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笑いの力

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[Part1]極限状態、それでも笑った/サラエボ―ベオグラード







ヤスミンコ・ハリロビッチ
photo:Nakamua Yutaka



恐怖や絶望を軽やかに笑いとばす。私にもできるだろうか。


24年前、ユーゴスラビア紛争のさなか起きた「サラエボ包囲戦」を生き延びたスアダ・カピッチ(63)に会った。


包囲戦が続いた3年半、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、街を囲む四方の山や丘を武装集団に占拠され、1日に1000回に及ぶ砲撃や狙撃兵による無差別射撃の恐怖にさらされた。ライフラインも破壊され、約1万1000人の市民が犠牲になったという。そんな極限状況をどう生きたのか、知りたかった。


スアダ・カピッチ
photo:Nakamua Yutaka

多数の市民が命を落とした「スナイパー(狙撃兵)ストリート」(当時の呼称)沿いのビルのカフェで、彼女は私の目を見据えて言った。「悲劇をジョークのネタにできれば強くなれる」


カピッチは映画監督などを経て、制作プロダクション「FAMA」(をつくった。街の破壊が始まると、彼女は仲間たちと比較的安全な場所にあったビル内の劇場に、拾ってきた残骸で家を建て、コンサートや演劇を催した。市民の暮らしぶりを1年かけて取材して『サラエボ旅行案内』(邦題、三修社)にまとめ、戦時下で出版している。


同書に、こんな記述がある。

《サラエボはやせた人ばかりだ。彼らなら最新のダイエット法について本が書ける》《読者はレーニンの本を手放せるだろうか? 去年の冬、レーニンの本がよく燃えることがわかったからだ》


破壊行為に対して創造行為で抵抗し、耐えがたい自らの生活をユーモアを交えた絶妙な距離で描写した。仏ミシュラン社発行の観光ガイドに似せたポップな装丁がすでにブラックユーモアだ。


カピッチは振り返る。「ユーモアと創造力で、平常心と日々の営みを保つ努力を続けること。それが恐怖という心理戦への私なりのレジスタンスでした」

サラエボ包囲戦の様子を伝えるSurvival Map
FAMA提供





包囲戦が始まったとき4歳だったヤスミンコ・ハリロビッチ(27)は当時未成年だった約1000人から戦争の記憶をメールで募り、3年前、1冊の本にまとめた。邦題は『ぼくたちは戦場で育った』(集英社インターナショナル)。子どもの目から見た戦争を、大人たちに伝えたいと考えたという。


1981年生まれのレイラはこんなメールを寄せている。

《やつらは私たちから自由を奪った……でも私たちから無邪気な笑顔を奪うことはできなかった^_^》


ハリロビッチと、街の南に位置する丘に上った。ユダヤ人墓地があるその丘から、街を貫き市電が走る大通り(スナイパーストリート)が一望できる。ここから同じ市民を、最近まで家族ぐるみのつきあいをしていたはずの隣人を、狙撃兵は狙ったのだ。想像して足がすくんだ。ハリロビッチが、包囲戦下ではやったジョークを教えてくれた。


爆発で耳を吹き飛ばされた男が路上で探し物をしている。見かねた女性が「耳はあきらめて逃げて」と言うと、男は「耳にはさんでいたタバコを探しているんだ!」


ハリロビッチは言う。「ボスニアのユーモアの特徴は、自分を笑うところ。身の危険があったときでも自分を笑える能力は、そのひとの力強さを表していると僕は思う」


笑いは絶望からひとを救う。ただ、笑うには努力が必要だ。





笑いで独裁者をぶっとばせ


独裁政治がもたらす恐怖に対しても、ユーモアは有効だ。


2000年10月、隣国セルビアで13年間続いたミロシェビッチ独裁政権が倒れた。大統領選での敗北を認めない独裁者への怒りから、20万人以上の国民が連邦議事堂を取り囲み、政権の座から引きずり下ろした。一連の国民抗議運動を陰で支えたのは、「オトポール!」と名乗る学生団体だ。


当時、組織のリーダーでベオグラード大学の学生だったスルジャ・ポポビッチ(43)の戦術は「ユーモアを利用すること」だった。98年に始めた反政府キャンペーンでは、ミロシェビッチの「逮捕劇」を見せ物にした。


準備したのは、独裁者の似顔絵を貼り、小銭の投入口をつけたドラム缶とこん棒。ベオグラードで最もにぎわう場所に置くと、通りすがりの市民が次々に小銭を入れては大統領の顔をひっぱたき、歓声をあげた。警察が駆けつけたが、ドラム缶をたたいたかどで逮捕するわけにもいかず、首謀者も見当たらない。結局、ドラム缶を回収して引き上げた。


ポポビッチはといえば、仲間のカメラマンに一部始終の撮影を頼み、近くのカフェから見物していた。「パトカーでドラム缶を運ぶ様子は傑作だった。まるで『ミロシェビッチの逮捕劇』だろ?」


ポポビッチはユーモアの効果を三つあげる。第一、ユーモアは恐怖や不安を吹き飛ばす。第二、面白いことはみんながやりたがる。第三、敵をジレンマに追い込むことができる──。


スルジャ・ポポビッチ
photo:Nakamua Yutaka

「ユーモアに対してまともに反応したら権力者側は馬鹿にうつる。反応しなかったら弱虫になる。どっちに転んでも敵に不利なんだ」


ユーモアを用いた非暴力運動を「laughter」と「activism」を合成して「laughtivism」と呼ぶ。大規模集会戦術をとらず、全国各地でこうした運動を繰り返し、「オトポール!」のメンバーは3年たらずで約7万人に膨らんだ。平均年齢21歳。選挙に無関心だった同世代の投票行動を促し、野党候補を勝利に導いた。


かつてユーゴスラビア連邦を形成したボスニアとセルビア。隣り合う両国で見えてきたのは、「笑い」が命を救い、社会を変える姿だった。


(中村裕)

(文中敬称略)


(次ページへ続く)







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