娘の試験、不合格だった(;´Д`)
1月30日が試験で、2月6日が結果発表だったのだが、娘から何の連絡も無かったので、「これはダメだったからなのかな」と思いながら、先週一週間を過ごしたが、やっぱりだった。
看護学校って難しいんだな…
試験に落ちた時の親がとるべき態度って、どれが正解なんだろう。
試験に落ちたという「結果」で言えば、「結果無価値」だったんだろうけど、結果に凹むのは本人だけで充分。
せめて親ぐらいは、子供の頑張り、つまり、子供が試験勉強に費やしたことは、「行為無価値」ではなかったと、評価してあげなくちゃな…
また1年、英語と数学についての親子間の通信教育が始まる。
ドナルドキーンさんについて、2日間に亘って書いたが、土曜日にUPした記事で、PVの数、記録更新、日曜日にUPした記事は前日の倍、1000近い数字となった(;゚Д゚)
でも、それはキーンさんがスゴイだけのことで、俺とは別の話だ。PVもまたいつもの数に落ち着く。
こうして、また、日常思った事、感じた事、書きたい事を自分らしく書き連ねていこう(^◇^)
前回の続きを書く。
季節は秋となり、誕生日を迎えた。16歳だ。これで、バイクの免許もとれる年齢となった。もちろん、住所不定なのだから、免許取得は無理だけど…。
とてもじゃないが、誕生日を祝う気持ちにはならなかった。
普段通りに、作業服、地下足袋、ヘルメットに身を固め、建設作業員として励んだ。
当時、地下足袋は「エビス」と「力王」の二つが主流だったんだけど、今はどうなっているのかな。因みに俺は力王派だったけど。
全く関係ない仕事をしているので、「ワークマン」とかのガテン系のお店に行くことがなくなった。だから、気になるものの、未だ確認できずにいる。
昼飯休憩の時に、職場の仲間との雑談で、出身校の話になった。「ゆうは?」と訊かれたので、「高校中退だよ」と答えると、みんなが「やっぱりな」というリアクションをした。
同僚の一人が「それじゃあ、大卒は職長だけなんだ~」と言った。
俺は、「大学まで出て、こんな飯場で仕事しているんだ~(;゚Д゚)」と内心、ビックリしたのを覚えている。
聞くところによると、職長の松坂さん、年齢は俺よりの一回り上の28歳、日大の建築を出ているとのこと。当時はよく知らなかったが、日大、理工の建築なら、看板じゃんかよ。
時はまだ、昭和50年代、その気になって探そうと思えば、日大ならいくらでもマシな働き口あるのにな…ヒトには言えない闇を、みんな抱えているのかな。
そんなことを考えながら、午後の仕事に取り掛かり、いつもの通り、汗を流した。
財布の中身も、結構、重くなってきた。15万円近くある。大体、日中は殆どお金を使わない。せいぜい、「ごはんですよ」、フリカケ、ちょっとしたお菓子、タバコに使う位だ。もう、友達とかはいない。だから嫌でもお金は貯まる。
建設作業員とかじゃなくて、喫茶店のウェイターみたいなおしゃれな仕事で、アパートを借りて生活する。それにはどれ位のお金が必要なんだろうか。
少なくとも、20万円位は必要なんじゃないかな?
喫茶店とかで働いたら、異性の友達とかできるかな?
些細だけど、そんなちょっとした「夢」に支えられながら、キツイ仕事を続けていた。