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いのちをつくりかえるのを思いとどまる

科学技術の統御という難題に、日本文化に根ざした哲学的考察が貢献できるはずだ

島薗進

科学技術の進歩は制御できるか?

 SF風「悪夢の未来」は「単なるおとぎ話」か? 科学技術がどんどん発達し、これまで想像もしなかったようなことができるようになる。では、その技術を何のために使うのか。また、どう使うのか。結局、人類は使いこなせないのではないか。どんな破局が待っているのかーー。

 1989年に世を去る直前まで手塚治虫が書き続けた、未完の「ネオ・ファウスト」はそんな筋立てだった。イギリスの作家、オルダス・ハクスリーの1932年の小説、「すばらしい新世界」もそうだ。もしほんとうにそうなるなら、科学技術の進歩を制御しなくてはならない。でも、それってできるの?

 「しっかり使い方を考えなくては」「今こそ知恵が必要だ」、そう考える人たちはいる。警告は発せられている。だが、ようやく大きな声になろうとする時には、もうその技術はどんどん使われてしまっている。

 私たちは科学技術の恩恵はたっぷり受けている。これまではうまく使ってきたのだろう。それが続いてくれるだろうと思って気を紛らわす。でも、不安もどんどん大きくなっている。ひどいことが起こるかもしれない。いや、すでに起こっているのではないか。どんどん進むテクノロジーに社会の側の知恵が追いつかない。科学の進む速度に倫理に基づく判断が間に合わないのだ。

 これは遠い未来の想像にすぎないのか。すでに起こっているのか。すぐに念頭に浮かぶのは核兵器だ。人類が賢ければ、核兵器は産み出さずにすんだのではないか。敵味方で生き残りをかけて戦っている最中でなければ、思いとどまることもありえたのではないか。

 核兵器を作リ出さなかったら、原子力発電も始まらなかったのではないか。知恵を働かせて、多くの人の生命を瞬時に奪い、健康を害する大量放射線被ばくにつながる核分裂エネルギーの使用を思いとどまることもできたのではないか。百年後の人類がそう考える可能性はかなり高いと思う。

「いのちをつくりかえる」科学技術

2012年12月10日、ストックホルムで開かれたノーベル賞の授賞式で、スウェーデンのカール16世グスタフ国王からメダルを受け取る医学生理学賞を受賞した京都大の山中伸弥教授拡大2012年12月10日、ストックホルムで開かれたノーベル賞の授賞式で、スウェーデンのカール16世グスタフ国王からメダルを受け取る医学生理学賞を受賞した京都大の山中伸弥教授

 では、現代の生命科学とバイオテクノロジーはどうか。

 2007年に京大の山中教授によってヒトiPS細胞が作り出されたのは、生命科学上の大発見であり、バイオテクノロジー上の大発明である。再生医療の飛躍的な前進が期待されている。

 また、ゲノムの解読が進み、各人がどのような遺伝子をもっているか、その人がどのような心身の傾向をもち、どのような病気にかかりやすいかの分析が進んでいる。それなら、人のいのちを作りかえていけるのではないか。やりたい人がいるならやるべし。そんな声が聞こえてくる。

 受精卵の段階で、さらには成長途上の胚(はい)や小さな胎児の段階で、生まれてくる子の特徴、あるいは疾病や障害が予測できるようにもなっている。遺伝特性を調べて受精するカップルも受精卵の遺伝子を調べて産む子を選ぶカップルもある。「デザイナーベイビー」という言葉があるように、「こういう子を産みたい」という親の意思を生かすことができるのだ。すでにダウン症のような障害者は産まないようにするという選別は日本でも広がっている。

 できることはやる。とくに経済的利益になることならやるーーこれが、①現代資本主義経済と、②経済競争で優位に立つことを目指す国家と、そして、③現代科学技術のあり方だ。

 でも、何のためにやるのか。それをやったらどうなるのか。それは人類の長期的な福利にかなっているのか。そこまで智慧が及ばない。とくに③である。そういう問いを十分考慮した上で、科学研究と技術開発の価値を判断しているのか。

 現代の科学技術は踏みとどまることはできないのか。どうすれば科学技術の発展を制御する知恵を働かせることができるのか。これは哲学的な課題だ。20世紀の末には、この哲学的問いが緊要のものになってきた。中でも、生命科学の発展をどう制御するかという問いは重要だ。

「エンハンスメント」の何が問題か?

 この問題の重要性を世界に知らしめたのは、米国のブッシュ大統領の下の生命倫理評議会で、座長はレオン・カスという元生命科学者である哲学者だ。

 この評議会は2003年に「治療を超えて」という報告書を出した。人の身体機能を「治療する」だけでなく幸福を「増進させる」医療は是か、よくないとすればなぜか。これを「エンハンスメント(増進させること)」問題という。脳機能を含めた人体改造の是非を問うたのだ。

 「エンハンスメント」がどんどん進んでいく趨勢(すうせい)だが、なぜそれに歯止めをかけなくてはいけないのか。レオン・カスはこう論ずる。バイオテクノロジーの力で、人はもっと自由になるつもりだが、実は自由が脅かされる。医療的措置によって能力が増進させられた人間が何かをなしとげたとして、それを確かに自分が行ったと信じられるだろうか。自分の力でなしとげたのではないことに誇りをもてるか。「個」としての人間という自覚が危うくなることが問題なのだ、と。

 これに対して、マイケル・サンデルが「そうではない」と反論した(『完全を目指さなくてよい理由』)。

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筆者

島薗進

島薗進(しまぞの・すすむ) 上智大学神学部・教授、同大学グリーフケア研究所所長、東京大学名誉教授

1948年、東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。筑波大学哲学思想学系研究員、東京外国語大学助手・助教授を経て、東京大学文学部(大学院人文社会系研究科)宗教学宗教史学科教授。主要著書:『現代救済宗教論』(青弓社、1992)、『精神世界のゆくえ』(東京堂出版、1996、秋山書店、2007)、From Salvation to Spirituality(Trans Pacific Press, 2004)、『いのちの始まりの生命倫理』(春秋社、2006)、『国家神道と日本人』(岩波書店、2010)、『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版、2012)、『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社、2013)、『日本仏教の社会倫理』(岩波書店、2013)、『倫理良書を読む』(弘文堂、2014)。

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