読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぐるりみち。

日々日々、めぐって、遠まわり。

小説版『言の葉の庭』〜誰もがどこかおかしくて、病んでいて、それでも日常を歩いている

読書 映画

f:id:ornith:20160206202446j:plain
『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer - YouTube

 

二十七歳の私は、十五歳の頃の私よりすこしも賢くない。

第五話 あかねさす、光の庭の。――雪野

 

 映画『言の葉の庭』を初めて観て、強く感情移入したのは“二十七歳”のほうだった。青臭い男性主人公に自分を重ねて悶絶するのではなく、社会の荒波に揉まれ、くたびれきった年上のお姉さんに共感してしまった、当時24歳の僕。何となく、複雑な気持ちになったことを覚えている。

 そんな自分も、あと10ヶ月ほどで27歳――本作の“雪野さん”に追いつく年齢になるというタイミングで、小説版の『言の葉の庭』を読みました。考えてみれば、新海誠さんの作品に触れるのも久しぶり。昔はあんなに繰り返し、何十回と『秒速5センチメートル』を観ていたというのに。

 最初に思ったのは、「もっと早く読んでおけばよかった」という後悔。というか、聖地巡礼するべく栃木県に向かう電車の中で小説版『秒速』を読みふけるくらいに新海さんの映像も文章も好きなのに、同じく監督自らのノベライズとなる本作をスルーしていたのが信じられない。ぐぬぬ。

 

 

新海誠監督と『言の葉の庭』について

 『言の葉の庭』は、2013年に劇場公開された、新海誠監督による長編アニメーション作品。

 おそらくご存知の方も多いのではないかと思いますが、「実写も真っ青になるほどに美麗かつリアルなアニメ映像」という、矛盾してそうで納得できてしまう風景描写で有名な監督さんでございます。国内外問わず、“アニメーション作画”を語る際には高確率で名前が挙げられる感じ。

 最近だと、Z会のCMで話題になりましたね。瀬戸内海はいいぞ。

 

 

 2013年に上映された『言の葉の庭』のキャッチコピーは、「“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり」。作中の要所で万葉集を引用しつつ、現代の都会に生きる、雨の日の男女の逢瀬を描いた作品です。新宿御苑がモデルとなっており、今も雨の日にはファンが訪れているとか。

 今回読んだのは、そんな『言の葉の庭』の小説版。新海監督自らが筆を執り、『ダ・ヴィンチ』で連載していたのを書籍化したものです。手頃だからとKindle版で買っちゃったけど、これは紙の本でも買わねばなるまい。小説版の『秒速』と並べて置いておきたいので。うふふ。

 

小説版は「恋」よりも「孤悲」の色が強い、6人の世界を切り取った群像劇

 まず驚いたのが、本作同様、監督自らが執筆した小説版『秒速5センチメートル』との違い。あくまで「映像の文章化」あるいは「原作」として書かれているように感じた『秒速』と異なり、小説版『言の葉の庭』は、映画の世界観を大きく拡張した「別作品」としても読めるほどでした。

 

 15歳の男子高校生・孝雄と、27歳の金麦大好きお姉さん・雪野がメインで、主にその2人の視点でストーリーが進行する映画版。それに対して小説版は、章別で合計6人もの一人称で物語が展開する、「群像劇」の構成を採用しております。

 具体的には、主人公&ヒロインの2人に加えて、孝雄の兄と母、高校の体育教師に、映画の終盤でビンタされる女子生徒。これで6人。映画では主要2人の関係性を際立たせる、あくまで「サブキャラクター」的な立ち位置だった4人。小説版の彼ら彼女らは、単なる物語上の舞台装置ではない、個々人の息遣いをしっかりと感じられる、一人の人物として描かれています。

 

 いつからか靴作りに真剣な弟、がむしゃらに役者を目指している梨花、一回りも下の中年男に真剣にぶつかっていく母親。

 ──こいつらみんなばかなんじゃねえか。オレは苛々と胸のうちで毒づく。辿り着くはずもないゴールに、それ以外の場所は存在しないような勢いでひたすらに走り続けている。どいつもこいつも。ふいに今日二回目の涙が込み上げてくる。なんて日だ、今日は。

