イナリワン死す、有馬V柴田政人師「一世一代の競馬。根性がすごかった」
1989年にG1・3勝を挙げ、その年の年度代表馬に輝いたイナリワン(父ミルジョージ)が7日、繋養先の北海道占冠村・あるぷすペンションで死んだ。32歳だった。
同馬は、公営・大井でデビュー。5歳時にJRAの鈴木清厩舎に移籍すると、武豊とのコンビで89年天皇賞・春、宝塚記念を連勝した。秋は柴田政人(現調教師)に乗り替わり、毎日王冠(2着)、天皇賞・秋(6着)、ジャパンC(11着)と連敗したが、有馬記念でスーパークリークを鼻差で差し切り、見事に復活を遂げた。通算成績は25戦12勝(地方14戦9勝)だった。
引退後は種牡馬となったが、代表産駒はシグナスヒーロー。重賞2着は5回(96年ステイヤーズS、97年AJC杯、98年日経賞、99年エプソムC、同七夕賞)も、重賞は勝てなかった。04年に種牡馬を引退してからは功労馬として余生を過ごしていた。あるぷすペンションの本田光司さんは「前日の朝に起きあがれず、安静にしていましたが、16時25分、息を引き取りました。それ以前は多少弱っているところはありましたが、高齢馬としては普通に過ごしていました。1歳馬や2歳馬たちが悪さをすると、たしなめたりと教育係みたいな存在でした。元気だった時の姿が思い出されます」と別れを惜しんでいた。
イナリワンとともに平成の3強を形成したオグリキャップ、スーパークリークはすでに2010年にこの世を去っている。
柴田政人調教師(騎手時代に有馬記念で勝利)「32歳なら大往生だろう。440、450キロ台の小さい馬だったが、またがるとすごく大きく感じさせた。初めてのレースだった毎日王冠は、脚を計る競馬をしたが、いい競馬をしてくれた。オグリ(キャップ)には負けてしまったけどね。有馬記念は自分にとって一世一代の競馬。年度代表馬もかかっていたし、絶対負けたくないと思って追ったよ。次の年のオグリも秋の天皇賞、ジャパンCと同じ着順からの有馬記念での復活だったことを思い出すね。とにかく乗り味のいい馬だったし、根性がすごかった。オグリも(スーパー)クリークも先に死んでしまったけど、あの頃はすごくいい思い出として残っている。どうか安らかに眠ってほしいね」