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暗殺現場は修復せず「祈りの場として保存」

アウンサン将軍が暗殺された会議室。1952年以降、仏像を祭った祭壇が置かれており、ミャンマー政府庁舎だった当時、職員たちが祈りをささげていたようだ=春日孝之撮影

 ミャンマーの旧都ヤンゴンにある歴史的建造物「旧ビルマ政庁」で、1947年にアウンサン将軍らが暗殺された部屋は、復元対象から外れている。

     地元紙によると事件の5年後、手が加えられて「祈りの場」となり、仏教グループが管理してきた。

     ミャンマーの歴史遺産の修復に実績があるパトリック・ロバート氏の全体の修復案では、外観は忠実に復元する。技術者を既に英国から呼んで地元労働者に手ほどきした。一方で内装は新たな照明技術やハイテクを導入し、モダンに仕上げる。美術館に加えて公会堂、レストラン、芸術家が参集して滞在も可能な文化センターも想定している。

     ただ関係者によると、暗殺現場の部屋は事件当時を再現する形で復元しようとしたが、当局者が「祈りの場としての現状維持」を望んだという。もう一つ、現状維持を求められたのが議会棟前の慰霊碑だ。

     暗殺されたのは計9人だが「国家の英雄」として名が刻まれたのは将軍と閣僚の計7人。居合わせた守衛と官僚は除かれた。18歳だった守衛の少年は武装グループの乱入を、入り口に立ちふさがり阻止しようとしたと伝えられている。

     暗殺事件はミャンマー現代史最大のミステリーだ。首謀者として将軍の政敵だった元首相が逮捕され、死刑となった。武器を供給した英将校と英企業の関与も判明した。将軍は当時、独立後の企業国有化をほのめかすなど社会主義的志向を強めており、国民の多くが謀略説を信じている。

     逮捕された元首相が刑務所職員に賄賂を渡し、英国文化協会幹部に連絡を取ろうとしたが、幹部は逃走し消息を絶った。協会が当時、英国の諜報(ちょうほう)活動の拠点だったことは、ミャンマーで公然の秘密とされている。

     あkつてスーチー氏に暗殺について尋ねると「当時の捜査で暗殺に関与した人物には死刑が宣告された」と述べるだけだった。

     スーチー氏は「私が父の娘であるからこそ、国民は民主化運動指導者として快く受け入れてくれた」と言う。偉大な父アウンサン将軍あっての自分だと。父を人間として政治家として敬愛してやまない彼女がその死の真相について心の中でどう決着させたのか、今も一切漏らしていない。

     ロバート氏は、今春から政権を担うスーチー氏に暗殺現場の部屋の復元などについて「最終的に相談し、支援を求めたい」と語る。多くのミャンマー人の想念が行き交うこの建物がどう修復され、開放されるのだろうか。【ヤンゴン春日孝之】

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