れ。握ってみろ!
お前には負けたよ。そう言うかのように職人はマイクに向かってこう呟いた。「マヨコーン一枚。」コーンマヨをマヨコーンと呼ぶその負けず嫌いなところ、俺は嫌いじゃないぜ。さてと、次はどうする。もちろん100円だ。俺は手を緩めない。誰も成しえなかった100円の皿の全制覇だ。その前にもう一度。その時、俺は気づいた。
気づいてしまった。
そう…
もう一回マヨコーン頼みづらい。