高校生でもわかる、書き手の責任とメディア・編集部の責任の違い

慶応義塾大学総合政策学部の大学生が中心になって運営していたウェブメディア『青春基地』が、『Twitter』などからの“パクツイ”が多くのネットユーザーから問題視されていたアカウント「@Copy__writing」の中の人に高校生を取材させてインタビューを掲載し、そのことが多くの批判や議論を呼んでいます。筆者も、10代の中高生を危険性のある取材をさせて、なおかつ「(高校生の)意見をできるだけ尊重したい」掲載の継続の判断を丸投げしていることについて、この場で批判する記事を書きました。

“パクツイ”アカウントインタビュー掲載『青春基地』 今すぐ閉鎖すべき理由(追記あり)

筆者の記事には、「少し厳しすぎるのではないか」といった反応も頂きました。ただ、上記のように高校生を矢面に立たせて、編集の責任を回避しようという姿勢はメディアが取るべきことではなく、「若い」からといって看過されるべきことではない、と考えます。

その後、2月4日に「1/30の文章では、記事を執筆した高校生の文章を編集しましたが、そのプロセスに不備があり、誤解を招く内容になってしまいました」として、再度お詫びをすると共に、該当のインタビュー記事の取り下げを発表。さらに高校生の「意見」を全文掲載しました。長くなりますが引用します。

先日の記事につきまして、私から直接謝罪をさせていただきたいと思います。

謝罪させていただきたいのは二点です。

一つ目はCopy writingさんで書かれていた転載に許可が無かったことをきちんと調べずに取材を行ってしまったことです。「高校生」ということで多くの方に守っていただきましたが、仮にも情報を発信する側として取材先のことをきちんと調べずに取材をするのは絶対にしてはいけない事でした。私はCopy writingさんがされた転載を正当化する気持ちはありません。転載された元の作品を作られた方の悔しい気持ちは想像以上に重いもので、その思いは今回の騒動で何百件と寄せられたダイレクトメッセージを通じて実感しています。大変申し訳ありませんでした。

二点目は、Copy writingさんの記事の中での「どんな時に、@Copy writingでつぶやくのですか?」という問と答えについてです。この部分で私は「思い立ったらすぐに打っているんですか?」と書いた原稿を運営側に提出したのですが、その文が編集の過程で「どんな時に、@Copy writingでつぶやくのですか?」という文に変更になっていた事を見落とし、結果的にはFallさんがあたかもCopy writingの文章について自作発言をしたように発信されてしまいました。運営の方の推敲を受けた後の文章に対して私の最後の確認作業での注意が足りなかったことと、運営と私の連携不足により起こってしまったことだと思います。本当にごめんなさい。

私は記事の掲載続行を望んでいませんでした。記事が炎上をしているのを見て、申し訳ないという気持ちの方が余程強いです。「インタビュー内容に感銘を受けたため」とあったのも私の意見とは少し違っていて、「今でもFallさん自身の言葉は好きです」ということは申し上げましたが、それ以上に強く「記事を取り下げてほしい」、「自分の言葉で謝罪をさせてほしい」ということを訴えたつもりでした。また、「反省する事は多々ありますが」と本文ではまとめられていましたが、私は炎上当日の27日に運営側に送ったのは上記の二点を述べた文章です。その後直接的に謝罪文の作成に関われませんでしたが、29日に代表に「現在時点での原稿を見せてください」と連絡したところ、30日18時半に「今後Twitterをできるだけ見ないことと引換にこの記事を載せます」との言葉と共に現在出ている記事の原稿が送られてきました。しかし私が部活動から戻り携帯を見たのは19時40分で、既に記事が出されてしまった後でした。私の意思と違うことも申し上げましたが、一度記事を上げてからの大きな変更はできないとの事で、結果的に私が運営の方ときちんと意思疎通出来ていなかったことで、周りの多くの方々を振り回すことになってしまいました。今まで青春基地に守って貰っていてずっと自分の言葉で外部の方にお詫びできなかったことも、心苦しく思っています。

最後になりますが、今回多くの方にご迷惑ご心配をおかけしました。 今私に出来ることは、自分のしてしまったことにきちんと向き合って考え続けることだと思っています。 本当に本当に申し訳ありませんでした。

青春基地は私にとっても編集部員みんなにとっても居心地の良い、すごく落ち着ける場所でした。この文面を乗せたときに大きな被害を受けるかもしれない、本当にごめんなさい、と編集部の友人達に打ち明けたときも「間違っていることを間違っていると言うのは勇気のいることだと思う、編集部員以前に友達だから、安心して正しいと思うことをしてね」と背中を押してくれた子が沢山いました。私にとって代わりのいない大切な友達をここで得ることができました。

しかしだからこそ、青春基地が大好きでみんなに迷惑をかけたくなかっただけに、本当のことを言うことを許してもらえなかったのが何より辛く感じました。この文面を出すことはあなたのせいで他の50人のメンバーを犠牲にすることだ、青春基地がなくなったらあなたの責任だと言われて、今回この文章を出すことは本当に苦しかったです。編集部のみんなが背中を押してくれているとわかっていても、その点については本当にいくらお詫びしてもお詫びしきれません。 たとえこの文章で自分自身の誤解を解くことが出来ても、青春基地を傷つけたことの自責の気持ちは一生私に付き纏うものだと思うし、そこから逃げてはいけないことだとも思っています。

