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アレックス・タバロック「アルゴリズムにゆだねよう」

[Alex Tabarrok, “Defer to the Algorith,” Marginal Revolution, February 6, 2016.]

BuzzFeed のニュース記事で,Twitter がまもなく時系列フィードをやめてアルゴリズムによるフィードに切り替えると予想している.アルゴリズム型フィードでは,ツイートにランクをつけて個別ユーザーの好みそうなツイートを優先して表示する.当然の成り行きで,Twitter はこれでもうツイッターはおしまいだ」という怒りの声であふれかえった

ぼくもマーク・アンドレセン風味のスタイルでじぶんの考えをツイートしておいた:

ツイート:「自動運転車は最高だし人命を救うよね! ツイッターアルゴリズムは Twitter を台無しにして最悪だけど!」


物理的な生活ならよろこんでアルゴリズムにまかせるのにツイッターフィードはそこまで乗り気にならないってのは,へんてこな話だ.でも,みんなの憤慨はホンモノなんだろうか,それとも,そのうちみんなアルゴリズムを当たり前のものと思うようになるんだろうか? いまアルゴリズム型ツイッターについて不満を言っている人たちのうち,ゴミメールをフィルターにかけてない人って,どれくらいだろう? 「届いたメールはぜんぶいるんですけど! ゴミかどうかはオレにしかわからないんですけど!」みたいに.ゴミメール・フィルターでメールって台無しになったんだっけ,それとも改善したんだっけ?

は何年も前からアルゴリズムに切り替えてる.当時も不満の声は上がったけれど,アルゴリズム型フィードによって Facebook は意義を増したとぼくは思う.とくに,アルゴリズムがずいぶんよくなった近年はそれが顕著だ.企業利益も,ぼくの見立てに合致してる.多くの人は理解してないけど,アルゴリズム型フィードにかわるまともな選択肢はない.なぜなら,大半の人が受けとるフィードは,取捨選択されないままだと毎日数千件をこすポストが流れ込むからだ.取捨選択するか,さもなくばランダムにポストを放り込むか,それが問題だ.

アルゴリズムとは管理補佐なんだと考えてみよう.この管理補佐くんは,みんなに届いた手紙を分類し,請求書なら会計士に送るしゴミメールならゴミ箱に放り込み,個人的な手紙なら本人の手許に届ける.また,この管理補佐くんは半ダースもの新聞に目を通して,朝起きてからユーザーがいちばん読みたがりそうな記事を用意しておく.「そんな補佐なんてごめんこうむる」なんて人がいるだろうか? もっと言うと,Facebook は補佐アルゴリズムの品質にウン十億ドルもかけているし,お金以外にも相応のリソースを投じてアルゴリズムをユーザーの欲求とニーズに合わせてきている.

たんに,アルゴリズムはすぐれていてますます改善されてるってだけじゃない.もっとも生産性の高い人たちはヒトの知性を使って機械の知性を補完している.つまり,何百万もの事項を機械がうまく取捨選択してくれると信頼し,いちばん重要なものだけにユーザーの注意が向かうようにお膳立てしておいて,それからヒトの知性を使ってその最重要事項について行動をとるわけだ.機械の知性がうまくフィルターにかけてくれると信頼することによって,ユーザーにはもっと広大な情報空間が開かれる.IRL を使うよりも多くの友人知人をぼくは Facebook でもてる.なぜなら,その日その日に友人知人のなかからいちばん適した人たちだけをアルゴリズムが届けてくれるからだ.ツイッターがアルゴリズムを利用すれば,数の多さに途方に暮れることなくもっと大勢の人たちをフォローできるようになる.フィルターが不完全だとしても,こう考えてみよう――100,000件を不完全なフィルターにかけてしぼった 100件と,1,000件を完全なフィルターにかけてしぼった 100件,どちらが重要なものを発見しやすいかといえば,100,000件を不完全にしぼりこんだ方だ.

タイラーが『大格差』(Average is Over) で論じているように,未来はアルゴリズムにものごとをまかせる人たちのものだ.


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