昨日、清原和博さんの事件に関係して、「容疑者」という言い方を止めませんか、と書いたら、多くのご意見をいただいた。いくつか、追加して説明させてください。
まず、今回の場合、物的証拠もあるし、本人も認めているのだから、「容疑者」でいいのではないかというご意見。しかし、たとえそのような場合でも、「容疑者」というレッテルを貼ること自体に私は反対です。容疑の確からしさと、呼称は関係ありません。
また、清原和博さんが有名人だから、特別扱いするのか、というご意見。そうではありません。どんな方でも、刑事手続の対象になっているからと、それだけの理由で「・・・・容疑者」というレッテルをはった報道をするのは、適切ではないと考えています。
ふしぎなのは、新聞やテレビなどのマスメディアが、一様に、「・・・容疑者」という呼称を使い続けていることで、そのような均一性も、私が疑問に思う点です。なぜ、それぞれの媒体の政策ではなく、同じかたちで従っているのか。そこに、思考停止を感じます。
また、こう書くと「出羽守」と思われるからいやなのですが、比較のために、英語系のメディアでは、刑事手続の対象になっていても、Mr. なんとかと書き続けることが多いです。エドワード・スノーデンさんのようなケースでは、この扱いの違いは大きな思想問題にもつながります。
以上、まとめれば、私は、「・・・・・容疑者」という呼称を一様に使う日本のメディアの姿勢に、思考停止を感じています。私がもし新聞やテレビの運営責任者だったら、「・・・さん」や「・・・氏」と書き続け、言い続けるでしょう。それは私の個人的な考えですが、必ずしも少数派ではないと思います
みなさんはどう思われますか? ご意見をお聞かせください。
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追加
その理屈で言うと秋葉原事件の加藤智大、池田小学校事件の宅間守も刑が確定するまでは「さん」付けしなきゃいけなかったって事になりますね(^皿^;)
ヤフーニュースで見たんで今さらながらコメント^^;
テレビで「さん」や「氏」はダメでしょう( ̄^ ̄)
あくまで容疑がかかってるから「容疑者」
何もしてない人を取り上げる時も「さん」や「氏」。それと一緒にしちゃいかんでしょう^^;
呼びたきゃ勝手に自分が呼べばいい。提案するのはおかしいですよ?(^皿^)
ちなみに自分は、選手の頃は当然「清原」引退してからも「清原」捕まってからも「清原」
巷で清原容疑者なんて言ってるヤツなんかいねーから!(^皿^)
ある時 私は まだ会って浅い方のお宅に複数人でお伺いした時に あなたがうちに有った 封筒に入った10万円を取った と後から言われ ビックリしました。手荷物は一切持たず車の中に置き お邪魔したので 封筒など持ったら判るし ポケットに入れたとしたら膨らんで直ぐ判るはずだから 私ではないとはっきり言えましたが
後から主人に「スイカ畑に 居ただけでも スイカ泥棒と間違われても仕方ないのだから むやみやたらに友達の友人だからと お会いして日が浅い方のお宅に行くのは止めなさい」と もし私が バックなどを持って居たら バックに入れたんでしょう などと言われて 状況証拠だけで みんなから疑われ 容疑者にされてたら 嫌ですね!
誰にも 有り得る話しだと 思いますょ。
元々、法は罪を裁くものであって、人を裁くものではないのですが、今の日本人はそれを履き違えてしまったように思います。
まるで人を断罪するかのように振る舞うマスコミには、表現の自由が持つ重みを忘れてしまったのかもしれませんね。
今までたくさんテレビに出て アニキとか清原さんとか言われ、何かすれば凄い凄いって褒めたてられて、すぐニュースになって
それなのにこういった事で(決してしてはいけないことですが、)"容疑者"という名前、肩書きの方なものをつけられてしまっているのはやっぱり違和感を感じました。
やっぱり、世間の大人の目は冷たいんだなぁ、と。
学校でも野球好きの男の子はよくその話をしています。でも、それでも、容疑者というくくりにしてしまうのは冷たさを感じざるを得ませんでした。
うまく言い表せませんが、茂木さんの意見に同感しています。
マスコミの表現なども問題提起としては必要かもしれませんが、情報を得る側も言葉の意味を考える。裁判でどうなのか分からない状態で色眼鏡で見ない。法の判断を尊重する。ということをすべきなのではないでしょうか。
なんとか這い上がって頑張ってほしいです
人間であることには変わりないので
もっとも、呼称をどうするかに関わりなく、個人を特定して、その人に犯罪の嫌疑が向けられているという報道がなされる以上は、レッテル貼りの弊害を避けることはできません。
問題意識をつきつめるならば、そもそも一般的な事件報道において「容疑者」を実名報道するべきではないのかもしれません。
呼び名より先にやるべき事があると思う。
茂木先生に同感でございます…。
ここ二年近く報道含めてテレビもバラエティを少し見る程度でしたが、ニュースを見るようになると違和感も違和感…ベッキーはつるし上げ状態の袋たたき、SMAPもなぜ本人達が謝罪会見をしているのか?ということばかりでした。
近年のマスコミの異様な報道形態は何か黒い組織の陰謀なのではと感じます。
容疑者の件も理解できます。
少し日本人は何かに泳がされて、日本民族としての誇りを忘れかけてはいないでしょうか?
