現在劇場公開中の「オデッセイ」は、火星にただ一人置き去りにされたマット・デイモンがディスコ音楽をかけながらジャガイモを育てるサバイバル・ファーミング映画で、こうして要素を並べただけでどう考えても面白い必見の映画だ。しかしもうひとつ、我々にとって極めて重大な事実がある。監督がリドリー・スコットなのだ。リドリー・スコットといえば言うまでもなく偉大なサイバーパンク映画「ブレードランナー」の監督であり……「ブラック・レイン」の監督でもある。
「ブラック・レイン」は日本を舞台にしたハリウッド映画で、ブレードランナーの7年後に公開された。少し前のエントリ サイバーパンクって何?:ニンジャスレイヤー読者向けの入門用映画3選 - ニンジャスレイヤー公式ファンサイト:ネオサイタマ電脳IRC空間 ではサイバーパンク映画3本を紹介したが、今回、この素晴らしい名作を紹介させていただこうと思う。
夜のメガロシティに逃れた危険なヤクザ、サトーの影を追え
あらすじ
ニューヨーク市警殺人課のデッカーであるニック(マイケル・ダグラス)は、お膝元で堂々と敵対ヤクザを殺害した危険なヤクザ、サトー(松田優作)を逮捕するが、彼を刑務所送りにはできなかった。政治的な理由により、身柄を日本に引き渡さねばならなかったのだ。
相棒のチャーリーと共に旅客機でサトーを護送したニックだが、あろうことか空港でサトーを取り逃がしてしまう。サトーを追うニックとチャーリー(アンディ・ガルシア)は、監視役としてつけられた大阪府警のマサ(高倉健)との間に徐々に信頼関係を築く。
決定的な潜伏情報が得られぬ中、逆にサトーは手下の危険なバイク・チームを率いてチャーリーを襲い、アスファルトにギャリギャリやった長ドスで首を刎ねた! 怒りに燃えるニックの復讐が始まる。
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濃厚なアトモスフィア
「ブラック・レイン」は松田優作の生前最後の出演作であり、狂犬めいた危うい迫力が凄まじい。彼がバイクを加速させながらアスファルトに長ドスを擦らせ、チャーリーの首を刎ねるシーンは極めて衝撃的だ。ブラック・レインといえばバイクで斬首、というイメージをお持ちの方もおられるはずだ(ニンジャスレイヤーにおいても、敵ニンジャのバジリスクがバイクで突進しながらニンジャソードの切っ先をアスファルトに擦らせるシーンは、ブラック・レインのオマージュであるらしい)。
そして、語り草の上記シーンと「当時の現代日本を舞台にしたハリウッド映画」という予備知識をもとに映画の視聴を開始した貴方は、ニューヨークでの乾いたアクション・シーケンスが終わり、主人公たちが日本を訪れたとき、思いがけず驚愕に目を見開くだろう。スクリーンに広がるのはブレードランナーの続編といっても決して過言ではない猥雑なメガロシティの映像美である。
旅客機が空港に着陸する際に見えるオーサカの風景の時点で、既に貴方はリドリー・スコットが描き出すサイバーパンク世界の虜だ。スモッグに覆われて茶色に霞む街並み、コンビナート群が噴き上げる白い蒸気。もうこの入り口から異様にカッコいい。以下にブラック・レインが内包するサイバーパンク要素を思いつくままに並べてみる。
- 蒸気を吐く重コンビナート地帯の遠景
- ネオン街と、「アカチャン、ソダッテネ」的な広告音声
- 泥臭い市場
- LEDを散りばめたトラック
- ヌードル(しかもソバとウドンの二種類が登場する)
- サングラスをかけたヤクザ
- 妖しく輝くナイトクラブ
- 「的確な判断」「確固たる安全性」等の日本語
- 重金属酸性雨
- UNIXに映る「捨」の漢字
- 溶鉱炉
- バイクアクション
- 高層団地
- 扇風機が回転する悪のアジト
- カラテ
そう、ここには、キアヌリーヴスとヘッドマウントディスプレイとニンジャ以外はだいたい何でもある。あなたは、これはサイバーパンク映画ではないのか? という疑念を常に抱きつつ視聴することになるだろう。環境音として配された群衆の日本語会話と雨に濡れた街並みが貴方のニューロンを強くフックし、灰色のメガロシティにいざなう。
ネオン看板、市場、パチンコ、ゴルフの打ちっぱなし、剣道、タクシー、三輪車の置いてある団地……我々日本人の日常生活に馴染み、特段意識される事のない筈のアイテム群は、この映画の中でヴィヴィッドで生々しいサイバーパンク・ガジェットと化す。リドリー・スコットは二時間の中にそうした要素を限界まで詰め込んだ。
大阪で実際にロケを行い、登場俳優も我々が実際よく知る名優が極めて贅沢に集められてる。登場する日本的要素はおしなべて的確に考証されている。それらが海外の視点を経由して映画の中に配される事で、絶妙に美しく異化され、異世界としての濃厚なアトモスフィアを放つに至っているのだ。
理想的なバディ・ムービー
ストーリーは理想的なバディ・ムービーである。カタにはまらず粗暴で常にイラついているニックと、礼節と組織を重んじ、ともすれば慎重になりすぎるマサは対称的な存在だ。しかし共に敵を追いかけ、困難に立ち向かう中で、お互いをリスペクトするに至る。彼らは混じりあうことのない水と油のようだ。しかしそれでも、戦いを通して、少しだけ前向きに変化する。ラストシーンの二人の別れに貴方は静かな感動の涙をこらえるだろう。ヒロインのジョイスとニックの関係性も、異邦の地でサヴァイヴする者同士の奥ゆかしい友情として描かれ、上品である。アクションはやや淡白であり、全編通して凄まじくカッコいい高倉健が最後の農村のバトルであまり活躍できず、松田優作の倒され方もややあっけないのが少し残念だが、全体の完成度がそれらを補って余りあるので大丈夫だ。
結局サイバーパンク映画なのか?
結論を言うと、キアヌ、ヘッドマウントディスプレイ、サイバネティクス、電子ネットワークのどれも存在しないので、この映画は厳密にはサイバーパンク映画ではない。しかしそれは些事に過ぎず、チョーおもしろいので我々はこの映画を視聴すべきであろう。その濃厚なアトモスフィアに、筆者はボンド&モーゼズがこの映画を大きな影響源の一つとして挙げている事を今回あらためて納得した次第である。
(Tantou)