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<あなたに伝えたい>叔父の眠る村へいつか私も

「カメラが苦手だった」という昇さんの数少ない写真を見詰める直子さん=福島市
阿部 昇さん

◎阿部直子さん(福島市)から昇さんへ

 直子さん 昼食を持って部屋に入ると、背を向けて座椅子に座っていました。「これから支度するから」と声を掛けても反応がありませんでした。
 子どものころ祖母の家で一緒に暮らしていました。口数の少ない人でしたが、実の兄のように頼りにしていました。村を離れても、盆や正月には迎えに来てくれました。
 12年夏、結核にかかり、ヘルパーの生活援助が必要になりました。1人暮らしの男の部屋を訪れる人はまれで、近所付き合いもほとんどなかったようです。
 亡くなる1カ月くらい前から「もう村に帰れないなら死んだっていい」と言うようになり、気力を失ったように見えました。私が帰ろうとすると、いつも窓から見送ってくれました。寂しかったのでしょう。
 「少し酒を飲んでいる。変わったことはない」と電話で言われたのが最後の会話になりました。体調を崩し、連絡を取れなかった2日間のうちに亡くなりました。「あの日会いに行っていれば」と悔いが残ります。東電に孤独死の損害賠償を請求していますが、手続きがなかなか進みません。
 避難指示の解除に向け、村の自宅を補修しようと仮設住宅に大工道具を置いていました。村の墓地に納骨したので、きっと今は安心していると思います。
 村には、月命日ごとに帰っています。いずれ村に戻ろうと、自宅の修理を始めました。1人になってしまいましたが、叔父が眠る村で暮らしたいのです。

<子どものころから実の兄のようだった>
 阿部昇さん=当時(68)= 東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村から避難し、伊達市の仮設住宅に入居。次第に引きこもりがちになり、2014年6月8日、福島市に住むめいの直子さん(55)が部屋で亡くなっているのを見つけた。死因は急性心不全だった。


2016年02月07日日曜日

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