三国志の歴史ゲーが超好き!って話です。
肩肘をはらず、素直に、悠然といこう。
※4000文字前後
三国志との出会い
中学生くらいの時かな。ちょうどその頃はスーパーファミコン(SFC)から初代プレイステーション(PS1)への移行期で、ゲーム業界も激動の時代だった気がする。ドラクエやFFなどビッグタイトルが次世代機でリリースされるたびに歓喜にうち震える僕らは、サブカルチャー全盛期で最高の喜びを味わえたのだと思う。
各世代間で流行したコンテンツに優劣はつけがたいけど、この頃はそこまで多様化が進んでなかっただけに、そのコンテンツに熱狂する分母が多かったのは事実で、共感できる人間も多かったのだろうね。まぁともかく話題はゲームに終始してた。
グラフィックが日々進化していく中で、僕が初めて出会ったシリーズは『三国志4』だった。その頃はまだSFCしか売ってなくて、それがまたロードが長いんだよね。一か月毎のターン性でゲームは進行するのだけど、自分の国の内政や軍事設定が終わって「ターン終了」すると、各国の内政が軍事が終わるまでボケーっと待ってなきゃいけない。CPUの処理能力はここらへんで差が出るのだろうね。これに耐えきれなくて止めちゃう人もいるくらい。だけど、僕はそれでも止めないでずーーーっとプレイし続けたなぁ。良くやったものだよって、今考えれば思う。
マイノリティゆえの寂しさ
(三国志に関わらず)ゲーム自体はプレイ人口がものすごい多くて、同級生の95%はゲームをプレイしている(もしくは最近までしていた)子だったといっても過言ではなかったよ。それだけ急速にゲームが普及した時期でもあったのかもね。
一言でゲームとはいっても多種多様。格闘ゲームやレーシングゲーム、パズルゲームやスポーツゲームなど色々あってさ。やんちゃ坊主は格闘ゲームやスポーツゲーム、おとなしい子はパズルゲームをプレイしていた印象がある。これはこじつけだろうけどね(笑)そんな中で、三国志や信長の野望など歴史シミュレーションゲームをやっている同級生が本当に少ないなって感じた。周りにいる絡みのある子に思い切って「僕、三国志やってるんだ」なんて伝えても「なにそれ、ジジくせえwww」などと揶揄される始末。もともと繊細で傷つきやすい性格だったから「こんなこと言われるくらいなら公言なんてしないほうがいいな」なんて卑屈になって。そこで共感できる仲間を探すということをあきらめてしまったのかもしれない。
どの君主で始めるの?だとか。
赤壁の劉備は超絶難易度高くない?だとか。
そういったマニアックだけど「わかる!!」的な共感が僕は欲しかったわけ。だけど先ほども書いたようになかなか同士に巡り合えることは少なくて寂しい思いをいしていたよ。家に友達が遊びに来ても「うわ、なに、こんなんプレイしてるの?だせえww」などと冷やかされる。(´-`).。oO(この楽しさがわかるまい)なんて思いつつ、それはそれは悔しかった記憶がありますよ。
僕はどうして好きなんだろう?
箱庭的なゲームは、歴史的シミュレーションゲームに関わらず好きなのです。例えばシムシティなど。これについてはひたすらやりこみましたね。お金をMAXにする裏技を使ってからは惰性でプレイするようになって駄目になりましたが・・・とにかく箱庭的ゲームが大好物なのです。自分の配置した何かが効果を発揮して、見えないところで成長したり活動したり。凄くワクワクします。コンビニを経営するゲームもそうですね。店舗を増やしていけばすべてについて管理するのが難しくなり、結果的には経営を半ばお任せする形になる。そうしたら、各月の経営報告だとかを確認する時に「見えないところで頑張ったんだなぁ」みたいな、えもしれぬ喜びを感じるのですよね(笑)細分化が難しくてここらへんの感情を文字化するのには苦戦しますが。
三国志や信長の野望も、全国を1枚もののMAPにして内政や戦争を繰り返すタイプが、もうたまらなく好きで。189年の劉備で開始して袁紹の脅威に晒されつつ、優秀な人材を集めて孤軍奮戦する。その傍らで馬騰が董卓とバチバチやってたり。孫堅がいつのまにか大陸の1/4を制覇してて「おいおい、地の利ズルすぎだろ」なんて震えたり。
そういう自分のあずかり知らぬ場所でストーリーが進んでいるシステムに、どこか「人生」を感じてしまうのかもしれない。ちょっと飛躍しましたけど、なんとなくこれがしっくりくる気がするのですよ。人生というのは自分の主観で紡がれるものです。朝起きて、こうしてノートPCに向かう。視覚で捉えている部分以外は自分の意図していない(把握できない)部分だけど、それでも確実に世間は動いていて、知らないところで誰かが何かを作ったり壊したり食べたり飲んだり戦ったり守ったりしているわけじゃないですか。どこかそれに似ているのですよ、歴史的シミュレーションゲームなどを含め箱庭的要素のあるゲームというのはね。
※三国志の武将名、具体的に出てて解らない人には解らないのでしょうね。ごめんなさい。でも、どうかこれを機に歴史もののゲームに触れて頂きたい!というのが本音。シミュレーションだけじゃなく、三國無双とか戦国無双とかアクションゲームもありますからね。最近では(最近でもないか)乙女(2次元)とコラボレーションしたものも数多くリリースされているので、華やかさもありますよ。かつてはガチムチな髭の爺がむさくるしくバトルするゲームとして忌避される方も多数いらっしゃいましたが、今はとっても爽やかです(笑)ガチムチ髭ゲーも、僕は好きだったけどな(´・ω・`)こういった布教の難しさは後述。ここでは「あえて」お勧めしましたからね!
