こんな寒い日は熱燗がいい。肴を用意するまで、あの頃を思い出してみる。そういえば、あの日も年末の寒い日だった。
私は何度も壁にかかっている時計を睨みつけた。おかしい。もうとっくに時間は過ぎている。約束した時間の電車が到着したのは遥か前だ。トイレに行っているわけじゃない。きっと何かがあった。
その日は、彼女が帰ってくるはずの日だった。
私は学生だったから一足早く里帰りをしていた。彼女は働いているから遅れてくる。そう信じていたし、それが当たり前だと思っていた。ずっと待っていた。
しばらくすると私の携帯に一通のメールが届いた。
「ゴメンね。帰れなくなった。」
メールを最後まで読んで、私はすぐに彼女に電話をした。彼女は泣いていた。彼女に帰れなくなった理由を聞くと、ものすごくシンプルな答えが返ってきた。
他に好きな人ができたらしい。
ゴメンね。としか言われていないけど、はっきり気づいた。
もう、終わりだって。
来るはずの場所に来るはずの彼女が来ない。
それだけで充分わかる。
いろんな思いがこみ上げてくる。
この帰省中は二人でどう過ごす?仕事はどう?俺も早く働きたいな。働いて給料でたら何が欲しい?
もう、話せない。
もう、終わったのだ。
ふいに左にいたおじいさんが私に話しかけてきた。
「ニイちゃん、誰か待ってるのかい?えっ?」
私は素直に言った。こんなこと初対面のおじいさんに話すことじゃない。うまくごまかせばいい。そんなことは、わかってる。でも、言った。
「彼女待ってて、でも、もう来ないみたいです。」
おじいさんは「そうか。」と言って、私に持っていたスルメをくれた。さっきからストーブの上で炙っていたスルメをさいて、私にくれたのだ。
私はスルメを受け取ると、それを右手で握りしめたまま、そのまま時間だけが過ぎた。
涙が出た。
彼女が帰ってこない。
それだけで、止めどもなく涙が溢れた。
あの時、噛み締めた色々な思いは、今もまだ残っている。
私はあれ以来、家でも居酒屋に行ってもスルメを食べたことはない。
あの日を思い出すから。
でも、もう大丈夫。
そろそろ、いい頃かもしれない。
あの日のことは思い出の中で充分、炙った。
肴にするにはもってこいだ。