ジブリの新作についていまごろ知った。高畑勲が受賞したとかでリンクにようやくきづいた。
こんな記事とかある。
アニー賞功労賞に高畑勲監督喜び 有能な周囲の協力があってこそと感謝 2016年2月7日(日)17時20分配信
私はもういまとなっては高畑勲に学びたいとも思わんけど、しかし、第三者的に見て、高畑勲の功績って称えられるべきとは思う。
日本作品受賞ならず…『インサイド・ヘッド』が最多10部門受賞“アニメ界のアカデミー賞”アニー賞授賞結果 2016年2月7日 15時28分
私はそこまで『インサイド・ヘッド』を佳作とは思うてないけど、『インサイド・ヘッド』をいいと言うとったゆかるんなんかは、『インサイド・ヘッド』について改めていろいろ主張してもええんちゃう?
私はもう、自分がどう思うかというのと、相手がどう思うかというのと、世間がどう思うかというのと、全部別々に考えとる。
人々と話しとったら、この3つの区別をつけずに、全部一緒に考えとるヒトがほとんどやな。
『インサイド・ヘッド』についてやと、ゆかるんの思いを世間一般にアピールする意義はあると思うねん。
てか、ゆかるんが『インサイド・ヘッド』を推しとったことを世間一般にアピールしたら、「この子はもしかしたら作品を見る目があるんちゃう?」と世間から思われるかもやし。
私だってべつに、『インサイド・ヘッド』について自分なりに感じたものはあるけれども、ゆかるんがそれ以上のモノを得たというならば、私の考えを直すし。
だいたい、失敗を恐れてないのが、私が強いところやと思うねん。
まあ、それはそうとして。
関連でこんな情報も得た。私は今日はじめて知った。
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ジブリ最新作『レッド・タートル』がもっと楽しみになる! 「スタジオジブリ」の27年間を知るアニメーターしか知らないエピソード
2016年2月6日(土)9時0分配信 ダ・ヴィンチニュース
と宮崎駿監督から注意された彼女。しかし、まぶたの線はもともとは描かれていたにもかかわらず 、作画担当の指示でわざわざ消したものであった。このような、各部門のアニメーターによって指示が矛盾していた際のトラブル対処も動画チェックの役回りなのだ。結局、そのときは監督の指示に従いまぶた線を入れて対応したそう。また、舘野氏 の席は宮崎監督の近くだったこともあり、息つく暇もないのは想像に難くなく、“エンピツ戦記”というタイトルもピッタリ。
宮崎氏は2013年に行った引退会見で“僕は文化人にはなりたくない、町工場の親父だ”と述べていたが、舘野氏は彼のことを「監督である前に芸術家」だったと回顧録に記している。
彼の感性が、ある意味“普通ではない”ことがよく分かる話を紹介しよう。ジブリの社員旅行に行った際、空から舞い降りてきて翼をたたんだ鳥に向かい、宮崎氏は「おまえ、飛び方間違ってるよ」と本物の鳥に向かって、自分の理想の飛び方を要求していたというのだ……! 「現実の向こうにある理想のリアル」を追求する宮崎氏ならではのエピソードだ。
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『レッド・タートル』なんて誰がどう考えても赤=共産主義との関連を考えてまう。
紅の豚とか、ピクサーでいうとカーズでもそうやろ。
なんか映画って赤色が多いねん。
けど私は、赤=共産主義、なんてのはやめてほしいと思う。
だってソ連だって中国だって、国旗がまっ赤っ赤やん。
・・・・そういえばアメリカも日本も、別の色を使うたらええのに敢えて赤色主体なんはなんでやねん?
韓国とかフランスみたいに、赤と青の比率を同率にする案だってあるのに。
しかしそう思えば、イギリスの、青色の中に”米”って赤色で書いたのは、日本人からするとイギリスのアメリカに対する怨念みたいに見えるよなあ。
・・・・・てか誰かコレ漫才のネタにでもしてよ。
それはそれとして。
スタジオジブリには「すべらない話」がいっぱい!? 天才達が自由すぎる! 2014.8.29
すべらないハナシとは思わんけど、ナウシカのときに高畑勲がノート1冊に、どうして自分はプロデューサーに向かないかを頑張って書いてきたエピソードは知っとる。
けど、心理学的にいえば、高畑勲はプロデューサー未経験者として「自分はプロデューサーの仕事についてこれだけ調べました。だからプロデューサーにさせて」と言うとるのと同じといえる。
それでプロデューサーを否定してくる高畑勲って、妙にお子ちゃまやんなあ。
自分からは一切ウンと言ってないのに、全体としてウンと言うとるのが丸分かりで、その上で相手にウンと言わせるって、用意周到で、さらにいえばめっちゃ官僚的ともいえるけどさあ。
鈴木敏夫はその心理を汲み取っただけや。
やりとりから、どう考えてもそう読み取れるやろ。
徳間康快が「金なんて紙だからな」と言うたというのは、私は「金は銀行にいっぱいある」と言うたと受けとっとる。
自分がカネを用意せんかっても、誰かをその気にさせたらええというのは、私の人生哲学になったといっていい。
AKBメンバーを応援しとるのも、握手にカネを使わんかっても、違う応援の方法があると思い至ったからこそや。
てか、宮崎駿が、鳥が飛んで止まるのを見て、自分のイメージと比較して「その飛び方は違う」と鳥に言うたというエピソードを見て、宮崎駿と私との差を思った。
私はべつに、鳥は飛べとったら、その飛び方におかしいもなんもないと思う。
そういう飛び方もアリと思うだけや。
11月に水族館に行って、いろんな動物の行動を興味深く観察したのを見ても、私は基本的に動物の行動を否定せん。
鳥が、自分の思う飛び方はこう!と言うとったり、現実にその飛び方で問題に直面しとる、と判断した場合は、それはちゃうんちゃう?とさすがに言うけど。
宮崎駿は万物を自分のイメージに合わせようとしとる。
そうではない。
万物は万物の思うままに動くほうがゼッタイにええねん。
それが、そいつの意図と違う場合だけ修正すべきやねん。
それと、上のほうの舘野さんのエピソードで、宮崎駿と作画(たぶん当時若手の佐藤好春作画監督やろなあ)との違いに舘野さんが宮崎駿に自分の苦労で合わせたとあるけど、それはアカンなあ。
ホンマは宮崎駿と作画と舘野さんで不都合について話せなアカン。
話せん雰囲気を作ったことは、監督である宮崎駿の失態な。
毛沢東好きであった共産主義者の宮崎駿が、イチ新人が意見も言えんほどの独裁を振るっていたというのは、いまとなってはいくら名作とされるトトロであっても、問題とすべきなんちゃう?
・・・まあ、私は上の人間のあらさがしをせよと言うとるワケではなくて、上から降ってくる言葉をそのニュアンスだけで取るな、と言いたいんや。
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