2016/02/05
見捨てられる不安とは、一般の人が使う言葉で表現すれば「寂しさ」とか「孤独感」になります。
「自分が相手から見捨てられてしまう!」と思って寂しさや孤独を静かに感じる、と言えばしおらしい印象ですが、“見捨てられる不安”はそんな生易しいものではありません。
見捨てられる不安は、それを感じたら居ても立ってもいられないような、叫びだしたいような爆発的な感覚になることです。
寂しさや孤独感というのは、ある程度その感覚に浸っていられるものなのですが、見捨てられる不安は「この不安から抜け出せなければ死んでしまう」くらいのインパクトがあるのです。
“見捨てられる不安”の概念が出てきたのは育児放棄をされた子供やアルコール依存症の家庭で育った子供達のケースからです。
そのような体験をした子供は一人で落ち着いてありのままの自分でいることができません。
いつも、周りに注意を向けてご機嫌を取ったり、お世話をしたり、問題を起こして人の注目を集めたりします。
見捨てられないために「人からどのように見られているか」というのを中心に生きていて、自分自身の感覚で生きることができなくなっているのです。
どうしてそうなるのか少し説明します。
赤ちゃんは、生まれてから周産期(0歳から3歳)に、泣いたら親に抱きしめてもらって安心感を与えてもらう、ことが必要です。
人間社会で自分が困ったら人に助けを求めて人から助けてもらう、ことをこの時期に学習していくのです。
この時期の赤ちゃんの行動を援助希求行動と言います。
援助希求行動が出ているときに、親が育児放棄をしていたり、両親の不仲があったり、母親が姑と葛藤していたり、アルコール依存症の家庭のように家が大変な緊張感に包まれていて親が子供を安心して抱きしめる環境がなかった場合は、この援助希求行動が達成されなくなってしまって、人に適切に助けを求めることができなくなってしまいます。
すると「助けを求めたら助けてもらえる」という基本的な安心感が形成されなくなり、いつも脳の中は戦場のようにサバイバル状態で緊張が下がらなくなってしまうのです。
ラットを使った動物実験では、産まれた直後の子供ラットを母ラットからしばらく引き離してしまうと、集団に戻しても集団の中で他のネズミと仲良く行動することができなくなってしまいます。
脳の中を見てみると、緊張のホルモンをコントロールする下垂体と視床にあるスイッチが壊れてしまっていて、緊張ホルモンの分泌をコントロールすることができなくなっているのです。
緊張ホルモンの分泌が調整されないので、仲間の中にいても緊張を落とせないので仲間となじめなくなります。
人間ですと、学校でいつもびくびくしていて周囲の子供達の中でリラックスできないので、他の子供と違って見られてしまい、そのうちにいじめの対象になってしまいます。
虐められれば緊張がさらに高まるので、ますます周囲の目を気にするようになり、勉強などに集中することができなくなり「適応が低い」とされてさらに集団の中でなじめなくなってしまいます。
ですから、いつも人の目を気にしていて「誰からどのように思われるか?」と気になってしまう人は、脳の中の見捨てられる不安に苦しめられている可能性があります。
自分が楽しめることをすればいいのに、「相手がどのように思うか?」をいつも考えてしまっていて、相手に気を遣ってばかりいて、自分は楽しめない人だからです。
その不安感があるかどうかをこのリストで探ることができます。
この“見捨てられる不安”でFAP の指の反応があった場合は、基本的に緊張感を人前で落とすことが難しい人の可能性が大きいと言えます。
ちなみに、この見捨てられる不安は一般的には脳の障害であるから治療は不可能、と言われています。
一度、緊張のホルモンのスイッチが壊れてしまうと、脳の障害になってしまっているので脳は変わらない、とされているのです。
でも、FAP では脳は変わると思っています。
なぜならミラーニューロンがあって注目を向けた相手の脳の真似ができて、相手の特徴を真似することができるのだったら、脳は一瞬でも変化しているはずだからです。
脳が一瞬でも変化するのだったら、ダメージを受けた脳でも変わると信じています。
長年の“見捨てられる不安”から解放された相談者達は「以前だったら人前で安心できるとか落ち着けるなんて考えられなかった」とフィードバックしてくれます。
ですから、この中指の反応がFAP で出たからといって失望することはありません。
