このツイッターまとめ、読みました。
運動部での経験がない人は使い物にならないという話。
まぁ、まとめなので途中に色んな意見が出てくるわけですけども、表題の「運動部未経験者は使い物にならない」という主張。これは実に利己的な論理だと思いますね。
「運動部未経験者は役に立たない」という言葉は、運動のできるヤツが球拾い役のパシリを欲しがってるだけの、薄い言葉です。ホリエモンが指摘して炎上した、すし屋の「修行」と同じです。
運動部に所属するのは、運動が得意、あるいは運動が好きな子だけでいいです。それ以外の嫌々参加している行為のすべてが無駄です。
ぼくはむしろ、運動の苦手な子にはスポーツの部活をさせない方がいいと思っています。というより、させてはいけません。これは苦手なことから逃げるという意味ではないです。だって、運動は体育の授業でやりますからね。
体育の運動は、できないなりに精一杯頑張る前提ではありますが、親の目から見て明らかに運動能力が劣っており、本人にもスポーツに対する興味関心がないのであれば、すんなりあきらめて別のことをすべきです。
なぜかと言うと、運動が苦手なのに運動部に入部すると、10代の貴重な時間をどぶに捨てることになるからです。運動部は、ツイッターのまとめで言われていたように、先輩後輩のヒエラルキーのある場です。
ただし、この上下関係というのは、あくまで歳相応に能力が伸びていった前提でのヒエラルキーです。運動のできない子は後輩にどんどん追い抜かれていきますので、いつまでたっても下っ端のままです。
顧問の先生の方針にもよりますが、酷いのになると、下手すれば3年間ずっと下働きで全然ボールに触らせてもらえない可能性もあり得ます。これをスポーツと呼べるのか。
運動のできる子は、レギュラーなり準レギュラーとして、ちゃんとスポーツを学ぶことができます。体育会系の上下関係とやらを学ぶこともできるでしょう。
ただし、運動が苦手な子は、相対的に球拾いなどの下働きの時間が長くなってしまい、嫌味な言い方をすれば、運動神経の良い子たちの養分にされてしまうおそれすらあるということです。
運動神経のいい子たちは、スポーツの技術を身につけてそれが将来の就職活動にも、人間関係の構築にも役立つのかもしれません。でも、補助要員としてずっと下働きしていた、運動が苦手な子に残るのは、劣等感だけです。将来の役に立つことなんて何もない。
そもそもみんなが運動すべしという発想がおかしいんです。
文系・理系の得手不得手があるように、そもそもの体の作りが違います。為末大さん風に言えば、これは努力や根性の問題ではなく、運動が得意な体に生まれるかどうかの問題です。
であるならば、運動が苦手な子は音楽や読書、パソコンでも何でもいいのですが、運動以外のもので、自分が興味をもてるもの、将来に活かせそうなものを見つけた方がいい。
だって、球拾いしてる時間にプログラミングを学んだ子どもには、IT業界で働く道が開けるわけじゃないですか。教室の隅でずっと本ばっかり読んでいたぼくは、いま文章を書く仕事についています。体育会系のノリなんて絶対無理だけれど、それでも仕事をもらえて食えています。
そりゃ、いまの新卒一括採用の世の中ならば、部活経験豊富で良い大学を出ていれば、なりたい仕事に何でもつけるフリーパスが手に入ると言うのはわかりますよ。わかるけれど、でも、みんながそうなれるわけじゃありません。
運動が苦手で嫌な人は、苦手なことを延々続けて腐るより、すっぱり辞めよう。
そして、自分が興味を持てる、もっと上手にできることに夢中になろう。
自分の苦手な分野で勝負して勝てるほど、社会は甘くありません。この事実に気づかず、頑張って耐え忍んでしまった頑張り屋さんが、一生、球拾いの人生を歩むとしたら、あまりに救いがありません。
企業が求める「不条理に対する耐性」とやらが必要なら、厳しい店でアルバイトすればそれで十分鍛えられます。10代の貴重な時間を大量に使ってまで、やることじゃないでしょう。
ちなみに、運動が苦手なぼくですが、スポーツそのものは嫌いじゃありません。気心知れた仲間とフットサルをやるとしたら、それは楽しい。たとえゴールを決められなくても、みんなとコートを走り回るのは爽快です。
スポーツと部活は全然別ものです。
スポーツを隠れ蓑にして、運動音痴をタダ働きさせる「部活」とかいう糞システム。
そろそろ日本からなくなりませんかね。