リオ五輪アジア最終予選、延長までもつれ込んだイランとの激戦を3-0で制し、オリンピックへの出場権獲得に王手をかけた、準々決勝後のミックスゾーン。2ゴールを決めた中島翔哉の囲み取材が解けたあと、2年ぶりに手倉森ジャパンの取材をしているライター仲間が、ちょっぴり残念そうに言った。
「びっくりしちゃった。まじめなことしか言わなくなってるんだもん」
そのライターの驚きには、理由があった。
手倉森ジャパンの立ち上げとなった2年前の'14年1月、オマーンで開催されたU-22アジア選手権。オフ明けでコンディション不良の選手が多いなか、10番を託された小柄なテクニシャンは万全のコンディションで臨み、4試合で3ゴールを奪う活躍を見せた。
だが、取材陣をさらに驚かせたのは、試合後のコメントだった。
「今年ワールドカップがある。選手なので、当然そこは意識しています」
「メッシもバロンドールも通過点だと思っています」
「この大会で人生を変えるつもりでやっている」
「そこ(得点王)は初めから狙っていて、この大会のベストプレーヤーになることも目指しています」
それが冗談やリップサービスでないことは、真剣な表情を見ればよく分かった。
しかし、こういったコメントは、マスコミにとっては“美味しい”ものでもある。その後、中島は多くの記者からコメントを求められ、派手な見出しとともに報じられるようになっていく。
中島のビッグマウスがピタリと止んだ事件。
だが、ある日事件が起きた。
'14年9月、韓国の仁川で行なわれたアジア大会のグループステージ、イラクとの第2戦に1-3で敗れた翌日のことである。
唯一のゴールを決めたものの、なかなかチャンスに恵まれない現状に対する中島の苦言が、チームメイト批判として大げさに取り上げられ、ネットニュースで流れ、大きな反響を呼んでしまったのだ。その直後の試合から、彼のビッグマウスはぴたりと止んだ――。