 うらやましいのだ、オレは。

 誰にも聞こえないように鼻をすすりながら、オレは決して口には出せないその気持ちを、必死に胸の中に押し戻そうとする。

第三話 主演女優、引っ越しと遠い月、十代の目標なんて三日で変わる。――秋月翔太

 

 小説版で初めて“語り手”となり、メイン2人の近くで日々を過ごす彼ら。その主観による生活の様子を読むことができるのは、それぞれ多くとも僅か数十ページに過ぎない。

 ――にも関わらず、各々が持つ人格と当たり前の日常、その中に潜む懊悩を読み取ることができるのは、筆者の力量によるところが大きいのではないかしら。映画ではいくつかのシーンに登場した程度、しかも肩書きからして全く無縁にも思える“体育教師”を取り巻く環境と彼の考え方に、なぜかいたく共感させられてしまっている僕がいた。さらには、ビンタされた彼女ですら。

 

私たちは皆気づかぬうちに病んでいる。でもどこに健全な大人がいるというのだろう。誰が私たちを選別できるというのだろう。自分が病んでいると知っているぶんだけ、私たちはずっとずっとまともだ。

第二話 柔らかな足音、千年たっても変わらないこと、人間なんてみんなどこかおかしい。――雪野

 

 映画の主人公とヒロイン――15歳と27歳の2人に絞れば、キャッチコピーにもあるとおり、本作は「恋」の物語だと言って間違いのないものだと思う。“子供”と“大人”の対比があり、恋愛未満のどうしようもない感情も行き交えど、そこにあるのは、互いに惹かれ合う男女の関係性だった。

 しかし一方、小説版では2人を含めた6人の視点から物語が展開していくことで、それぞれの関係性のみに留まらない、“個人”の悩み苦しみと感情の行方にスポットが当てられているように読める。登場人物は誰もがみんな、当たり前の日常を送りながらも、どこかに孤独を感じている。そういう意味で小説版は、「恋」を描いた映画版以上に、キャッチコピーの「孤悲」がぴったりの作品となっているようにも思えました。

 

 たとえばビルに陽が沈んだ直後、電車の窓の灯りと空の明るさがちょうど釣りあう時間帯。

 たとえば隣を走る中央線に誰かと似た姿を見つけて、それが逆向きの総武線に遮られた瞬間。

 たとえば空いた商店街を歩いていて、ふと見た横の路地が街灯に照らされてどこまでもまっすぐに延びていた時。

 胸の奥が誰かにぎゅっと摑まれたように、苦しくなる。この感情に名前はないのだろうかとそのたびに思う。こんな瞬間が一日に数えきれぬほどもある。

第四話 梅雨入り、遠い峰、甘い声、世界の秘密そのもの。――秋月孝雄

 

 あとは言うに及ばず、“作家・新海誠”による情景・心情描写ですね。小説版『秒速』を読んだときにも、「この文章、むっちゃ好きや!」とその文体に惚れ込んでいましたが、ぶっちゃけ、作品補正があることは否めなかった。転勤族として、あの作品は自分にハマりすぎるんすよ……。

 そこで、久しぶりに触れる新海誠作品となる本作を読んでみて、はたしてどう感じるか……と、再確認するような意味でも読み進めていたのですが。――やっぱりこの文体、大好きですわ! もう間違いないっす! 平易な語彙まわしでもって、当たり前の日常の風景も、なんだかちょっと特別にも思える形で切り取る文章表現。大好きです。うむ。

 

 

 そんなこんなで、小説版『言の葉の庭』のざっくりとした感想でした。映画を観た人には、もはや勧めない選択肢がないくらいに読んでほしい本でござる。Kindle版……いや、でもやっぱり紙の本で……ぐぬぬ。

 ――え? 「そもそも映画を観ていない」ですって? ……ちょっと! どうしてこんなアホみたいなブログを読んじゃってるんですか! バンダイチャンネルでも、Amazonビデオでも、ニコニコチャンネルでも配信してるから、時間のあるときにぜひぜひ! そして新宿御苑で僕と握手!

 

 

関連記事