ゲームのプレイに幅を持たせられない
端的に言えば、三国志では劉備玄徳、信長でいえば信長でしかプレイしないのです。しかも時代は決まって三国志:189年(桃園の誓い)、信長:1560年(桶狭間)。こんなんだからいつも決め打ちなゲームスタイルしかできないのですよ。「おいおいニワカ野郎、三国志を語るなら韓玄で全国制覇してからにしやがれよ」なんてド玄人に屠られそうな僕ですけど、それにはまぁ理由があって!
劉備や信長でプレイするのはひとえに「感情移入しているから」なんです。彼ら、凄く魅力的じゃないですか?
劉備:貧しい家に生まれるけど皇族の末裔、成り上がりで蜀(三国の1)の王になるまでに至る。ヘタレな部分も多々あるが臣下に恵まれすぎて半端じゃない。関羽や張飛をはじめ趙雲など五虎将にはじまり鳳雛や諸葛亮など知性派もそろってかなりの俺Tuee状態。しかし最後は義兄弟の死に怒り狂って復讐の大軍を繰り出した挙句に大敗→病死
とか。濃すぎないか?www(三国志演義のお話です)
信長については具体的言及は避けるけど、彼も波乱万丈な戦国人生を歩んだ末に本能寺で死んでるでしょ?とにかく濃すぎるの、この人たち。もう僕の心をひたすらに惹きつけてやまないわけよ。
ここは判官(ほうがん)びいきなところが自分にあるから、これも大きな要因の一だと感じてる。滅びゆくものに美学を感じて、ひいきにするってこと。これは日本人には多いみたい。例えば牛若丸の人気が大きかったりね。そこは日本人の美徳だと僕は思ってる。死者に鞭打つ真似はしない。
ってなわけで、新作が出ようとも劉備や信長をセレクトしてしまう僕のプレイスタイルは前述の理由から後生変わらない気がするし、それを変えようとも思わないです。100%これでプレイしてしまうわけじゃないけど、95%はこれです。それでも楽しいから良い!
好みが分かれて当然だと考えてる(あとがき)
好きなものを布教したい、というのは当然の感情です。だから僕も今まで三国志の魅力について少なからず周囲に理解を求めたりプレイを進めてきました。だけど、それで三国志の世界に入ってくれた人は皆無。みな、良くても「お、おう」、酷い時は「そんなもんやってられるかアホ」くらいに切り捨てられたりしました。
ある時、僕は悟ります。「あ、これは好みの問題なんだ。僕がレーシングゲーム(なぜかマリオカートやFZEROはできたw)で最初のカーブを曲がれずに挫折したり、サッカーゲームに興じる気持ちが一切理解できないのと一緒なんだ。好きな人は好きだけど、好きじゃない人がそれを好きになるって、また別の話なんだなぁ」って。
分母数が少ないから寂寞感を感じてしまうことは仕方のないことだけど、でもそれで同じ趣味を持つ人間を発見できたら、それは石の中から宝石を見つけたに等しい発見で、それは大切に拾い上げる必要があるのだと思う。インターネットが普及した現在では、その宝石を見つけることがとても簡単になった。こうやって自分の三国志に対する想いを綴って発信すれば、そこに共感した人が自然と集まってくるのだからね。
「ネット上の繫がりは虚構である」、と論じる人に不信感を覚えてしまう理由はここにある。マイノリティにとっての安息の地を、多数派の方が安全圏から砲撃しているような感じてしまうのさ。「頼むからそっとしておいてくれ」って毎回思うよ。好みはわかれて当然。僕のような内向型が、ウェーイ系を理解できないのと一緒で、逆もまた然りなわけですね。だからそこについて解消を目指すことは不毛なのでしょう。
僕はこうやって自分の考えをブログで発信して、今日も同士を募ろうと考えてます。
歴史シミュレーション(特に三国志)好きは、その思い出等をコメントなどでお寄せいただければ嬉しいです。あなたの歴史的シミュレーションとの思い出を言及して記事にしていただいても、喜んで見に行きますよ!
レスポンス、お待ちしてます♪
終わり
P.S
コバさんの記事に触発されて書いたものです。
サンクスでした。