最も重要なことは、自分の中に見捨てられる不安があることに気がつき、それに向き合うことだからです。
「自分が相手から見捨てられてしまう!」と思って寂しさや孤独を静かに感じる、と言えばしおらしい印象ですが、“見捨てられる不安”はそんな生易しいものではありません。
見捨てられる不安は、それを感じたら居ても立ってもいられないような、叫びだしたいような爆発的な感覚になることです。
寂しさや孤独感というのは、ある程度その感覚に浸っていられるものなのですが、見捨てられる不安は「この不安から抜け出せなければ死んでしまう」くらいのインパクトがあるのです。
“見捨てられる不安”の概念が出てきたのは育児放棄をされた子供やアルコール依存症の家庭で育った子供達のケースからです。
そのような体験をした子供は一人で落ち着いてありのままの自分でいることができません。
いつも、周りに注意を向けてご機嫌を取ったり、お世話をしたり、問題を起こして人の注目を集めたりします。
見捨てられないために「人からどのように見られているか」というのを中心に生きていて、自分自身の感覚で生きることができなくなっているのです。
どうしてそうなるのか少し説明します。
赤ちゃんは、生まれてから周産期(0歳から3歳)に、泣いたら親に抱きしめてもらって安心感を与えてもらう、ことが必要です。
人間社会で自分が困ったら人に助けを求めて人から助けてもらう、ことをこの時期に学習していくのです。
この時期の赤ちゃんの行動を援助希求行動と言います。
援助希求行動が出ているときに、親が育児放棄をしていたり、両親の不仲があったり、母親が姑と葛藤していたり、アルコール依存症の家庭のように家が大変な緊張感に包まれていて親が子供を安心して抱きしめる環境がなかった場合は、この援助希求行動が達成されなくなってしまって、人に適切に助けを求めることができなくなってしまいます。
すると「助けを求めたら助けてもらえる」という基本的な安心感が形成されなくなり、いつも脳の中は戦場のようにサバイバル状態で緊張が下がらなくなってしまうのです。
ラットを使った動物実験では、産まれた直後の子供ラットを母ラットからしばらく引き離してしまうと、集団に戻しても集団の中で他のネズミと仲良く行動することができなくなってしまいます。
脳の中を見てみると、緊張のホルモンをコントロールする下垂体と視床にあるスイッチが壊れてしまっていて、緊張ホルモンの分泌をコントロールすることができなくなっているのです。
緊張ホルモンの分泌が調整されないので、仲間の中にいても緊張を落とせないので仲間となじめなくなります。
人間ですと、学校でいつもびくびくしていて周囲の子供達の中でリラックスできないので、他の子供と違って見られてしまい、そのうちにいじめの対象になってしまいます。
虐められれば緊張がさらに高まるので、ますます周囲の目を気にするようになり、勉強などに集中することができなくなり「適応が低い」とされてさらに集団の中でなじめなくなってしまいます。
ですから、いつも人の目を気にしていて「誰からどのように思われるか?」と気になってしまう人は、脳の中の見捨てられる不安に苦しめられている可能性があります。
自分が楽しめることをすればいいのに、「相手がどのように思うか?」をいつも考えてしまっていて、相手に気を遣ってばかりいて、自分は楽しめない人だからです。
その不安感があるかどうかをこのリストで探ることができます。
この“見捨てられる不安”でFAP の指の反応があった場合は、基本的に緊張感を人前で落とすことが難しい人の可能性が大きいと言えます。
ちなみに、この見捨てられる不安は一般的には脳の障害であるから治療は不可能、と言われています。
一度、緊張のホルモンのスイッチが壊れてしまうと、脳の障害になってしまっているので脳は変わらない、とされているのです。
でも、FAP では脳は変わると思っています。
なぜならミラーニューロンがあって注目を向けた相手の脳の真似ができて、相手の特徴を真似することができるのだったら、脳は一瞬でも変化しているはずだからです。
脳が一瞬でも変化するのだったら、ダメージを受けた脳でも変わると信じています。
長年の“見捨てられる不安”から解放された相談者達は「以前だったら人前で安心できるとか落ち着けるなんて考えられなかった」とフィードバックしてくれます。
ですから、この中指の反応がFAP で出たからといって失望することはありません。
最も重要なことは、自分の中に見捨てられる不安があることに気がつき、それに向き合うことだからです。