その一つがマスコミの報道によるものであると最近すごく感じます。
そして、それを素直に信じるように作られていく日本人の教育も恐ろしいです。
そもそも教育界がおかしいから違和感も感じない人が育ってしまうんですよね…。
メディアの意見を含まないのが報道だとおもいます。ここで~容疑者をはぶいてしまうと個々の意見が含まれてしまうようにもおもいました。
日本は敬語という素晴らしい文化があります。
さん、様、ちゃん、君、氏、殿、etc
色々使い分け、その中に様々な意味を込めたり、感じたりもします。
そういった文化が邪魔をしてしまうのかもしれません。
公的な場面では、すべての人がこう呼ばれる…という呼び方を決めれば、理解されていくのではないかと思います。
有名人であるからこそ、野次馬が集まり…盛り上がるような公開処刑みたいだなと思いました。見せしめのためにわざと容疑者、受刑者を名前の後ろに付けるのかな…
○○さん、だとちょっと感覚的に違和感がありますが、確かに○○氏くらいならいいように思えます。
いろいろ考え挙げ句、最後に思うのはここまで叩かなくても良いのでは?と思うこと。叩くというか叩き潰すという感じで、見ていて、聞いていて、気分が悪くなります。叩く側、それを喜んで?見ている側、そんなに清廉潔白?なんて、嫌みすら言いたくなりますね。
日本の警察は、平気で証拠をねつ造するものだし、いままで無実の「容疑者」の自白がどれだけあったことか。
清原さんも、辻本さんや堀江さんのように権力者の都合でハメられた国策捜査かもしれないし、そうでないかもしれない。
全ての可能性があるのです。
それに加えて、日本独特の差別意識も関係しているのだと思います。
悲しいことです。
この国では文春などの週刊誌が頑張るしかないのか。
呼び捨てだったと思います。
容疑者、被害者をきちんと区別させる目的で今のような報道になったのですかね?
私自身、この容疑者と言う呼び方には違和感を感じる事があります。
かと言って、さん、氏などもどうなのかとも思います。
私は今回の清原さんの報道で、逮捕された途端に「清原和博」という人間からあらゆる権利が剥奪されたように感じました。
それが制裁であり、当然だと思う方も多いのかもしれませんが、私は
当然のようにも思えるし、私刑のようで怖いと感じた部分もあります。そして私刑の際にはまさしく集団で「思考停止」している場合が多いのでは。
今回その違和感について考えてみました。
逮捕されただけでは冤罪かどうか分からないから、という理由だけではなく(刑が確定しても冤罪の場合もある)
容疑者と呼ぶ人達に対する違和感かもしれません。
裁判所や警察、検事さんが「容疑者」と呼ぶのは分かるのですが
報道は予断なく事実を伝えることと素人なりに思うので、その立場にある人が偏った肩書きをつけること、そこにしっくりこないように思います。
悪いことをしたら晒し者にすると言う事でしょう…
こういう問題が勃発する度に思うことですが、人は誰でも長い人生の中では良い時もまた反対の時もあり、これは特別の人だからではなく、脳科学的知見から考えて誰でもどんな人間でも、些細なことで歯車を狂わす事がありうると思うのです。
だからと言って絶対に許される訳ではありませんが「罪を憎んで人を憎まず」の意識が大切だと思うので、茂木先生の深い愛のあるご考察には感服しました。
容疑がかかっていても、そう呼ぶ必要はないです。
容疑者の方がわかりやすいのでしょう。
ただの清原さんの話題ではなく、悪いことしたんだぞ、みたいな。
実際私も驚いたわけですから。
考えたら、おかしいわね。
差別的かも。
覚醒剤所持の容疑をかけられた清原さん。かな?
容疑の意味をきちんと使い分けて欲しい。
逮捕されたら犯罪者だから「氏」で言って欲しいが「氏」とつけると褒める傾向がある様なテレビの報道の仕方もあるから………。
男女というカテゴリーを外して、個人として捉えるために、敬称を【さん】で統一しました。男子を〜くんと呼ぶことを変えたのです。名簿は、男女混合名簿。下駄箱もしかり。
何が、私は申し上げたいのかといえば、個人を尊重するためには、楽なラベル化は避けなければなりません。
ただ、マスコミなどはカテゴライズされた言葉を使うことにより、他社と同一の表現をすることで、感情を隠しているのかもしれません。
もし冤罪だったとしても、そういう風に思われる言動をした本人のせいだからです。言わば自業自得です。
冤罪で『○○容疑者』と呼ばれたとしても、自分が潔白ならその後、堂々と言動すれば良いのです。
これからもこの呼び方で報じてほしいです。
それよりも世界中から悪が無くなってほしいです。
Mrで呼んで欲しい。容疑者では、あまりにも低俗だと思います。
ハッキリ有罪になるまでは1個人として
茂木さんの、さん付けがいい派です。
無罪の場合もあるからです。
容疑者の意味には犯人って意味が強く
入って聞こえるので無罪の場合はそう呼ばれ
たことでの精神的ダメージを懸念します。