越冬闘争

あいりん地区に行ってきた

あいりん地区を見て回っていた3時間ずっと、絶え間なく感じていた別世界感そして疎外感は、あいりん地区が『「見たいように見る」という枠から外された場所』であったがゆえのものだったのかもしれないなと思いました。

私が見た『あいりん地区』

あいりん地区に行ってきた。長く貧困や格差を専攻していたわりには、実は一度も行ったことがなかった。偶然、行ってみたいという友人が集まったので、新幹線に飛び乗って弾丸で街を歩いてきた。

見たものは上記ブログ記事にあるのと同じで、作業着のおじさんが歩き回る街に、コインランドリーとセットで並ぶ簡易宿泊所、そこら中で見かける「福祉の方も歓迎」という言葉、仮設の集合住宅と化した公園など。駅前の通りから1本折れただけで、そこは別の文化を持つ国だった。

最も衝撃を受けたのは、それが自分の住む世界と全くの地続きの場所にあったというところ。なんの変哲もない道を普通に歩いていたら、もうそこはドヤ街という特殊な場所だった。明確な境界線が無いのに、明らかに境界を踏み越えてしまったと感じさせる空間。それがあいりん地区だった。

越冬闘争

なぜあいりん地区が生まれたのか

聞いた話によると、大阪の福祉重視政策が他県からの生活困窮者の流入を生み、大阪全体に低所得者が増える中で、職業安定所のあったあいりん地区に日雇い労働者が集まり始め、それに合わせて簡易宿泊所などが集まって現在の姿になったのだとか。

自治体間で福祉政策の手厚さに差があると、福祉政策が薄い自治体は手厚い自治体へ生活困窮者を移住させることでフリーライドするインセンティブが生まれる。役所の職員も、厄介者を別の街へ追い払うという意図もあっただろうし、逆に目の前の生活困窮者を救うための支出を負担できず、泣く泣く電車賃を渡してあいりん地区へ移動してもらったという場合もあるだろう。どちらにせよ、フリーライドする側を道義的に責めても何も解決しない構造的な問題なので、そういったタイプの政策は本来、国家がユニバーサルに支出を負担すべきという基本的な事実を確認する。そうしないと、いま目の前にあるような「追いやられた人々の街」が生まれるのだ。

あいりん地区をひとしきり歩き回った後、難波まで戻って大規模な商業施設の広々とした階段を歩く女子大生を見た時に、ふと思った。今まで自分が普通に生きてきたこの世界で普通にショッピングモールを歩く人々が、あいりん地区で奇声を上げながら練り歩く人々と、なぜこうも近くにいながら遠い存在なのだろうと。

最初に引用したブログ記事にあった通り、あいりん地区は「みんなが見たくないもの」を、自分の視界の外側に押しやった結果、全国各地から押しやられてきた人々によってできているのだろう。この豪華なショッピングモールに浮浪者はそぐわない。いるべきではない。別に利用者の一人一人が明示的に立ち退きを勧告したわけではないだろうけども、いま自分が立っているこの場所に「いない人」がどこにいるのか考えてしまうようになった。

越冬闘争

後になってからしか見えない排除

多分、こうした目に見えない排除は、自分の視界のギリギリ外側で常にあったのだろうなと思う。目には見えない程度の速さでゆっくりと進み、その差が顕著に見え始めてから「ああ、排除があったんだ」と初めて認識される。思い返せば、小学校の頃に友人の家へ遊びに行くと、狭いアパートに住んでいる家庭と一軒家に住んでいる家庭があった。いつも筆箱も持ってこずに授業中に寝ていた同級生や、風呂に入る習慣の無さそうな同級生たちが、今どこで何をしているのか想像もつかない。いつの間にか自分の視界の外側にいて、もしかしたら同じような人が集まる場所を形成しているのかもしれない。

今回、あいりん地区を訪れて思ったのは、貧困の深刻な現状をセンセーショナルに取り上げることにはもう意味が無いのではないかということだった。「日本は豊かん国だと言われているが、こんなに貧困は深刻だ!」という内容の本は巷に溢れている。でも、そういったレポートをいくら量産しても読まれることはないし、読まれるためにショッキングでキャッチーな内容にすればするほど「別の世界のこと」という感覚が強まる。違う、そうじゃない。いま自分が生きている、その脚を着けている地面と続いているすぐそこに「視界の外側」がある。貧困を見つめて欲しいのではない、そうなるまで気付かなかった我々の「普通」の生活の中にある小さな「排除」を想像してほしいのだ。

越冬闘争

「すべり台社会」からの脱出

我々の生きる「普通」の社会の中に「排除」がある。「見たくないもの」が視界の外に追いやられている。であれば、いま押しやられようとしているのは誰なのだろうか?

大学3年生の頃だったか、湯浅誠『反貧困 - 「すべり台社会」からの脱出』という本を読んだことがある。貧困に陥る人は、どういった経路でそこに至るのかを綴っている。別に真面目に働く気が無いから就労できないのではない。一般的な高校・大学・就職といったルートを辿りながらも会社でパワハラに遭って精神を病んで辞め、定職に就けなくなった人。親が認知症になり、老人ホームへ入れるほどの収入も無かったため、親を介護しながら働ける非正規雇用に移った人。会社が倒産した、鬱になって働けなくなった、事故や病気で正規の仕事が難しくなったなど、別に誰にだって起こり得る偶然で、すぐに生活を支える収入を失い、困窮する社会に我々は生きている。これを誰かがロシアンルーレット型社会とか呼んでいた気がする。次は自分かもしれないし、自分の隣にいる大切な人かもしれないのだ。

「外側」への想像力

あいりん地区では1日1,200円もあれば何とか食と住を確保できるらしい。ある意味、日雇いに耐えられる心身を持つ人なら、餓死せずに「困窮」までで済ませることができるインフラでもあるのだろう。逆に言えば、そこにすら受け入れられない人もいるはずだ。新宿区戸山団地で続発する老人の孤独死や、年間30,000人の自殺者などは、きっとあいりん地区よりもさらに「外側」にいる人たちなのだろうと思うし、それ以外にも我々の視界の外側には我々が「見たくなかったもの」があってもおかしくはない。

「外側」への想像力が大切だと僕はよく言う。それは「外側」に何があるかを想像しろという意味ではない。自分の見えていない範囲に、自分の想像が及ばない何かがあるかもしれないと、常に心得ていなければならないという話である。自分を包む世界と自分の見えている世界は同値ではない。いま目の前にある「普通」には「何が無いのか」に気を配らなければ、見落とされてしまう人たちが沢山いるのだ。