02月05日の「今日のダーリン」

・いま、ふたつの思いがある。
 冬の間は、根っこを育てている時期だから、
 目に見えることをしようとしないで、
 春に芽を吹いて花が咲くことをたのしみに、
 とにかく基本のところをしっかりやろうという思い。
 毎年、冬の間は、じぶんをいさめるようにして、
 ブレーキペダルに足を乗せ、速度に注意して、
 静かな忙しさを実行してきた。
 寒いからさぼろうというわけではないのだ。
 できるだけ根源的なことに考えを向けて、
 じっくりと器そのものを大きくしようとするだけだ。
 成果の兆しは、暖かくなってから見えてくるだろう、
 あせらずにかまえていようとじぶんに言いきかせてきた。

 もう一方が「動き出してる、さぁ走りたい」という思い。
 じっくり根っこを育ててきたにしても、
 芽が枝のなかで顔を出したくてうずうずしている。
 長い冬の仕事は、夏にも秋にもずっとやってきてるよ。
 天岩戸の前で踊るような気持ちで、
 芽吹きを見たい蕾を愛でたい‥‥という思いもある。
 あせりかもしれないし情熱とそれを呼んでもよさそうだ。
 
 つまり、むずむずするけど、こらえている。
 青春ドラマで、事情があって会えないふたりが、
 いますぐ会いたいという気持ちと、
 いまがまんすることが大事なんだという気持ちに、
 悶々としているような感じ‥‥とはちがうな(笑)
 まぁ、恋とはまったくちがうんだけど、
 ぼくはこころのなかに春を抱えながら、春を待ってる。
 
 「ほぼ日」をはじめるときも、同じような気持ちだった。
 稼ぎ方もわからないし、インターネットもよく知らない。
 それでも、すぐにはじめたくてたまらなかった。
 協力してくれる人を、とにかく探し回った。
 野球場くらいの場所に、びっしりの観客が見える。
 そういう幻をもとにして仮説を語り続けていた。
 『インターネット的』も、そのころ考えたことだった。
 そうか、夢に手足をつけるために歩き回っていたのか。
 いまは、地球の大きさの幻を見ながら、
 冬の仕事を続け、春の仕事をやりかけている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ただね、あのときいた岩田さんがいないのがさみしい。