公民権運動の陰には『大統領の執事の涙』
それがこの『大統領の執事の涙』です。毎度お馴染みCSの映画チャンネル、ムービープラスで見ました。主役セシル・ゲインズを演じるのはフォレスト・ウィテカーですが、その長男ルイス役が『グローリー』でキング牧師を演じたデヴィッド・オイェロウォだったり、妻役のオプラ・ウィンフリー、同僚の執事にキューバ・グッディング・ジュニアとか、出演俳優が『グローリー』と結構かぶっておりますね。また、マライア・キャリー(子供時代のセシルの母親役)や、レニー・クラヴィッツ(執事)が出演しているのは、監督のリー・ダニエルズが音楽PV出身なのと、関係ありそうです。
綿畑農園で搾取されてた黒人労働者の息子セシルが、プランテーションから外の世界へ飛び出し、苦労しながらも努力の末、ホワイトハウスの執事になります。そこで、アイゼンハワーからレーガンまでの7人の大統領に使えるのですが、それは公民権運動の激動の時代でした。バーミングハムでのフリーダムライダー襲撃事件や、セルマでの血の日曜日事件、公民権法や選挙法の公布など、様々な出来事が描かれて行きます。
長男のルイスは架空の人物だそうですが、北部のハワード大学でなく、敢えて南部のフィスク大に進学して、そこで「ガンジーの非暴力」を伝えたジェームス・ローソンの授業を受け、カフェの白人席座り込みや、フリーダムライドにも参加します。何度も刑務所送りになりながらも運動を続け、キング牧師の死後は暴力OKのブラックパンサー党に身を置きかけるのですが、途中で「やっぱり違う」と脱退する。これらのルイスに関するエピソードは、どれも公民権運動を語る上で、必要不可欠なものばかりだったと思います。入れたのは、非常に良かったんじゃないでしょうか。
さて、そんな運動に目覚めたルイスは、白人に仕える父親セシルと当然衝突してばかり。そこで私が思ったのは、
セシルのような白人に仕える黒人の存在なくしては、ルイスの様に黒人の人権に目覚める人間は現れなかったかもしれない。
と言うこと。
勿論このシーンもフィクションなんでしょうが、ルイスがキング牧師に「君の父親は何を?」と職業を尋ねられ、バツ悪そうに「執事」と答えると、
「執事は立派な職業だ。彼らは勤勉に働くことで、紋切型の黒人像を変えた。高いモラルと威厳ある振る舞いによって、人種間の壁を崩していった。執事やメイドは従属的と言われるが、彼らは戦士なのだ」
と、キング牧師はルイスを諭すように言うんですね。
執事やメイドの仕事振りは、黒人の能力の高さだけでなく、実は誇りをも示している、というキング師。つまり、白人は見た目の違いから、黒人たちを野蛮で能力が低いと思い込んでた、白人社会の偏見を解消するのに、彼等の働きは非常に重要だったと評価してたことは、とても興味深かったです。
歴代大統領ではアイゼンハワー~ケネディ~ジョンソン時代が一番大きく動いた為、比重が高くなっていて、ニクソン~フォード~カーター時代は薄味な印象。最後に仕えたレーガン大統領の時代に、長年の功労を称えられ夫婦でホワイトハウスの晩餐会に招待され、セシルが初めて黒人としてのアイデンティティーに目覚め、長男ルイスと和解。引退後にはオバマ大統領候補の応援をし、就任後オバマ大統領から再びホワイトハウスに招待されるエンディング。かなり、駆け足ではありましたが、黒人執事の目を通して語られる、公民権運動の歴史は、多少のフィクションを織り交ぜながらも、とてもバランス良く語られていたと思います。
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NoTitle
Re: NoTitle
> 話題の作品ですが、まだ観ていません。
>
> マライアとレニーは監督の「プレシャス」にも出ていましたね。
> レニーは兎も角、マライアがスッピンで出演していたのはビックリしました。
> 彼女、結構いい演技でした。
プレシャスは見てませんが、マライアとレニーは監督さんと仲良しなのかもしれませんね。
マライアの素っぴんは話題なったらしいですね。
はじめまして
> 高いモラルと威厳ある振る舞いによって、人種間の壁を崩していった。
> 執事やメイドは従属的と言われるが、彼らは戦士なのだ」
↑この映画のミソは、これですよね。
公民権運動など、差別される側の行動って、
ブラックパンサーのように差別する側の論理や行動を一切受け付けず、
「反抗」のみになるものですよね。
でも、執事やメイドのような仕事は「被差別的」ではあったかもしれないけれど、
それは人種差別とは別のハナシで、むしろ歴代の大統領と「ともに」激動の時代の中、
いい国を作るという、同じ国民として同じ方向を向いていた。
人種差別を憎んでいるけれど、「ともに」同じ国の人間じゃないか、
というメッセージを含んでいるところがすばらしいと思いました。
主人公は白人に差別され、黒人にもいわゆる「アンクルトム」と
嫌われながらも一国民として自分の仕事をまっとうした、
一番熾烈な場所で「正しく」公民権運動を戦った一人なのだろうと思いました。
Re: はじめまして
はじめまして。ご訪問&コメントありがとうございます。
> > 「執事は立派な職業だ。彼らは勤勉に働くことで、紋切型の黒人像を変えた。
> > 高いモラルと威厳ある振る舞いによって、人種間の壁を崩していった。
> > 執事やメイドは従属的と言われるが、彼らは戦士なのだ」
>
> ↑この映画のミソは、これですよね。
>
> 公民権運動など、差別される側の行動って、
> ブラックパンサーのように差別する側の論理や行動を一切受け付けず、
> 「反抗」のみになるものですよね。
> でも、執事やメイドのような仕事は「被差別的」ではあったかもしれないけれど、
> それは人種差別とは別のハナシで、むしろ歴代の大統領と「ともに」激動の時代の中、
> いい国を作るという、同じ国民として同じ方向を向いていた。
> 人種差別を憎んでいるけれど、「ともに」同じ国の人間じゃないか、
> というメッセージを含んでいるところがすばらしいと思いました。
キング牧師の運動の要は寛容さだったと、私は思っていますが、メイドや執事の仕事に堪えるにも、それは必要だったと思います。待遇で差別されながらも、白人と同じ土俵で仕事してたことも、非常に意義があったというメッセージは、本当に素晴らしかったと思います。
> 主人公は白人に差別され、黒人にもいわゆる「アンクルトム」と
> 嫌われながらも一国民として自分の仕事をまっとうした、
> 一番熾烈な場所で「正しく」公民権運動を戦った一人なのだろうと思いました。
運動家に比べたら地味ですけど、キング牧師のいう通り、現場で戦う本当の戦士だったんでしょうね。
NoTitle
Re: NoTitle
> この映画、なかなか面白い視点で時代の移り変わりがとらえられているんですね。ちょうどNHKの『映像の世紀』の再放送を見たばかりなので、興味深く読ませていただきました。公民権運動とひとことで言っても、為政者側からとらえるのと、キング牧師、あるいはマルコムXの視点で捉えるのも、全く違った歴史を見るうようなものですよね。
そうですね。何事も片方の視点だけで見ると偏ってしまいますから。同じ公民権運動を描いた映画でも、これは一味違う感じがしました。ちなみにマルコムXは名前があがっただけで、登場はしなかったです。
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マライアとレニーは監督の「プレシャス」にも出ていましたね。
レニーは兎も角、マライアがスッピンで出演していたのはビックリしました。
彼女、結構いい演技でした。