子供の頃に読んだ世界のウイスキー図鑑でマッカランはこんな風に紹介されていた。シングルモルトのロールスロイスである、と。ロールスロイスの価値はわからないのに、とにかく凄いことだけは幼い頃の私にも確実に伝わってきた。もちろん子供だから酒は飲めない。それでも、だからこそ「いつか飲んでみたい。」そして、それが「いつか絶対、飲んでやる。」に変わっていった。そのいつかが遂に来たのだ。
私がマッカランを注文した時、マスターがどう思っていたのか今となってはわからない。「この小僧、本当にマッカランなんて飲めるのかよ。」かもしれないし「最初のチョイスにしてはなかなか良いじゃないか。」かもしれない。とにかくマスターは、ほとんど何も聞かずに(飲み方を聞いた程度で)一本のボトルを取り出すとロックグラスに注いで私の前に差し出した。注いだボトルも目の前に置かれた。『マッカラン18年』それは紛れもなく憧れ続けた、あのマッカランだった。
グラスを手にとり、その重さを確かめる。ゆっくりとグラスを口元に近づけて、そっと唇に重ねる。グラスを傾けると流れ込む液体。舌に絡みつく衝撃。思わず叫んでしまいそうな感動をグッと飲み干して、私は何度も頷いた。それは私の夢が叶った瞬間だった。
それから私は沢山のバーに行った。チープなバーから渋めの重厚感あるバー。ホテルのバー。水槽があるバーで飲んだこともある。毎回飲む酒は決まっていて、マッカランのロックとブラントンのロック、それぞれ一杯ずつの計二杯。なにもわかっていないのにわかったフリをして。それがカッコ良いと思っていたし、周りもそう思っていると本気で信じていた。安い居酒屋で枝豆をつまみにビールを飲む同年代の若者を鼻で笑いながら、私は母親の洋服がしまってあるクローゼットのような香りの青カビチーズをつまみにウイスキーを飲んでいる。その頃の私は酒に酔っているのではない。他人と違う私であること。私は自分に酔っていたのだ。
シガー(葉巻)も吸った。あの頃は煙草も吸っていたので、あまり抵抗もなく、すぐにその魅力にハマった。好んで吸っていたのはコイーバのシグロno.1とロメオYジュリエッタのno.2だったような気がする。少しずつ「俺、カッコ良い。」から「俺、カッコ良い?」に変わってくる。一体誰に向かってカッコつけていたのだろう。はじめは子供の頃の自分に自慢したかっただけなのかもしれない。俺、こんなことやってるよ。俺、カッコ良いだろ。って。
子供の頃の私は、きっと気づくだろう。
「ふーん。で、カッコ良いねって言ってくれる人、どこにもいないね。本当はカッコ良いねって言ってくれる人が欲しいだけなんじゃないの?だって…」
当時の私は気づかない。(フリをしていた。)俺は他の奴らとは違う。俺は他の奴らとは、全然違う。そう言い聞かせながら、本当は「同じだよ。」って言ってくれる人が欲しかった。「マッカラン飲んだよ。」と言えば「マッカラン美味しいよね。」と言ってくれる人。「シガー吸ったよ。」と言えば「俺も吸ったことあるよ。」と言ってくれる人。同じ人を求めてしまう。どうしてそんな気持ちに変わったのか?
夢が叶ってしまったからだ。
叶ってしまった夢は、完成品だから他人の評価を求めてしまう。
友達とパーティしたよ。いいね!
結婚したよ。いいね!
子供が生まれたよ。いいね!
世界の絶景見てきたよ。いいね!
完成した夢。
言いかえれば、全部、終わった夢だ。
私の夢、完了しました。いいね!
いいね=完了報告のハンコ。
ハンコが欲しい気持ちは私にも良くわかる。でも、ハンコをもらうことだけが目的だったら夢ってなんだろう。
そうじゃない。
本当の夢って終わりがない。
まだだ。
まだ、こんなものじゃない。
もっと良くなる。
もっと良くなれる。
だから、夢中になる。
新しいことにワクワクする。
補修作業じゃない。
空いた穴を塞いで塞ぎ終われば、また次の穴。また次の穴。補修作業完了しました。いいね!いいね!いいね!
そうじゃない。
理想形はどこだ。
最終的にはどうなりたい。
超える。
昨日の自分を超えてやる。
昨日の自分。いいね!
でも、今日の自分。もっといいね!
それを知ってたら過去の自分にいいねしてくれなんて、求めない。
もっと良いもの作ってやる。
夢なんて叶わない。
だって、夢はどんどん膨らんでいくから。
その膨らんだ夢に何人入るだろう。