この文章が発表されて、インタビュー記事の編集の拙さや、当初「高校生の意見を尊重」としていた記事掲載が「私は望んでいませんでした」と否定されているなど、『青春基地』事務局の運営との齟齬が目立つことになり、結果として再度、批判が殺到することになりました。これを受けて石黒和己代表は『Twitter』にて無期限休止を宣言しました(参照)。

個人的な感想を述べるならば、「ぼや」程度の火事に驚き全員で逃げ出して家を取り壊す江戸時代的な消火方法を取ってしまったような印象を持っています。大学生の事務局もパニック状態だったように見受けられ、その時のために「大人」の出番なのではないか、と思います。ただ、筆者自身が「閉鎖すべき」とこの場に書いたことが多少なりとも影響していることには、多少の良心の呵責を感じています。

『青春基地』はもともとアドバイザーとして名を連ねている鈴木寛・慶応義塾大学教授のゼミのプロジェクトの一つであり、ローンチ時のイベントの模様はSFCのメディアでもレポートされています。

SFCすずかんゼミ発 中高生向けウェブメディア「青春基地」がスタート(SFC CLIP)

同じくアドバイザーとして名前が挙がっているメディアイノベーション代表の戸塚隆氏、『8bitNews』代表の堀潤氏がどのようなアドバイスをしていたのか、どこまで運営と緊密に結びついていたのか、といったことが今後は焦点になるのではないでしょうか。

なお、堀氏は筆者からの取材に対して前向きに応じる意向を頂いており、近日中にインタビュー予定です。また、鈴木氏への取材も進めていきたいと考えています。

書き手の責任とメディア・編集部の責任

さて。今回の「騒動」のほとんどは、『青春基地』が書き手の責任と、編集部の責任を理解していなかったことから端を発しているように思えます。

まず、書き手の責任(古い言葉を使えば「文責」)というものは、書いた「内容」に対して負うものです。

今回のようなインタビューの場合、取材対象のことを十分に調べて、第三者からの評判なども含めて頭の中で整理した上で取材に臨む。聞き手として適切な質問を投げかけ、それに対する答えを意図通りに理解し、読者にわかりやすいようにまとめる。そうして書かれたアウトプット(文章など)について、何らかの落ち度があったり、事実に反するようなこと、インタビューした対象が発した言葉が意図通りの意味で伝わらなかった際などは、書き手の責任といえるでしょう。もちろん、批判などの反応に対して、それを受け止めることも責任のうちです。

この責任の取り方は状況によってさまざまです。訂正をして謝ることも責任の取り方ですし、自分の心の中で批判を受け止めて、次に活かすということも責任の取り方としてはあり得ると思います。それは、書き手自身が決めることです。

つい先日、田村淳氏が日刊スポーツの福島第一原発のコラム(参照)について、『Twitter』ユーザーからの指摘を受けて次回のコラムで訂正と謝罪を行いました(参照)が、これも責任の取り方の一つだと考えます。

一方で、メディア・編集部は何の責任を負っているかというと、記事を「掲載」したことに対してです。

まずは取材をする企画があり、その可否を判断することは編集部が決定することですし、書き手が提出した文章の質が低かった場合、書き直しをしてもらったりするのは、メディアとしてのブランドを守るだけでなく、その書き手を守るためでもあります。そして、掲載した後の責任は一切、負わなければいけません。

ここでややこしいのは、事実に反するといった落ち度が記事に含まれていた場合、書いた人の責任だけでなく、掲載した責任も発生するということです。そういった間違いを事前のチェックで見落としたことに対して、メディアは書き手よりも厳しくそのクオリティを問われます。それは、最終的に掲載すると判断した責任を負っているからです。

それだけメディアが「記事を出す」というのは重いことだと、多くのメディア・編集部は実感として理解していると思います。逆に、理解していないメディアはよほど脳天気か悪質かのどちらかです。

そういった観点で『青春基地』の高校生が発した「意見」を読むと、自身の書き手の責任について十分に理解が至っていることが分かります。一方で、編集の過程での齟齬や連携不足については、本来はメディアとしての『青春基地』が責任を負うべきことで、書き手が謝ることではないと考えます。

終わりに

ここまで偉そうに記してきましたが、筆者は正規のメディア教育を受けてきた人間ではありません。「ブロガー風情が」とか「『ガジェット通信』のデスクが言えることか」といったお叱りを受けることもあるかもしれません。

ただ、上記のような責任の所在がどこにあるのか、といったことについて、書き手はおろかメディア・編集部自身が理解せずにいるために起こる「炎上」を数多く見てきました。今回の『青春基地』の騒動もその系譜に連なるものだと思います。そういった事態が繰り返されていることを、メディアに限らずネット社会全体で考え続ける必要があるのではないでしょうか。

また、「若い世代を応援する」というお題目のもと、10代を使って意見やメディアの現場を「経験」させることを目的としたメディア、つまり第二第三の『青春基地』ができる可能性は高いのでは、と考えます。その際、書き手の責任は何なのか教えた上で、編集の責任を負う自覚を持っているかどうか、ちゃんと把握してから始めないと同じような未熟なアウトプットにより無用な「炎上」が起きてしまうかもしれない。それを防ぐためにも、書き手の責任とメディア・編集部の責任を切り分けて捉えることが大事だと思います。